- Amazon.co.jp ・本 (528ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062767705
作品紹介・あらすじ
処分官として派遣された松田道之が琉球に突きつけたのは、尚泰王の上京、清国への朝貢禁止、明治年号の強制など独立どころか藩としての体裁をも奪うものであった。琉球内部でも立場により意見が分かれ…。「世界で軍隊をいちばんきらうという琉球」がどう対処するのか。小説で沖縄問題の根源に迫る不朽の名作。
感想・レビュー・書評
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明治政府の琉球を日本に併合する5年間。琉球は日本であり、廃藩置県を押し進められる。この小説に描かれていることが、現代の沖縄に至る大きな影響を与えているように感じた。歴史の一幕を学べる小説。
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この本を読んだ限りは決して忘れてはいけない。武器を持たない国に生まれ、琉球王を頭に頂く人々の子孫が、太平洋戦争において、日本のために武器をとって戦ったというその事実を。
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武器も持たず中国とも日本とも交易をしていた平和な国を薩摩が武力で制圧して、明治維新で一方的に日本の領土にされて中国との交流を止められ、第2次世界大戦では戦場になって多くの犠牲を出し戦後は米軍に占領されて、本土復帰の後も基地は残っている。沖縄の人が本土にひとことでは表せない感情を持っているのは当然だと思う。
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状況描写やら会話が随分と冗長だなと思っていたら、おそらく、そういった冗長さで琉球官吏たちの心の機微を細かく描写したかったのだろう。意外なのは、処分官に対する僅かながらの同情心が感じられたことと、頑固党に対する冷めた視線である。特に印象に残ったののは「蒙昧」という用語が何度も出てきて、これはヤマト人の琉球国人に対するレッテルなのだが、その後の歴史を見るに、結局はその用語はヤマト人に何倍にもなって跳ね返っているのを後世の我々は思い知ることになる。そして、琉球国を日本国に、清をusa、ヤマト国を中国に置き換えるとどことなく当時の琉球国人に既視感を覚えてしまうことが否めない。
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【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/759364 -
地味だが、琉球が少し分かったような気になる
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沖縄って自然と日本の一部と思ってしまうが、こういう歴史があった事は認識しないといけないと改めて思った。もちろん今の常識で当時の琉球処分を理解して良いという事ではなくて、当時は当時の空気で当時の時代背景があった中で、こういう事が起きたという事なので、それの善悪はとても判断は難しい。琉球は外交の国で武器を持たなかった中。でも支配階級は居て、何らかの原因があってそういう構造が成立し得たのだろうが、平和な時代が続いた中で、そういう身分の差というのはどう正当化されたんだろう。士分の人にとっては、まさに天地がひっくり返る出来事であるが、日本の他の諸藩の武士もそうだったんだろう。それが内紛に繋がってもいるが、沖縄の士族には耐え難い事であったのだろう。でも農民や他の身分の人にとっては違う解釈も出来るし、誰の視点で整理するかで捉え方が違うと思った。そうは言っても後の歴史を知る我々はその後の沖縄での米軍との戦いやその後の米軍基地の負担など辛い出来事が続くことも知っている。何が良いのかは断定出来ないが、こういう背景は知っておくべきだと思った。
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「琉球処分」と聞くと、沖縄戦の悲劇や基地問題と結びつけたくなる処だが、ここで描かれている事件は、未開の封建士族たちが自分達の既得権益を守るために起こした子供じみた反抗に過ぎず、琉球住民のほとんどを占める百姓階級にとっては別世界のローカルな話である。沖縄に対するヤマトの態度に共通性を見いだすことは可能だが、この事件と現代を直接結びつけるのは短絡であろう。維新で会津の受けた悲惨な仕打ちを思えば沖縄だけ特別視すべき事情はなく、特段の同情も共感も持ちえなかった。
それとは別に明治維新の本質は斯くの如しかということもよくわかった。それは薩長士族による単なる軍事クーデターなのであって、盲目的に信奉すべきものではない。〇〇新選組とか××維新の会とか名乗る団体は全く信用ならない。 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/759364 -
歴史において「たられば」が禁句なのは承知していても、もしこの時に琉球が清国の下に置かれていたらどうだったのかと思わずにいられない。もちろんその後の日清関係を知る身としては、琉球人の行く末はさほど変わらなかった、あるいは却って悪くなったかもしれないとも思う。日本にとって沖縄とは何なのか、本書を読んで改めて考える。「沖縄県は国防のためにある」自嘲か自棄か、良朝の言葉に唸ってしまう。