- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062900362
作品紹介・あらすじ
師千利休は何故太閤様より死を賜り、一言の申し開きもせず従容と死に赴いたのか?弟子の本覚坊は、師の縁の人々を尋ね語らい、又冷え枯れた磧の道を行く師に夢の中でまみえる。本覚坊の手記の形で利休自刃の謎に迫り、狭い茶室で命を突きつけあう乱世の侘茶に、死をも貫徹する芸術精神を描く。文化勲章はじめ現世の名誉を得た晩年にあって、なお已み難い作家精神の輝きを示した名作。日本文学大賞受賞作。
感想・レビュー・書評
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井上靖,晩年の歴史小説.利休の弟子,本覚坊が回想と対話の中で,利休の賜死事件を見つめる.利休ゆかりの茶人との対話が,利休の茶の精神とそれの帰結としての死の境地が少しずつ明らかにされていく.ストイックで静かな情感に支配されていて,心がキンと冷える.
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2016/06/14完讀
【6.5/10】
利休究竟為何而死,徒弟本覚坊一直深感疑惑,留下這個手記紀錄。然後透過與利休相關的人物東陽坊、江雪斎/山下宗二、古田織部、織田有楽斎、宗旦,最後是利休本人。
這本書幾乎可說無意討論利休究竟為何毫無辯解之意便泰然赴死,雖然是歷史小說,但是完全把史實放在一邊,而專心討論生死觀。裡面對於利休之死有很多推測,而有楽斎說到,「だが、利休どのは豪かった。天下に茶人多しと雖も、誰一人、肩を並べる者はない。自分ひとりの道を歩いた。自分ひとりの茶を点てた。遊びの茶を、遊びでないものにした。と言って、禅の道場にしたわけではない。腹を切る場所にした」。利休的茶是勁烈無比的,解說提到「利休の茶は単なる美や風雅のわざではなく、死を獲得するために人間と人間がいのちを突きつけあう儀式でもあった。」,而他也藉由死,更接近茶的奧義。因此最終章秀吉覺得他大可不用切腹,為成就他的美學,利休需要死亡。書中這類銳利的話語點綴其中,氣氛也是冬日孤寒之感,與故事內容甚為相合,就哲學性的小說而言饒富興味。但與歷史實際上的疏離毫無關心,又給人一種很透明、不切實際的脫節之感,就歷史小說的角度來說說服力並不高。雖然生死觀的小說並不是不妥,然而對於像我這樣一個想了解就這樣兩人的地位、複雜的關係、政治與美學的關係、相輔相成或拮抗以及當時的政治情勢或秀吉身邊的人的思考等可以編織出怎樣的故事時,看到的利休只有茶沒有任何其他,其他所有事都不太足為道(這點是穰我難以接受而難給予高評價的原因),結尾竟是秀吉勸利休不要死,利休為了自己的悟道仍選擇死亡云云,只能說不管真相如何,但這個勾勒應該是偏離真正的現實,兩個這種地位的人不可能也不被容許只有這麼單純的交鋒,太過超然,書中內容又不足以讓我感到說服力。這部作品的喜好是很個人的,雖然是得獎作,可惜並不相當合我胃口。相較之下我還是比較喜歡海音寺那本的風格。 -
2016_010【読了メモ】(160122 17:10) 井上靖『本覚坊遺文』/講談社文芸文庫/2009 Jan 10th/利休という人の晩年十年に使えた茶湯者(ちゃのゆのもの)三井寺の本覚坊の日録という体。冬に読むと芯から冷える良本。マグマと永久凍土の間を行ったり来たりするみたいだった/歴史上有名な千利休の付き人、ではなく、生身の茶人 利休に仕え、彼を師と仰いだ一人の人の声として読みたい本。
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最期に残したのは、ただ茶杓と茶碗のみ。一期一会を大切に、私もそんな風に生きたい。
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本覚坊を通じて、利休の切腹の真実に迫る作品。最後の最後まで茶人であり、死をもって侘び茶を大成させたその精神を描いている。
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必読本より
利休を真正面から扱わず、利休の弟子本覚坊が師にゆかりのある人々を訪ねまとめた手記を通じて、利休切腹の謎に迫る作品。乱世にあって、市を持って貫徹する芸術精神を描く。 -
千利休が太閤から賜った死に、抗いもせずに従ったのはなぜなのか?
千利休の弟子・本覚坊の日記からという設定にて、利休死後の隠遁生活中の出会いの折々に触れられる師・利休の在りし日の想いや評価を通じて、本覚坊が「その時」の内面から利休とその侘茶の真の精神を半生をかけて悟るという物語。
物語の各章はかなりの年月が開いており、前章にて本覚坊が出会い会話した人物が既に他界していて次章にまた新たな人物が登場してくるという趣向だが、その人選はなかなか凝らされていて面白い。東陽坊、岡野江雪斎、古田織部、織田有楽、千宗旦、それら利休ゆかりの人物と穏やかな時間の流れにて慎ましく語られる利休への想いが、本覚坊に師・利休の精神の高みと暗さを次第に明らかにさせていく。そして実は、岡野江雪斎は利休の弟子・山上宗二の仮託として、また、千宗旦に依頼されて本覚坊が太閤の茶会の思い出を語るという体裁であり、結局、利休とその高弟たち、そして、命令を下した太閤の言動を振り返りつつ利休の内面を辿るという構成になっている。本書にて利休の死(内面も含む)に関わったとしている人物の内、古田織部を除き、太閤、山上宗二、利休本人がほとんど又聞きや想像で登場するほか、茶の湯を離れた細川三斎が折々に触れられこそすれ登場しないなど奥ゆかしい筆致にて逆に彼らのイメージを際立たせている技法はすばらしい。
「死」と向き合い、「死」を覚悟する場として大成した「侘茶」の真髄は、それを極める最後として、「死」をもって己自身もなくなることであり、山上宗二、利休、古田織部ら師弟が身をもって体現したということだろうか。動乱の時代に咲いた「侘茶」という「死」と対峙した真剣勝負の芸術の極致を、ゆるやかに味わい深く読者に浸透させてくれる。 -
静謐で、噛み締めたくなる美しさを基調に、緩急のある振れ。しとしとと降った長雨のあと、ようやく日の差し始めたまだ少し鈍い色の空に、微かな虹を視たような、透徹として晴れがましい読後感。
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156夜