新装版 播磨灘物語(3) (講談社文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (392ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062739344

作品紹介・あらすじ

官兵衛を信長に取りついでくれた荒木村重が信長に謀反を起こし毛利についた。翻意させるべく伊丹を訪れた官兵衛は囚われてしまう。信長は官兵衛も裏切ったと錯覚し、子の松寿丸を殺せと命じた。竹中半兵衛の策で救われるが、官兵衛が牢を出た時は、半兵衛、既に病死。牢を出てからの官兵衛は身も心も変る。

感想・レビュー・書評

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  • 播磨灘物語(3)「新装版」
    2004.01発行。字の大きさは…小(字の大きさは、中であるが字が薄いので小)

    此度は、天正6年(1578年)10月、信長旗下の摂津の大名荒木村重が謀反を起こし信長が自ら討伐に向かうところから、天正10年(1582年)、毛利氏の武将・清水宗治が守る備中高松城を羽柴秀吉(豊臣)が攻略に際し、官兵衛と蜂須賀小六が誘降の話しに行くところまで。

    黒田官兵衛は、自分の主家である御着城の城主・小寺藤兵衛に「官兵衛、荒木を何とか翻意させられぬか」と言うので、荒木の伊丹城へ向かうと捕らわれて牢に入れられる。主家の藤兵衛が、荒木に「官兵衛を殺してくれ」と言ったのである。
    それから1年有余、環境の悪い牢獄で、自分の糞尿と同居し、救出された時は、髪は抜け落ち、肉を削げ落ち、皮膚が干からび半死半生になっていた。
    天正10年は、この夏に織田信長が急死する事件を核に、もっとも苛烈な変動の年になる。

    【読後】
    官兵衛が伊丹城の牢獄で、如何に苦しいなか、生き抜いたかということが書かれている。藤のつたが牢獄の隙間に伸びてきて、花が咲くかどうかに自分の生死を掛けるくだりは、涙が出てくる(涙)。人は一人では生きていけぬ……。

  • 官兵衛の主人・小寺藤兵衛(御着城主)が〝官兵衛を殺してくれ〟と言い送った荒木村重(摂津守)のもとに、毛利への寝返りを翻意させるべく伊丹を訪れた官兵衛だったが、有岡城の土牢に幽閉されてしまう。信長は官兵衛が裏切ったと思い、官兵衛の嫡子(松寿丸)を殺すよう秀吉に命じるが、竹中半兵衛の機転の策で、長浜城から救い出された。一年有余の幽閉後に救出された官兵衛は、竹中半兵衛が病死していたことを知らされ号泣する。三木城が陥落し姫路に戻った官兵衛は、信長と秀吉に対し懐疑的な思惑を抱き始める・・・。興奮冷めやらぬ第三巻。

  • 秀吉は色んな物語で「大気者」として描かれているが、ここに描かれているように、逆だったのかもしれませんね。その方が色々辻褄が合うかもしれません。秀吉としても、信長の振舞いにギリギリだったのかもしれません。そういう空気があったのでしょうね。 官兵衛は良く生き延びましたね。これがあったから、深く人の機微を読める軍師となったということですね。 それにしても、やっぱり半兵衛はカッコ良過ぎ!

  • 毛利方についた荒木村重によって幽閉されてしまうという、官兵衛最大の苦難の時期。そして、官兵衛の子を殺害せよとの信長の命令に背き、保護する竹中半兵衛の友情。この物語のクライマックスともいえるこの巻。
    司馬は様々な場面で、官兵衛の人となりを著述する。
    他の者に対しては利害を説く策士という功利主義者だったが、自分一個に対しては主家を裏切ることができない、倫理主義者になってしまう、と。
    また、官兵衛ほどに人間の善悪や心理の機微の洞察に長じた者はいない、とか。
    さらに、人を恨むという感覚が欠如しており、彼の一代を見ても、人を恨んでどうこうした言行が見当たらない、と。
    そして、人間というものは行動を美しくしなければどうしようもない、と人一倍考えているのが重大な一特徴である、と。
    官兵衛に対し、彼は栄達よりも構想を立てることをよろこび、その構想を実現させることで彼の欲望のすべてが充足されてしまう、と述べる一方で、秀吉については、こう酷評している。
    「秀吉の身上というのは、その明るさということもあるが、ようするに才智の人であった。才智だけで浮上している人物で、それ以外に何程の思想があるわけででもない。」
    官兵衛と秀吉との、対比が面白い小説でもある。

  • この巻は読みごたえあり、官兵衛の有岡城幽閉もあり、見ていて苦しい状況が続くが、一方で城攻めの醍醐味を味わえる。又官兵衛と半兵衛の友情も大いに感じるところあり。

  • 黒田官兵衛の生涯を描いた歴史小説第三巻。

    以下引用~
    ・高山右近が、この時代にあって倫理的行動という、めずらしい行動律をもった男であることは、右の消息がよく物語っている。
    ・・・官兵衛の倫理的姿勢は、右近における刃のようなするどさはもたないにせよ、根は同じかもしれない。天主(でうす)のみをおそれ、自己を信仰と信念で成立させ、みずから信ずるところに従って死をも怖れないというのは、この時代の奉教人に共通している気分であった。
    ・竹中半兵衛の才能は、栄達への野心を捨てたところに息づいていた。錯綜した敵味方の物理的状勢や心理状況を考え続けて、ついに一点の結論を見出すには、水のような澄明な心事をつねに持っていなければならない、と官兵衛はつねに考えている。
    ・官兵衛は、栗山善助にもいった。
    「合戦というのは、元来が異常なことだ。この異常なことをおのれらとともにやっているのは敵だけであり、それを思えば戦う者にとって敵ほど可愛いものがあるか」
    ・官兵衛は盗人に言い渡したのは罪の量刑だけであり、執行するとはいっていない。また奉行たる者は赦してやってほしいと頼みにくるのが本筋であるべきなのに、逆に刑の執行をせまるとは何事か、ということであった。戦国期の高名な大名というのは一般に人を殺すことが少なかったが、人命は貴い、と積極的に、思想として言ったのは官兵衛ぐらいのものかと思える。

  • 手に汗をして働いたことのない人物には通常、倫理感覚は育ちにくい。

    死後このように言われるようにはなりたくないものだ。

  • 膨張していく織田信長勢力圏。
    いよいよクライマックスへ。
    どんな場面でも涼やかな黒田官兵衛がカッコイイ。

  • 荒木村重の逃亡についての描写は,なんとなくだが司馬さんの理解が正しいように思う。司馬さんも描ききれてないようにも読めたが。

  •  たしかに官兵衛は妙な男だった。
     この男はつねに、物事を、表と裏や前後左右から見てしまうために、藤兵衛への絶対的な怨恨というものが、心の中で成立しにくいのである。
     悪い取巻がいた。藤兵衛はその取巻連中との政争にやぶれたわけであって、藤兵衛を恨むわけにはいかない、と思っている。

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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