ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062748698

作品紹介・あらすじ

あらゆる物事を深刻に考えすぎないようにすること、あらゆる物事と自分の間にしかるべき距離を置くこと-。あたらしい僕の大学生活はこうしてはじまった。自殺した親友キズキ、その恋人の直子、同じ学部の緑。等身大の人物を登場させ、心の震えや感動、そして哀しみを淡々とせつないまでに描いた作品。

感想・レビュー・書評

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  • 物語を通じて性描写が多すぎてキモい!!!
    という生理的な反発のせいでまともに読めてない。

    セックスに何か意味を持たせようとする小説の技巧が無理。
    結局は性欲があってするくせにセックスに高尚な意味を後付けしようとするな。
    となると永沢しか勝たん。

  • 死は生の中に存在している。
    対極ではない。

    この言葉がすごく印象に残った。

    そしてラストスパート。
    色んなことを想像できる終わり方でびっくりした。

  • 作中では直子とハツミさんとキズキが自殺した。死は生の対極ではなく、他のことと同じように生の中に存在している。その死で登場人物の多くは繋がりを持っており、セックスが何回か描かれたのは=生の象徴であったような感じがする。ラストで自分がどこにいるのか分からなくなっていたワタナベは、今までいたこちら側ではなく、あちら側(3人が生きている時も死んでいる時も含む)の世界に迷いこんでしまったのではないかと解釈した。それ(その場所)がノルウェイの森なのかなと。しかし、(上)の最初でワタナベが年を取って直子を回想していることから、森を抜け出し、自殺することはなかった。ただ、未だに直子を思い返しているあたり、少なくともみどりとは上手くいかなかったのかなと思う。ラストはかなり怒涛の展開で、最後のページを読み終えると、結局登場人物全員救われない話だなと感じた。ただ、小説だから心情の揺らぎだったり出来事を目立たせて書いたりしているけど、人生とか生きることってこんなもんなのかもしれない。どんなに寄り添っても歩み寄っても、人と人である以上、心が2つある以上、当人を理解することは絶対に出来ない。その当人も自分自身を理解出来ないから。自殺した3人は、本が好きだったんだろう。考えすぎているから。人生を楽に楽しく生きるためには、何も考えないで鈍感に生きることが一番かもしれない。そうすれば、小さな痛みとか気にしないで生きていける。何が幸せかは置いといて。

  • 読み終わってみれば、「100パーセントの恋愛小説」というよりは、「100%の片想い小説」という話だった。
    ま、片想いだって、恋愛は恋愛なんだけどさ(^^ゞ

    上巻第一章で、37歳の主人公が語る直子のことって、読んではいても、次の第二章から主人公が19歳だった頃の本編が始まるから、つい頭の中からすっぽ抜けちゃうんだけど。
    でも、終わってみれば、実は第一章にこそ、この話の顛末と「直子が何を思っていたか?」について書かれているんだよね。
    それが端的に書かれているのが以下(上巻)だ。
    “何故彼女が僕に向かって「私を忘れないで」と頼んだのか、その理由も今の僕にはわかる。もちろん直子は知っていたのだ。僕の中で彼女の記憶がいつか薄らいでいくであろうことを。だからこそ彼女は僕に訴えかけなければならなかったのだ。「私のことをいつまでもわすれないで。私が存在したことを覚えていて」と。
    そう考えると僕はたまらなく哀しい。何故なら直子は僕のことを愛してさえいなかったからだ。”

    おそらく、直子にとって主人公(ワタナベくん)というのは、生きている今、自分を気にかけてくれるという唯一の存在(死んだ後でも自分のことを記憶に留めておいてくれる友人)だったんだろう。
    だから、自分に会いに来てもらうために体を見せたり、手でしてあげたりと主人公(ワタナベくん)に必死にサービスしてあげることで、自分を気にかけてくれる唯一の相手を必死に繋ぎ止めようとしてたってことなんだろう。

    というのは、直子が体を見せるのはともかく、手で…みたいなのは読んでいてすごく違和感をおぼえたんだよね。
    だって、直子というのは主人公と同じ齢で。高校の時につき合っている相手がいたのはいたけど、そういう経験はほとんどしていない女性(というよりも女の子)だ。
    普通、そういう女の子は相手の男に好意を寄せていればいるほど(この場合は、相手を自分に引き付けようとすればするほど)、それをすることで相手の男にふしだらな女だと思われないように、そういうことをしないものだし。
    なにより、男が抱える宿痾wみたいな性の欲望や欲求・衝動を知らないどころか、想像すら出来ないような気がするのだ。
    (もっとも、キズキにそういうことを教えられていたという可能性はなくはない)

