- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062882743
感想・レビュー・書評
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何でこんなにこの人に惹かれるんだろうな。上手く説明出来ないのがもどかしいけど、それもまた楽しい。
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現実を一面ではなく、多方面から見た著者の思考。当たり前と思う事も、少し考え方を変えてみると様々な発見がある。現実と非現実の狭間を著者なりに記した一冊。少し哲学的な趣も感じさせられるが、読みやすい印象。
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集団の現実と個人の現実、躁鬱を自分に搭載されている機械だと考える坂口さんの現実脱出論を読むと『徘徊タクシー』や『蠅』などの小説で書かれているフィリップ・K・ディック的な多層な、幾つかのレイヤーを行き来する物語がなぜ書けるのがわかった気がした。
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誰かが突然「これから並行世界の話をしよう」といったら、あなたはどう思うだろうか。または「現実脱出の方法について、レクチャーしよう」といったら、頭がおかしいと思うだろうか。
人間が社会を形成するということは、相互扶助のシステムを作って物資の流通効率を上げ、種としての生存確率を高めるための必然的な選択だった。
けれど、いまではその「生きるための社会システム」そのものに絶望してドロップアウトし、果ては死を選ぶ人が爆発的に増えている。これはひとえに現実社会というやつが、そもそも人間が持っていた「もうひとつの世界」を侵食し、食い尽くしてしまったからなのだろう。
それぞれ生物の時間や空間の知覚は、絶対的な尺度では計ることができない。体験の質やタイミング、自身の状態によって時間は長くもなれば、同様に空間も延び縮みする(ように体験されうる)。
アインシュタインは物理法則としての相対性理論を打ち立てたけれど、心理的作用による空間/時間の相対性というものも確かに存在する。
しかし「現実」というやつは、僕たちを絶対的な尺度をもって囲い込み、逃げ場を奪う。常に浴びせかけられる同調圧力によって「ここでしか生きられない」と思い込まされ、限界を超えてもなお、じっと耐えることを強いられる。
でも、実は今いる場所だけがすべてではない、与えられた尺度だけがすべてではないことを感じられたなら……人はもっとうまく、豊かに生きていけるはずだ。
そこで坂口は、自分の「思考の巣」に帰って「創造」をすることを勧める。
現実と対置する「もうひとつの世界」を生み出す余技。これは人類がこれまで編んできた文化のことなのだろう。音楽、文学、演劇などのアートこそ、現代における生命維持装置になりうる。
ただしそれも、承認欲求の発露としてでない場合。つまり、創造という行為そのものに価値を見いだす場合に限られるだろうけれど。
生きるために現実の社会は必要だ。けれど一方で、自分を死ぬまで追い詰めてしまうことのないよう、もうひとつの世界/レイヤーを創造し、常に片足をそちらに置いておく。これは、坂口恭平の一貫したメッセージだ。
現世的な規範や価値基準だけがすべてではない。視点を変えれば、そうしたオーダーの恣意的な、破滅的な側面も見えてくる。そうして自分自身が創造し続けることによって、僕たちはまだ生きていくことができる。
……ビバ、妄想。でもバランスが大事。
うーん、坂口氏の幼少時代のエピソードにはどこか身に覚えがあって、なぜか追っかけずにはいられないのだよなぁ。 -
多元的現実、自己の複数性、概念との親和性が高かった。