文庫版 今昔続百鬼 雲 〈多々良先生行状記〉 (講談社文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (770ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062754200

感想・レビュー・書評

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  • 面白かった。

  • 妖怪っておもしろい

  • 山梨県山中で嵐にあい、ぶどう工場誘致で二分する村の事件に、
    長野県雪中で遭難し、温泉掘削工事詐欺の事件に、
    群馬県山奥で積雪による足止めをくらい、山村リゾート開発事件に、
    山形県湯殿山で盗難にあい、危うく仏にされかけた。

    事件に巻き込まれるうちに、鳥山石燕「画図百鬼夜行」の妖怪や、民俗歴史宗教学、そして自分の差別意識や偏見に気づける仕組みがすごい。

  • 再読。昔読んだ時は「まぁこんなもんか」程度の感想しか持たなかったが今読んでみると普通に面白い。前はそんなに思わなかったのだが多々良先生のキャラがユーモアでとても良い。傍から眺めている分には面白い人物なのだろうが、いざ関わってみるとこんなにも腹が立つだろう人物はそうそういないだろう。今作は多々良先生をメインとしてその彼に振り回される沼上さん視点で物語は進む。百鬼夜行シリーズのキャラは最後の話にしか登場しないのでそこらへんはシリーズのファンからすれば少々物足りないかな。

  • 『塗仏の宴』に出てきた多々良勝五郎主役のスピンオフ。
    『塗仏の宴』ではやたらと民俗学寄りだった(注:自分は民俗学専門じゃないので、妖怪研究は民俗学じゃない! と憤慨される面々にはお詫びします)多々良の物語は実はあまり興味がなくて、しかも『姑獲鳥の夏』より前の話だというので、多々良と教師時代の中禅寺が妖怪談義しまくる場面を想像してしまい、ほぼ課題図書として読んだ感じ。
    そしたら、予想に反して中禅寺は最後にしか登場せず、多々良と相棒(?)の沼上蓮次が、過去の調査旅行記というか物(伝説)見遊山のさなか事件に巻き込まれたエピソードを、沼上が今の時点から回想する、という趣向で、それなりに面白かった。
    語り手である沼上の一人称の語り口は、長編の関口とは全然違って俗っぽくて軽妙で、なんだか違うシリーズみたい。

    私にとって一番面白かったのは、石燕の妖怪絵の絵解きだった。
    どこまで先行研究に基づいてるのか(それとも京極夏彦のオリジナルなのか)全く分からないけど、洒落ありーの、内輪ネタありーの解釈は、良い意味で下らなくて江戸らしい。石燕は絵双紙系の文化圏の住人だから、多分その解釈で合ってる。なのに後世それが分からなくなって、河鍋暁斎なんかが写して真面目な妖怪として絵巻にしたりしてるの、なんか可笑しいというか罪深い。

    ただ、多々良は、一連のシリーズに出てくる数多の変人の中で唯一の厭なヤツだった(笑)。
    本作品読んだあとで『塗仏の宴』を再読すると、生まれ変わったのかと思うくらい多々良の人格が変わってる。本作品の多々良は良識が全く無い失礼なだけのデブである。
    この2~3年で彼に何かあったのだろうか…。

    ・「岸涯小僧」…調査旅行中に文無しになり、山梨で妖怪好きの家に身を寄せると、近くの川で人の遺体が発見される話。犬がたくさん出てくる。

    ・「泥田坊」…調査旅行中に文無しとなり、長野の物忌み中の村の一軒に止宿すると、その家の主が翌日殺されてる話。

    ・「手の目」…長野から群馬に抜ける際、ある村の男どもが按摩の博打打ちにこてんぱんにされたのを救おうとして、自分たちもこてんぱんにされそうになったのに、按摩が自滅した話。

    ・「古庫裏婆」…山形で物盗りに遭った挙げ句、即身仏にされかける話。
    中禅寺はここにだけ出てくる。知り合い以外から憑き物落としの依頼を受けてて、ほんとに副業なんたと思った(笑)。
    里村が『姑獲鳥の夏』で言ってた、以前出羽の即身仏を解剖したことがある、って台詞がまさかここで回収されるとは。
    里村可愛い。