    ということは、直子はそのために、(おそらくはその寮で)そういう知識を得ていたということになる。
    そういうところだから、図書館はあるだろうし。
    たぶん、そういう知識を得るための本だって取り寄せられるんじゃないだろうか?
    そこまで考えていて、ふと思い出すのがレイコなんだよね。
    レイコって、どういう人だったんだろう?
    主人公のワタナベが見たまんま、本人から聞いたまんまの人なんだろうか?
    そもそも、レイコと直子って、実際はどういう関係だったんだろう?と、いろいろ想像してしまうのだ。

    レイコというと、自らが語っていた、ピアノを教えていた少女とのエピソードだ。
    もちろん、少女とレイコの関係が実は真逆だったとまでは思わない。
    ただ、それでも、レイコという人は実は同性を求める傾向が強い人なんじゃないだろうか?
    そして、それは多かれ少なかれ、直子との間でもあったんじゃないか?
    ただ、それは直子が自分がレイコの欲望の対象になっていると感じるほど、露骨な関係ではなくて。
    なにより、レイコにとって直子は、世話を焼いてやることで相手が自分を必要と思ってくれることで自らの存在意義を見いだせてくれると思っていたような気がする。

    一方、直子はレイコのことを、肌と肌を合わせることで気持ちを穏やかにしてくれる的な、その場所で自分を庇護してくれる存在だと思っていたように思う。
    わかりやすく言うならば、部活のあこがれの先輩に甘えているみたいな感じ?
    ただ、先輩は先輩で同性愛の傾向がちょっとあり、その後輩にちょっと興味があったからつい…みたいな?(^_^;)

    その関係でいられればよかったんだけど、どこかの時点で直子はレイコに対して、ちょっと踏み込んだ感情を持つようになった。
    それは、主人公が直子に思いを書いた手紙を書いたり、あるいは直子の元に主人公のワタナベくんが訪ねてきたことがきっかけなのかはわからない。
    いずれにしても、直子とレイコの関係にワタナベが入ってくることで、高校時代のキズキと直子+ワタナベの関係に似た3人の関係がまた発生してしまった。
    (この小説は、2人+ワタナベという3人の関係が発生した時、2人の内の1人が自殺する展開が繰り返される)

    その3人の関係が発生したことで、直子は「ワタナベくんは私にこんなにもぞっこんなのよ」と見せつけることで、レイコにジェラシーの気持ちを抱かせようとした。
    いや、それが3人の関係が発生したからかどうかはわからない。
    たんに直子の中で、レイコの存在が自分を庇護してくれる心から信頼できる相手から、恋に近い感情を持つ相手へと変わっていったことで、(直子は)レイコをもっと自分に引きつけるためにジェラシーを抱かせようとしたということなのかもしれない。

    というか、全然そういうことではなくて。
    直子は、青春時代という人生の華やかな時期にそういう寮で療養しなきゃならない自分が寂しくて。
    だから、かつて、キズキとともに3人の楽しい時間を過ごしたその3人の一人であるワタナベくんが自分を恋慕う様子を見て、直子は自分を慰めていただけなのかもしれない。

    いずれにしても、37歳になった主人公が語っているように、“直子は僕のことを愛してさえいなかった”、つまり、ワタナベの勘違いによる100%片想いなんだと思うのだ。
    つまり、直子が当時思っていたことというのは、「私のことをいつまでもわすれないで。私が存在したことを覚えていて」だけで。
    その思いを頼めるのは、ワタナベくんだけだった。
    だから、直子はワタナベくんに体を見せたり、手でしてあげたりした。
    そういうことのように思うかな?
    であれば、直子が主人公にそういったことをしてあげた理由がよくわかる。

    いや、だからって、直子が身勝手とか、ワタナベの好意を利用したとか、そういうことではなくて。
    著者は、そういったことをしてでも自らの生にしがみ続けようとする人の哀しさというものを描いているんだと思う。
    (ただし、そこには著者による茶化しやギャグも多分に含まれているw)



    個人的には、ラスト、電話ボックスから緑に電話をかけていて、そこがどこかわからなくなった主人公のワタナベはその後、自殺したんだと思った。
    もちろん、上巻の冒頭で37歳になった主人公が語っているんだから、それは未遂だったんだろう。
    これはあくまで個人的な考えだけど、自殺しようとして自殺出来る人なんて絶対いなくて。自殺というのは発作的に、あるいは無意識に気づいたら死に向かって行動をしていて、その結果死んでしまったのが自殺なんだと思っている。
    だから、そのタイミングで、ワタナベが発作的に自ら死に向かう行動をとっていてもおかしくはない。

