新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062763479

感想・レビュー・書評

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  • 数多くの本を読んできたわけではないけど、この小説は全然違う。自分の世界からかけ離れているものが多過ぎて途中で投げ出しそうになるが、最後まで食らいつくことができた。そして綿矢りさの解説で自分はまだまだちゃんと読めてないっていうのを痛感させられたし、加えてこういう解釈もあるのだと勉強になった。(途中で投げ出しそうになったとき解説に一回行けば良かったかなとも思う)
    中盤と最後ののリリーとリュウのやり取りと描写は釘付けになった。

  • ・物語の終始ドラッグと酒と性交と暴力など社会の暗い部分を描いていて、自分の生きている世界と全く違う別世界の感じがして不思議な感じがした。しかし自分のいるこの世界も彼らような世界も繋がっている同じ地面の上にあるということに途中で気付かされ、「知らないから理解できない」で突き放すのではなくこれも含めて知ろうとすることで自分の世界を広げられるように感じた。
    ・読んでいる時に気になったのは、五感の描写、特に匂いについての描写がとても多かったように感じた。さらに虫を食べた時などは読者のさまざまな感覚神経に訴えかけ、より立体感のある体感を得た。このような書き方をするのも書き手の主人公が常にドラッグで酩酊状態のため、常人より感覚が過敏になっているからではないかと思うとしっくりくるような感じがした。
    ・性描写の面では他の官能的小説よりも心の動きが少ないように感じた。単に肉体同士の接触であり、快感を得るための作業というように捉えられた。これも主人公がテレビをぼーっと見ているときのシーンと同じように心が動いていないことからくる描写だと感じた。
    ・最後までカオスでドタバタで常におかしなことが起きているような状況で物語が進んだ印象だったため、最後に黒い鳥を倒し、ほんの少しの希望が見えたところでの「限りなく透明なブルー」はとても切なく思えた。読み終わった後もその希望はあまりにも薄くて儚くて、彼らがこれからどう生きるのか不安で、しかし少しの希望でワクワクするような感覚を受けた。

  • H29.11.12 読了。

    ・いろんな意味で衝撃的な作品。文字を読むというより物語を眺めるという感じでした。ドラッグ・覚せい剤、乱交パーティ、セックスなどなど。また、虫を口に含む、腐った食べ物を口に含む、腕を切るなど目を覆いたくなる描写にはまいった。
    ・それでも最後まで読めたのは作者の文章力かな。

  • ・若者の青春 ドラッグ乱行暴力
    ・主人公の客観的な視点での表現
    ・ストーリー的には揺さぶるものはない。
    ・ただ文学的な描写は圧巻である

  •  暴力、セックス、ドラッグなどおよそ退廃と言える全てのものに浸かっている主人公がその毎日をただ見て、その中に綺麗なものを見い出そうとする話。
     登場人物がそれなりに多く、分からない用語もたくさんあり読むのに苦労した。最初は意味が分からないところもけっこうあった。エログロナンセンスだと言われても仕方ないと思うくらいには分からなかった。私は主人公がただ見ているのは自分がからっぽで中身を埋めたいからで、何かを求めてはいるけれどそれが何かは分からず、皆がいなくなると溜まったものを吐き出すように狂っているのかと思っていたが、綿矢りささんの解説を読み、私の解釈は違うのではないかと感じた。見ている中で主人公は傷ついていて、見る景色も変わっていってそれでも美しいものを求めているから狂っていくという解説をされており、それがしっくりきた。
     「ずっと僕はわけのわからないものに触れていた」という一節がこの小説の背骨なのだと思う。

  • 村上龍のデビュー作にして大ベストセラー作品だが、何と言っても描写が激烈である。もちろん、文章だけでそこまで読者に状況を想像させる村上龍の文章力が、他の作家と比べて群を抜いているのであろうが、とにかくグロテスクで刺激的な表現が多く、また癖のある文章だと感じた。ページ数はそこまでだが、非常に内容が重く濃い一冊である。