  • 4-

  • [岸崖小僧]
     多々良勝五郎というキャラクターは、本編で京極堂が妖怪好きだとして語っていたし、塗仏の宴で登場した時も強烈なインパクトを残した。その多々良と、五徳猫にも登場した沼上蓮次がペアとなって事件に巻き込まれていく。
     二人は妖怪伝承や伝説伝承を探して貧乏旅行をしているが喧嘩ばかり。正直この二人に混じって旅はしたくない。最初は多々良が凄まじいなと思ってきたが、文句を言いながら付き合っている沼上も同じようなものではないかと思えてきた。
     この話では、旅行をして山道を歩いていた二人は、川辺で大きな水音と「カッパ」と呼ぶ声を耳にする。その声に惹かれて村へ進むと妖怪好きの地主に出会う。
     多々良は画図百鬼夜行を研究しているので口を開くとこの本のことしか話さない。なので岸崖小僧という妖怪と絡めて事件を説き明かそうとするが、全然当たっていなくて書類を奪う所をカッパという犬に噛み付かれて川に落ちて死んだだけだった。こういう外した感じは著者の短編ではよくある。あまり気を張らずに見れるので面白い。
    [泥田坊]
     二人は相変わらず喧嘩をしていて、雪山で遭難しかけていた。村を見つけたが、その村は物忌み中で客を入れてはくれない。家の前には何か黒い影がモゾモゾと動いていた。
     そして、東京で暮らしていて帰省した田岡という人の家に泊めてもらう。田岡の父は詐欺に騙されそうだが聞き入れたもらえずに、今日はお祈りをしにいっているようだ。
     この事件も多々良が妖怪の話をようようとしていると、田岡が自分のことを言われていると思って自供した。田岡の父は縺れた時にナイフが首に入って倒れた。だが、そのナイフが血止めの役割を果たして息を吹き返したのだが、神社の前で首に違和感を感じてナイフを抜き死んでしまう。
     またもや多々良の妖怪話が偶然にも事件解決に近づいた。ただ、先の事件も、この事件も多々良が何をしなくてもいつかは解決しそうな事件ではある。こういう仕組みは、著者の他の作品でも多い。
    [手の目]
     またもや足止めをくらっている二人。その村では男たちが夜な夜な消えていて、女たちは遊郭に行っているんだろうと思っている。
     その実は、村に復讐をしようとして博打を持ちかけた盲目の按摩−富の市にみんなは金を取られていた。
     多々良はいつも通りだけど、沼上は戦争中は花札が得意でガンが出来た。富の市もガンが出来たが、多々良の機転でサイコロに変わった。だがそのサイコロは面によって音が違うイカサマサイコロで富の市は10年かけて技を磨いていた。それも多々良が歌ったり騒いだりするので邪魔されて、多々良の妖怪の閃きを自分に対する洞察だと勘違いした富の市は自白をし始めて、戦いは終わった。
     こういう博打の話を小説で読むのは面白い。長編で書いて欲しいとも思う。著者は博打はしないようだが、何事につけてもうまく書くし、イカサマに対しても情報が多くて楽しかった。
     今回も村人が魅了されたのは、富の市が人を使って騙そうとした開発事業だ。多々良が、妖怪を研究して日本中を回って分かることは、狭い村内でさえも文明開化の影響からは逃れられずに開発だ金儲けだが事件の肝になる。これは水木しげるが戦争中に行ったパプアニューギニアに、戦後に行った時の気持ちに似ているかもしれない。昔の村人は自給自足で毎日のんびり暮らしていたのだが、電気が来たり服が貰えたりすることで働かなくてはならない。そういう生活の中では、妖怪も精霊もいなくなってしまうのだろう。それは良いことの反面、情報だけは残しておいて欲しいなとも思うが、記録と記憶は違うというのが難しいことだ。
    [古庫裏婆]
     この話については本編では少し語られていた。いつもの二人と京極堂が初めて出会った話でもあり、本編と同じように京極堂が事件を解決する。この巻の他の話と違って、やはり本家本元の憑き物落としくるとスッキリはする。
     二人は展覧会で即身成仏した僧侶を見に行った。そこで、昔の知り合いに会って、そのミイラと似たものを写真を持っていた。
     そして二人はその影響もあってか東北旅行に決めて、旅先で喧嘩をして、荷物を盗まれて、先の展覧会で見たミイラのあった寺が無料で泊まれて食事が出来るという。
     実は、そこでは老婆と息子が、ミイラを作って売っている場所だった。沼上と多々良も捕まってミイラにされそうなところ、宿で出会った京極堂が来て助けてくれた。
     この話が一番、昔話でありそうなもので、日本のホラー感があって面白い。そんな上手くいくかよ、という思いもあるが短編で推進力があるので面白く見た。

  • お気の毒な沼上さんが主人公。
    多々良センセイに腹を立てたり呆れたり怒ったりしてるけど、ふっと流されてしまうところが、同好の士なのだなあ。
    「塗仏の宴」ではセンセイが意外と大事な役回りを任されていたけど、沼上さんと一緒だと駄目ね。キキキっとかって笑うしね。
    そしてやっぱり京極堂が出てくると、ぐっと締まる。
    そしてそして、富美ちゃんが可愛い。
    京極夏彦の女性観って、一度きちんと考えてみたい。馬鹿な女性って出てこないよねー。
    全然内容に触れてないけど、読むと面白いですよ。

  • 再読。

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著者プロフィール

1963年、北海道生まれ。小説家、意匠家。94年、『姑獲鳥の夏』でデビュー。96年『魍魎の匣』で日本推理作家協会賞、97年『嗤う伊右衛門』で泉鏡花文学賞、2003年『覘き小平次』で山本周五郎賞、04年『後巷説百物語』で直木賞、11年『西巷説百物語』で柴田錬三郎賞、22年『遠巷説百物語』で吉川英治文学賞を受賞。著書に『死ねばいいのに』『数えずの井戸』『オジいサン』『ヒトごろし』『書楼弔堂 破暁』『遠野物語Remix』『虚実妖怪百物語 序/破/急』 ほか多数。

「2023年 『遠巷説百物語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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