    ワタナベが電話ボックスに入って、緑に電話をかけたのがいつだったのかは書かれていない。
    ただ、それはレイコとのひと時の幸せな邂逅(ワタナベにとっては、おそらく初めての心穏やかにした女性との交わりだったはず)のすぐ後に描かれている。
    それを素直に読んじゃうならば、それはワタナベが自ら死に向かっての行動をしてしまう、まさにそのタイミングだったように思うかな?
    直子という想う相手を失ってしまった主人公にとって、レイコと過ごした穏やかで楽しい時間はあまりに幸せすぎた。
    もちろん、それ以上の幸せを与えてくれるかもしれない、緑の存在はあった。
    でも、直子をなくして心が弱っている主人公にとって、みどりは生の活気に満ち満ちすぎていて眩しすぎた。
    だから、目が眩んでそっちには向かえず、無意識的に自ら死へと向かってしまった…。

    そんな風に思ってしまうのは、上巻の冒頭、1987年のシーンで緑のことが一切語られないからだ。
    おそらく、主人公のワタナベと緑がつきあったとしても、長くは続かなかったろう。
    適当な時に緑に飽きられて(呆れられて?)、一方的に捨てられたはずだ(^^ゞ
    (だって、ワタナベは村上春樹の小説の主人公だw)
    とはいえ、それが短かろうと長かろうと、緑とつきあってさえいれば、ワタナベの心は直子への想いを断ち切ることができる。
    いったんでもいいから直子を忘れられたならば、たぶんワタナベは他の相手ともいい思い出をつくっていたはずだ。
    なのに、そこに直子の名前しか出てこないということは、電話ボックスに入ったワタナベは緑と会うことがなかったということだ。
    緑と会わなくて、緑との関係を持てなかったことで、ワタナベは直子への想いを断ち切ることが出来なかった。
    直子への想いを断ち切れなかったことで、ワタナベは37歳になっても19歳の頃のように性欲を満たすためだけにしか女性とつきあうことが出来ない、寂しい人だったんだろう。
    もっとも。
    そこで、直子以外に緑やその他女性の名前がぞろぞろ出てきちゃったら、このお話が台無しになっちゃうという事情はあるんだろうけどさ(爆)



    そういえば、村上春樹の本の感想を読んでいると、「こんな男なのになぜか女にモテる」みたいに書かれているのをよく目にするけど。
    それは、今はわかりにくいと思うけど、この当時(1968〜69年)というのは二人兄弟、三人兄弟というのが普通だったからというのがあるように思う(兄弟にはもちろん姉妹も含まれるよw)。
    自分はワタナベ(村上春樹)よりはずっと下だから。
    1968年当時のリアルは知らないけど、それでも二人兄弟、三人兄弟は普通で。一人っ子は、クラス(当時は50人弱)の中で2、3人だった。
    兄弟の数が多いから、当然、近所にいる子どもの数も多かった。
    兄弟が多いのが当たり前だったから、あるいは、近所に子供が沢山いるから、当時はどの子供も小さい子の面倒を見たりするのは普通だったのだ。
    特に当時の価値観だと、女の子は小さい子の面倒をみる子が良い子とされた(もちろん、男の子だって、小さい子を面倒みる子は褒められた)。

    このお話の当時というのはそういう時代だ。
    誰しも多かれ少なかれ小さい子の面倒をみるという経験を持っていたから、女性(女の子)からしたらワタナベのようなか弱い男に、つい世話を焼いてしまう。
    そこから男女の関係に進んでいくっていうのは、結構普通だったんじゃないだろうか?(もっとも、それは今でも普通にある恋愛形態だろう)
    思い返してみれば、自分も小学校低学年くらいまでは近所のお姉さんたちから、いろいろ世話を焼かれていた方だった(^^ゞ

