ネットと愛国 (講談社+α文庫)

著者 :
  • 講談社
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感想 : 11
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  • Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062816328

感想・レビュー・書評

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  • 面白すぎて一気に読んでしまった。そういや「在特会」とか昔耳にしたことあったな〜と、なんとなく手に取ったのだが、読了後、どうして10年前に出会えてなかったんだろうという、なぞの後悔に襲われるほどに、読み物としても、時代の雰囲気や問題を伝えるルポとしても面白かった。良質なドキュメンタリー映画のようだった。

    本書はいわゆる「ネット右翼」の実態をまとめた本だ。活動内容、それまでの右翼団体との違い、参加者それぞれの人となりや精神的バックグラウンドまで丹念に調べてあり、読みごたえがある。

    まず、感心したのは著者の安定感。街頭で罵詈雑言を叫ぶ人間相手に、怯えられたり、怒鳴られたり、冷たくされつつも、時にしつこく、時に同情心をもって取材し続けるメンタルがすごい。実際のやり取りは見ていないので知らないが、少なくとも、文面上ではカウンセラーなみの安定感がある。だからこんなに突っ込んだ内容なのだろう。

    そうした人が謎の団体ついて紹介してくれたのがありがたかった。普通は触らぬ神に祟りなしだから、排他的でトラブルの気配がただようグループなど、気にはなっても関わりたくない。どうしてあんな事になっちゃってるんだろう、気は確かなのかと思いつつも、理解するために何かすることもないわけで、そのままであれば彼らと我らの間の溝は永遠に埋まらないだろう。

    在特会のトップからは最終的に拒絶されてしまったようだが、体当たりで懸命に世間と彼らを繋いでくれた著者は、実のところ彼らにとってありがたい存在だと思う。

    おかげさまで、本書が丁寧に証明するように、やっぱり在特会の主張には根拠がなかったが、彼らがああなってしまった理由については納得ができた。他人事、個人の問題として切り捨てるのではなく、社会の問題としてとらえているから、自分ごととしてスッと入ってきた。

    しかも、ちょうどこの本を読む直前までニール・ポストマン『愉しみながら死んでゆく 思考停止をもたらすテレビの恐怖』を読んでいたので、合わせると、なかなか興味深いものがあった。情報伝達技術の発展にともない、次第に情報はバラバラの断片として生活に入りこむようになり、テレビ時代が始まってから人々は筋道立てて物を考えなくなった訳だが、ネットの発明でそれがどう発展したかの一例が、まさに本書の事例ではなかろうか。

    テレビはまだ人をお茶の間という小さな公共空間に人を縛りつけたけど、在特会が活躍した時代の通信機器はパソコンやスマートフォンだ。それらパーソナルな情報受信機は、家という空間すらも分断してしまった。だからもう、同じ釜の飯を食う家族でも、スマホで何を読んでいるのか互いに知らない。

    みんなそれぞれに違う情報を得ているから話すら満足に通じない。できることと言えば、ブログやSNSで勝手に叫ぶだけだ。それこそ、一方通行な街頭演説をする在特会の姿そのものに思える。

    言うなればスマホ時代の現代人は、個室を「着て」歩いてるようなものだ。オフ会なるものは個室の持ちより。そこには生々しい個人同士のつながりはない。葛藤を我慢したり、気長に待ってまでキズナを育んだりしない。意見が違えば切り捨てればいいのだ。それがSNS時代の気軽な付き合いだ。

    でも、『星の王子さま』じゃないけれど、本当に友達になるには時間がかかる。友情はファストフードではない。お互いの、どうしようもない体臭みたいなものに慣れた先に、親密さや安心感が生まれる。理屈じゃない。だから、元から意見の合う人たちとオフ会で意気投合したところで、束の間の喜びはあるだろうが、本当の意味では孤独は癒えないだろう。

