- Amazon.co.jp ・本 (664ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062747813
感想・レビュー・書評
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当たり前に読んでいる今の口語の文体への挑戦。表現への挑戦。バトンを渡しながら確立されていく過程と明治という時代のおもしろさ。
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平田オリザの「青年団」がお芝居にしているそうで、見たいのだけれど、東京は遠い。町田康は読めないけど、高橋源一郎にはハマったという若い人の意見を聞いて、首を傾げたりしている。まあ、町田と高橋は違うけど。でも、そういう人は初めの頃の高橋君も読んでみるといいと思う。ひょっとしたら・・・・。
考えていたら、なんか気分が変になってきた。この小説を面白く読みながら、つくづく、高橋君も年をとったんだと、ぼくは思ったけど。
どこまで行っても、彼が書こうとしている「小説」とやらの正体がわからないのは、つづくのかな。そんなふうにも感じたりした。そりゃあ、胃潰瘍にもなるよな。 -
伝言ダイヤルで女子高生と援助交際しまくったあげくブルセラショップの店長になってしまう石川啄木や、自然主義文学における「露骨なる描写」を追求するあまりAV監督として試行錯誤する田山花袋など、子孫から名誉棄損で訴えられそうなくらいぶっとんだパラレル文豪エピソード満載なのだけど、なんと、これが、ものすごく文学史の勉強になるお役立ち本でもあるという凄い1冊(笑)
例えば「日本で初めて言文一致体で書かれた二葉亭四迷の『浮雲』」とか「日本の自然主義文学に革命をもたらした田山花袋の『蒲団』」だとか、テスト勉強で丸覚えした記憶はあるけれど、じゃあ言文一致とは何か、自然主義とはどういうものか、それらが近代文学にもたらしたものはなにか、と問われればそれはよく知りません、というのが恥ずかしながらただの読書好きの一般人にすぎない私の現実。でもこの本を読むと、なんとそれがわかるようになる!(気がする)
おもな登場人物は二葉亭四迷、石川啄木、島崎藤村、北村透谷、国木田独歩、田山花袋、夏目漱石、森鴎外、樋口一葉、尾崎紅葉ら明治の文豪と伊良子清白、河井醉茗、横瀬夜雨といった同じく明治の詩人たち。正直、国語の教科書で名前は知っているけど読んだことはない、という作家も多数。なぜか胃潰瘍で入院中の高橋源一郎本人も登場して同室のベッドに同じく胃潰瘍の夏目漱石がいたり、あげく自らの胃カメラ写真をカラーで何ページも挿入・・・これも自然主義の一環なのか?(苦笑)
本書におけるキャラクター崩壊気味の啄木の短歌や藤村の詩(もちろん捏造)を、実は穂村弘や谷川俊太郎が書き下ろしているというのもなんとも贅沢。
夏目漱石の「こころ」で先生の遺書の中に登場する友人Kについての考察などは真面目に興味深かった。私は「こころ」があまり好きではなかったのだけれど、そういう裏事情を想像しながら読めばまた違った楽しみ方ができるかも。北村透谷と島崎藤村の友情はいっそ萌えだった。そしてどんなにふざけちらかしていても、ふと真顔に戻る瞬間のセンチメンタリズムたるや。
たとえば二葉亭四迷がとくに面識もない森鴎外に突然会いにきて、大した話もせずに帰っていくが、二度と会うことなく亡くなる。「その時になってはじめて鴎外は気づいたのだ。あの時二葉亭は、一度も会ったことのない自分に別れを告げに来たのではなかったか。(19頁)」というくだりなど、なぜか無闇に泣きたくなる。
文庫で650頁はかなり分厚いけれど、ひとつながりの物語ではなくいくつかの短編の集合体のような構成、しかし総じて、文豪たちの青春群像劇の印象を残す。非常にベタな感想だけれど、あらためて浮雲や蒲団その他の小説を読んでみたくなった。あと、そういえば、メジャーどころでは泉鏡花だけ全くといっていいほど出てこなかった不思議。何か理由があるのかしら? -
2010年02月03日~15日
面白かった。
面白かったのだが、もっと面白い高橋源一郎氏の作品が何冊もあることを知っている。 -
「文学」という不動の星のもと、明治時代の文士らの盛衰を、時空を断ち切りながら短い断章で語り継いでいく壮大な物語。当時を彷彿とさせ、ロマンあり、涙あり、笑いとナンセンスたっぷり、さすが高橋さん、見事な仕上がりです♪
冒頭は「死んだ男」の巻。大文豪、二葉亭四迷の葬儀の受付をしていた石川啄木、会葬者には夏目漱石や森鴎外など多数列席……そんな若き貧窮文士石川啄木のローマ字日記なるものは異様に読みにくいのですが興味深く……自由民権活動家の幸徳秋水の「大逆事件」をうけて、日本帝国の謀略に、さらには権力に敏感であるはずの文学の頽廃に怒り心頭に発した啄木は、大論考を書いて朝日新聞の漱石に発刊を依頼するのですが……一方当時の文壇は自然主義を謳歌しているころ、島崎藤村や田山花袋も登場します。花袋のパロディはやはりエロい(笑)。自然主義に辟易して独自の路線を歩んだ柳田国男の妖怪パロディがないのはちょっぴり残念~。
「原宿の大患」の巻は、語り手「わたし」の胃潰瘍大出血の顛末。漱石の「修善寺の大患」のパロディで、まぁ~生々しい写真つきで痛々しいのですが、ほんとに可笑しくて、ごめんなさい、大笑いしてしまいました。
「WHO IS K」は雰囲気変わって真面目の巻です。漱石「こころ」に登場する「K」は実在した人物なのか? それは一体誰? ミステリー仕立でハラハラドキドキ、結末はひんやりと身も心も粟立つ……冷
それにしても高橋さんは無類の漱石ファンで、彼の作品のここかしこに漱石キャラや漱石作品がちりばめられていて楽しいですね。また二葉亭四迷の日本人と文学の切ないつぶやきや、ひたすら純で世渡り下手な貧乏青年啄木の哀切……。
明治時代の文士のキャラをうまくつかんで、史実と虚構を綯交ぜにしながら、パロディと諧ぎゃくを巧みに織り込み、「日本文学」をまじめに遊びたおしています! -
こころ、のkの正体が、
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章ごとのバラツキが大きいというか、面白いなーと思う場面があったかと思えば、全然面白くない場面があったりする。田山花袋がAV監督に挑戦するところとかはページを捲る手が止まらないほどだった。けど、終盤は読んでて寝てしまいそうなほど退屈だった。なんだかんだ言っても結局は、高橋源一郎はブンガクの人なんだなぁ、と思わせた作品でした。