    さらに言えば、このワタナベという男は常に受け身だから女性から見たら、人畜無害オーラを発していて近寄りやすい。
    可愛気もある。
    なにより、このワタナベというのは、他の男と違って代わり映えしてる(爆)
    「世界中のジャングルの虎がみんなバターになってしまうくらい好きだ」って言われて、落ちない女はおそらくいない。
    今だと「そんなんじゃ落ちない!」とか「女をバカにしている」みたいに怒り出す変な人wはいくらでもいるんだろうけど、それはその場にいなくてそれをイメージ出来ないだけだ。
    どこまで真に受けるかは人それぞれだろうけど、実際に言われたら、気持ちはふわっと軽くなる。
    気持ちが軽くなるのは誰でも心地いいことだから、相手に好意の感情が芽生える。
    そうなってしまえば、それは女と男だ。
    多少のアバタはエクボに見えてくるから心がわきたってくるから、気づけば落ちている。
    ていうか、誰だって、そういう風に恋に落ちてみたい。
    男も女もそれは同じだ。
    「今の若者は恋愛に興味がない」なんていうマスコミのデタラメを鵜呑みにしているのは主人公のワタナベと一緒だ。
    ワタナベのように寂しく、虚しく、つまらない人生をおくりたいと思う人はいないはずだ(^_^;)

    男だろうが女だろうが、所詮はどれもこれも大差はないw
    異性の心を捉える極意は、なんでもいいから相手に他とちょっと代わり映えすることをみせてやることだ。
    悲しいかな、自分はやったことないけどさ(爆)

    でも、代わり映えすることで異性の心を捉えられても、それだけで関係は続かない。
    だから、主人公はあっちでエッチ、こっちでエッチ、そっちでエッチしても、しただけで終わるw
    それは、主人公のワタナベは男ならではの性の欲求としてエッチしているだけで、相手とコミュニケーションをすることを望んではいないからだというのはある。
    というか、ワタナベの場合は相手とコミュニケーションをすることを最初っから放棄しているって言った方がいいのかな?
    それはワタナベの中にある鼻持ちならない選民意識、というか、たんなる自意識過剰にすぎなくて。
    独り語りの中でこそ相手の女性を尊重しているようだけど、実際やっていることは「カンタンに寝る女なんてオレの性欲処理係でしかないぜ」的な、井の中の蛙にすぎないからこその身勝手な上から目線なわけだ。
    (だからこそ、ワタナベはキズキや永沢といった優れた友人との交友を語るわけじゃん)

    ただ、一方で主人公のワタナベというのは、自分がしている性の欲求を満たすためだけのエッチを虚しくて意味のないものだということもちゃんとわかっている。
    読者からしたら、「こんなチンケなヤツがなんでこんなにモテまくりエッチしまくりなんだ? チキショー。うらやましーぜw」と思ってしまいがちだけど(^^ゞ
    ワタナベからしたら、それは楽しいことでも、ワクワクすることでもなくて。
    だから、どんなにそれをしようとも、ワタナベは不幸せなのだ。
    ワタナベにとっては、自らの中にある唯一の無邪気な幸せだったキズキと直子+自分という3人の思い出こそが最上の価値観だった。
    だから、他の女性と関係を持っても、その女性のつまらないところを見ることしか出来ない。
    そんな相手とエッチしたところで、それは性欲を処理するだけの快楽でしかない。
    結局、ワタナベというのはどんなに女性と関係を持っても幸せを感じることの出来ない、言ってみれば不幸せしか感じることの出来ない人だった。
    ある意味、ワタナベというのは、キズキと直子+自分という3人の関係の一人である直子を想いさえすれば自分は幸せになれる、という幻想にすがっていただけなんだろう。


    そんな不幸せな主人公のワタナベがした、(このお話の中で)唯一、幸せな女性との性的な交わりが最後の第11章のレイコとのそれだった。
    というか、ワタナベは、レイコとの性的な交わりだけが幸せだったのではなくて。
    レイコという、齢が離れていたとしてもお互いに心と心を通わせられる、対等な関係の男女のコミュニケーション(ビール飲んで、すき焼き食べて、おしゃべりして、ギター弾いて、笑い合って…)の中でしたの中の一つとしてのそれだったからこそ、それはワタナベにとって幸せなことだったんだろうけどね。

    それって、性欲だけでするんでもなければ、永沢のようにゲームのゴールとしてだけするわけじゃないじゃない?
    子孫を残すためはもちろんだけどw、相手への興味とか、相手を思う気持ちとか、相手に喜んで/悦んでもらいたいとか、相手との関係を深めるためとか、たんに相手が好きだからとか、癒やしとか、他にすることがないからとかw、たんなるレクリエーションとかw、ただしたくなっただけとかw、激情にかられたとか、衝動に突き動かされたとか、する理由や目的はいろいろあると思うんだけど(^^ゞ
    することで何かを忘れられるからするっていうのもあると思うのだ。
    言ってみれば、一種の憑きもの落とし?(爆)

    そういう意味で、レイコとの交わりはワタナベの憑きものを落としたんだろう。
    だから、それはこの小説の最後に書かれている。
    そういうことなんじゃないかな?