    精神的な個室の壁を一時的にとっぱらう薬みたいなのが共通の興味関心であり、人によってそれがアニメだったり、信仰だったり、愛国主義だったりする。ただそういったファンタジーは、即効性はあるが持続性はなく、歴史もなくリアリティもなく、今しかない。だからこそ孤独な人たちはその今を持続させるべく依存してゆくのではなかろうか。

    だから、朝鮮人コミュニティに、失われてしまった家族や地域社会や土地との絆をみて、どうにも羨ましかったと語る元在特会のメンバーのくだりは切なかった。所属場所を求めて集まってるのに、やっぱり本物じゃないことも分かっているんだなと。そういう絶望感や、自身の現実感のなさ、みたいなものが主張に反映されてるように感じた。くわえていえば、他者の痛みにも現実感がないからこそ、どんな罵声でも浴びせられるのだ。

    自分は「ネトウヨ」になったことはないが、常日頃なんでこの社会はこんなに個人個人がバラバラで、他人同士話すこともなく、冷たくて、薄っすらと将来に絶望してる人が多いのだろうとは思っている。どんな理由にせよ脱落したら自己責任だし、地域社会とのつながりなんて、生まれた頃からほとんど感じない。だから、どんなに主張や行動が理解不能であっても、自分も彼らと同じ世界にすむ人間だと、本書を読んで改めて思った。

    こういう社会は、言ってみれば「自分さえ良ければアンタはどうでもいい社会」であり、自分しかいない、他者の存在しない社会でもある。共感も想像力もない。それはもう社会とすら言えない。「自分たち」以外の他人は、冷たくて薄っぺらいCG仕立ての敵として、実質消えてしまう。血の通った生きている人間という実感が持てない。思えばカルトやナショナリズムが繁栄する土壌はずいぶん前から、少しずつ整ってきたのだと思う。

    パソコン・インターネットの普及と時期が一致してるのは偶然だろうか。これがパソコン・ネット時代の思考形式だとすれば、仮想敵を罵倒することでいっときの所属感や親密さを演出するグループがインターネットを母体として生まれたのは必然だったろう。

    在特会の名は最近あまり聞かなくなった。いまはQアノン辺りの陰謀説がその役割を担っているように思われる。相変わらず「彼ら」の主張はさっぱり意味が分からないが、その不安な気持ちだけは共有していると思う。この先はどうなることやら。今のところ明るい未来は見えてこない。

  • 在特会のことがよく分かる本。
    在特会の街頭演説がありのまま書かれているので、出てくる言葉がかなりキツい。気分が悪くなるレベル。

    10年前くらいからインターネットに触れていたからこういう特定の民族に対しての差別的な情報は触れてきたし、そうなのかと信じてた時期があったのも思い出した。
    学生だった当時はなんとなく近寄りがたいと思い、深く調べず忘れていったが、生まれる時代や環境が違ったら心酔してたかもしれないと思うと怖い。

  • タイトルや帯だけを見れば在特会を論駁する著書なのかと勘違いするかもしれないが決してそうではない。メディアが写さなかった在特会側の人間のリアルと被害者側の在日韓国人のリアルを見事に書かれている。日本人と在日韓国人の間でも必ずわかりあえる事ができるはずという著者の誠実な気持ちがものすごく感じた。

著者プロフィール

1964年生まれ。産湯は伊東温泉(静岡県)。週刊誌記者を経てノンフィクションライターに。『ネットと愛国』(講談社+α文庫)で講談社ノンフィクション賞、「ルポ 外国人『隷属』労働者」(月刊「G2」記事)で大宅壮一ノンフィクション賞雑誌部門受賞。『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』(光文社新書)、『ヘイトスピーチ』(文春新書)、『学校では教えてくれない差別と排除の話』(皓星社) 、『「右翼」の戦後史』(講談社現代新書)、 『団地と移民』(KADOKAWA)、『沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか』(朝日文庫)他、著書多数。
取材の合間にひとっ風呂、が基本動作。お気に入りは炭酸泉。

「2021年 『戦争とバスタオル』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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