  • 限りなく透明に近いブルー // 村上龍


    テレビやネットではコカイン瀧がピエール使用で捕まったと大騒ぎしているけれど、村上龍がこれを書いた1976年頃はドラッグとセックスと暴力がとても薄い膜を挟んだ隣り合わせにあるような時代だったのかもしれない。

    だってこれ、ぜっーーーーたいに村上龍本人の話でしょう?笑。これが許される時代だったってすごいなぁ。

    ドラッグをやったことのある人にしか見えない世界がある。これはアメリカに住んでたのでよくわかる。自分にしか見えない世界を表現したくなる気持ちも想像はできる。実際に多くの有名アートはドラッグの作用や幻覚によってできたというのも間違いないと思う。まさにその視点でこの本全部が書かれていると思うのですが。

    真藤順丈の宝島を読んでから、戦後から70年代くらいまでのことをもっと知りたいと思って読み始めた。戦後もずっと米軍基地やアメリカの支配と日本から見放されたと感じていた沖縄、その頃東京ではどんな思いで人々が生きていたのだろう。

    限りなく透明に近いブルーは、東京と言えども福生の米軍基地に強く影響を受けている。そういう意味では思った以上に同時代の沖縄と東京がかけ離れてはいなかった。

    今は森茉莉の私の美の世界を読んでいます。こっちの方が近い時代の遠い話感がでるでしょう。

    時代を並べて本を読むのが好きです。

  • 『飛行機の音ではなかった。耳の後ろ側で飛んでいた虫の羽音だった。蝿よりも小さな虫は、目の前をしばらく旋回して暗い部屋の隅へと見えなくなった。』

    『血を縁に残したガラスの破片は夜明けの空気に染まりながら透明に近い。
    限りなく透明に近いブルーだ。僕は立ち上がり、自分のアパートに向かって歩きながら、このガラスみたいになりたいと思った。』

  • 村上龍のデビュー作にあたる作品。この前、twitter上のTLである人が「村上龍の本はどれも100円で買える」とつぶやいていて、なるほど確かにそうなんだよなぁ、と思った。100円で手軽に手に入る文学。というのはどうなのか。いや、全然いいんじゃないの、と思う。ウイルスのように、菌糸のように、その安価さでいろんなところに広まっていって、読まれていって、好き嫌い別れて、流通していく。作品としては、デビュー作には全てがあるとよく言われるものだけど、確かにこの作品もまだまだ未完成に近い荒削りな感じなのだけど、やっぱりそこには原石があるなぁ、と感じるわけである。(10/5/5)

  • 村上龍さんの1976年の作品。
    当時はサブカルだのなんなの騒がれたようです。
    時代背景を考えると衝撃作ではありますわな。

    いい子ちゃんで過ごしていれば知ることのない世界も、実の所身近なものかもしれない。だから若い人の文化、と一言で片付けてしまうことはできない。今も違う形で、あるいは同じことが、起こっているのだろうから。ドラッグ、いかがわしいパーティー、どす黒い感情のぶつかり合い。
    その一つ一つが、村上さんの手によって妙に艶めかしい表現であらわされる。まるで指で触れているかのような感覚とでも言うべきか。

    自分の周りにも「限りなく透明に近いブルー」なものは見つけられるかもしれない。血の色とは対照的で、輝きを放つその瞬間を見逃さないならば、きっと詩的に表現することができるのだろう。表現の面白さ、多彩さはこの本の一つの魅力だと思う。

著者プロフィール

一九五二年、長崎県佐世保市生まれ。 武蔵野美術大学中退。大学在学中の七六年に「限りなく透明に近いブルー」で群像新人文学賞、芥川賞を受賞。八一年に『コインロッカー・ベイビーズ』で野間文芸新人賞、九八年に『イン ザ・ミソスープ』で読売文学賞、二〇〇〇年に『共生虫』で谷崎潤一郎賞、〇五年に『半島を出よ』で野間文芸賞、毎日出版文化賞を受賞。経済トーク番組「カンブリア宮殿」(テレビ東京)のインタビュアーもつとめる。

「2020年 『すべての男は消耗品である。 最終巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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