    ただ、ワタナベの憑きものは完全に落ちたわけではなかった。
    おそらく、生気に満ちたみどりと話すことで、ワタナベは自分が自意識過剰な井の中の蛙にすぎないというコンプレックスを思い出してしまったんじゃないだろうか?
    そう考えると、永沢がワタナベに言った「自分に同情するな」、「自分に同情するのは愚か者だ」というのは、主人公にそういうところがあると思ったからこそ、それを言ったんだろう。
    そして、それは「ワタナベのように自己憐憫に浸ってはいけない」という、著者から読者への注意書きでもあるように思う。

  • 前編もすごかったけど後半はもっとすごい…
    読んだあとはしばらく放心状態でした。
    どうしてこんなに一人一人に命を吹き込んだ小説を書けるのだろうと感動しました。
    私はやっぱり緑ちゃんが好きです。もちろん他の登場人物もみんな好きです。それぞれの考え方があって生き方があってとても考えさせられました。不完全さこそ美しいと思います。

    愛と生と喪失の物語。1枚のヴェールを挟んだ先を見ているように朧げで淡いけれど、心に迫ってくる作品です。
    私の人生に大きく影響を与える一冊になりました。
    もっとはやく村上春樹先生の本を読んでおけば良かった…!

  • 話は別に面白くないけど文章・言葉選びが面白い
    心情の比喩とか、心情による景色の見え方とかそういう心の内側に関する表現がうまいなと思った

    主人公が超俯瞰的で論理的なせいで物語が淡々と進む、山あり谷ありのはずなんだけど主人公がいつも静かに感情を消化してるせいで平坦にも思える
    つまり、主人公のモノローグにちょっと飽きる
    だけどお涙頂戴感が0である!から、お洒落にも見えるし読みやすい

  • 美しい文章なので最後までさくさくと読了。
    だけど、病んでいる人ばっかり。

    物語自体が面白いかというと別にそうでもないのだけど、美しい文章と地に足がついているようで案外そうでもない人たちのなかから何かしら学びはあるような気がするのが村上春樹ワールドですな。

  • とても好きでしたね。
    淡々と、終始漂う北欧映画のような、寒々しい雰囲気が好きでした。

    「キズキ」になれなかった人達、という印象。
    結局みんなキズキ(のような存在)になりたかったんじゃないのかと思った。
    ただ、その中で緑だけは違った。
    だから、ワタナベは惹かれたのかなと思う。

    とにかくあらゆる描写が卓逸で、ため息出た。
    どの描写も完璧にその情景が頭に浮かぶ。
    性的描写は勿論だけど、頭の中の妄想・想像の描写というか、それがあまりにも的確でえぐい。
    頭の中で考えていることなのに、その描写が的確で、誰もが同じような場面・景色を想像出来るんじゃないかと感じた。

    ビートルズをより知っていたら、もっと楽しめたんだろうなと思うと、ちょっと悲しい。あのクライマックスに、気持ちが乗り切れないのは勿体無いなあ。

  • ノルウェイの森上にも言えることだけど、性的描写が生々しくて文字越しにも伝わってくる。
    正直かなり好き。

  • やれやれ系主人公は既にこれで確立。内容は、まあ、ポストモダン。

  • 面白かったけど、複雑。
    官能表現が苦手だから、その部分を除けば最高だったけど、でもそこが醍醐味だったりするから…
    上巻の透き通った女性感を与える直子の描写は好きだった。下巻はレイコやっぱ良い人すぎる。
    村上春樹の長編、初めて読んだけど、やっぱり固有名詞が心地よい。。。

  • ずっーと止まらなかった
    いろんなことが起こりすぎて映画みたいな感じ
    ほぼ官能小説だけどそういう描写も村上春樹らしいよね

  • いやー大人の恋愛やなあ。衝撃の連続だし。人間の複雑さを描いていたなぁ。いや、でも最後の方の
    ワタナベとレイコの交りのシーンだけ、ちょっとよく分からなかった。コレもまた大人の恋愛の一つかなぁ?まぁあ、総合的にはおもしろった。止まらなかったです!

  • 後半面白かった。
    永沢さん曰く、自分に同情するやつは下劣。
    直子が死んだ理由がわからない。自分に嫌気がさしたのかな。
    ハツミさんも自殺した。好きだったので寂しい。
    玲子さんと関係を持つのはなぜ。蛇足な気がする。
    直子と緑を選ばなければいけない状況が良かった。
    意識して選択することの面白さを最近感じてる。似ている気がした。

  • ミドリちゃんはかなりぶっ飛んでいる…
    と思ったけどいたなぁこういう子。私は嫌いじゃなかった。嘘付かないから。周りに人がいる時は困るけど。

    ワタナベくんは付き合いがとてもよろしい。誠実っていうのは親身になるってこととは違うんだな。
    とにかく、とことん、じっくり、話を聞くこと。
    でも彼、井戸に落ちちゃったんじゃないの?大丈夫かな?

    ファンタジー世界に行くことが無いから、彼らの内面をリアリティを持って眺めることができた。彼らは生きたいと思った時に性交する。死に絡め取られるとき、それは成就しない。誠実に生と死と性と心を描いた作品だと思う。
    妻夫木聡さんのナレーションは雰囲気に合っていてとても良かった。とにかく性的な描写が多いうえに詳細で「これ口に出して読むの?素面で?正気か?」って思うくらいだけど、朗読が無かったら私には読みすすめられない作品だったから助かった。
    この作品が世界に熱狂的に迎え入れられる理由を感じ取ることは出来なかったけれど、最後まで知ることが出来て良かったなとは思う。

    ビートルズの原曲の歌詞を調べるとなんともしょんぼりした内容だけども、メロディーの世界観はマッチしてると思うな。翻訳して出版した時のタイトルは「Norwegian Wood」だったのだろうか。森じゃないらしいけど、海外には日本よりもストレートに分かってもらえるのかもしれないな。

  • 自分に同情するな
    このセリフが自分にとても響いた

  • まずビートルズを知らずには楽しめないのでは?と思ってしまう内容。
    上巻は特にビートルズのノルウェイの森に近い部分があるし、レイコが弾く曲のセレクトも納得がいくものばかり。生と死について直接的でなくとも考えてしまうのがビートルズだからだ。
    下巻は次第にワタナベのことが嫌いになっていった、弱く、記憶にあるのは幻想だけだから。
    と思ってたのに、終わり方が良くて悔しい。面白い。私まで取り残されてしまった。

    ところで直子はどんな人だったのだろう、レイコさんのほうが痩せていて小柄だとはそう書いてあるまで想像できなかった。

  • ふわふわと浮いているような文体の中で、何か深い意味のありそうな出来事が流れていく。この上なく心地よかった。

    純文学とされている小説を読み終えた後は良い意味で消化不良な読了感が永遠と続く事が多いが、この本に限っては何だが心地よかった。作者が意図的に事象を不明瞭にして、解決や対峙から逃避するため、起きた事象について考えを巡らせるのも無意味に思える。
    結局何処へ行っても、自分が何なのかわかるようになる日は来ないのだから、やれやれだと言って混ざり合うのが正解なんじゃないかな。少なくともノルウェイの森の中では。

    メッセージ性、作者の主張がとてもわかりにくい。全てがモヤがかかったようにフワフワとしていて現実感がない。そのせいで感動はできないし、意味も見いだせない。それ自体がこの作品の主張だと思う。主人公にとって現実感があるのは射精だけで、それ以外は殆ど意味がない(幻想に近い)。
    主人公は意味ありげな事を言いながら、しかし実際には射精ばかりしている。そして最後には、そのせいで自分が何だかわからなくなる。
    村上春樹はそんな主人公を通して、当時の若者を批判し冷笑しているんだと思う。「お前らの悩みなんて射精程度のものだろ」

  • トータルでキレイな本だなと感じた

    10年ごとに読み返してその時代でどう感じるか確かめたいと思った

    色々なことが便利になり簡素化され人間って退化しているんじゃないのかな 

  • 自分に同情しない

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著者プロフィール

1949年京都府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。79年『風の歌を聴け』で「群像新人文学賞」を受賞し、デビュー。82年『羊をめぐる冒険』で、「野間文芸新人賞」受賞する。87年に刊行した『ノルウェイの森』が、累計1000万部超えのベストセラーとなる。海外でも高く評価され、06年「フランツ・カフカ賞」、09年「エルサレム賞」、11年「カタルーニャ国際賞」等を受賞する。その他長編作に、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』、短編小説集に、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』『一人称単数』、訳書に、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』『ティファニーで朝食を』『バット・ビューティフル』等がある。

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