- Amazon.co.jp ・本 (392ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062922333
作品紹介・あらすじ
第二次大戦敗戦後の混乱の渦中で青春期を生きた著者は、ハイデガーという哲学者の存在を知り、それを読まなければ済まされないという気持ちの昂揚から、東北大学の哲学科に入学。『存在と時間』を何度も読み返しながら、その内容を理解できるようになるには古代ギリシャ以来のの西洋形而上学の展開を知らなければならないと思うようになります。なぜなら、ハイデガーの仕事そのものが西洋哲学史の根本的な見直し、形而上学的思考が歴史的に特殊なものだったことを明らかにすることに狙いがあったからです。
本書は、「存在とは何か」という哲学史を貫くテーマを軸として、プラトン・アリストテレスからスコラ神学、そしてデカルト・カントに始まる近代哲学まで、著者本人がハイデガーに触発されつつたどっていった西洋思想の流れを、日本人にわかりやすい形で解説するものです。
感想・レビュー・書評
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隙間時間を見つけて読み進めるも、読むのに2ヶ月もかかってしまった。入門と呼ぶには易しくはない部分もあったが、用語を整理してもらえることで昔から今までの哲学の流れがよく掴めたし、他の哲学系の解説書に進む前に読むのに最適だと思いました。
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前半は、木田元さんの生い立ちとどのような経緯で哲学を学ぶに至ったかの記録。中盤は、ハイデガーと、木田元さんが『存在と時間』を理解するために遡って読んださまざまな哲学者たち(カント、ニーチェ、ヘーゲルなど)の思想の解説。そして最後は「哲学」と「反哲学」という概念についての説明と考察。
前半と最後の部分がとても興味深かった。日本の哲学界の第一人者である木田元さんは、もともといわゆるエリートで有名大に入って心もお金も余裕がある中で哲学を学んで、といったタイプでは全くなく、実はその正反対の人生を歩んでこられた苦労人だったということが衝撃だった。戦後の混乱の中で、人生に救いを求めてドストエフスキーなどを読んでいるうちにハイデガー『存在と時間』に出会い、この本をしっかり読んでみたいという熱意で大学に入った。入学後、半年でドイツ語を独習し、次の半年で『存在と時間』を読み終えた。しかしあまりに難しくてこれでは論文が書けないと一旦距離を置くことを決意。その間にソクラテスやプラトン、カント、デカルト、フッサールなどについて学び、やっとハイデガーについて論文を書けたのは『存在と時間』との最初の出会いから実に三十年も経ってからのことだったそう。そんなに長い期間、ハイデガーへの熱がずっと燃え続けていたというのが本当にすごいと思う。その一方で木田さんは、当時の多くの学生たちがそうであったように、ハイデガーという人自身に心酔し、神格化して崇めたりすることはなく、どちらかというとハイデガーの性格の悪さに辟易していたという。一度は本人に会えるチャンスがあったのに断ったそうで、木田さんのそういう冷静な距離の取り方もかっこいいなあと思った。
中盤部分はハイデガーが影響を受けたさまざまな哲学者の思想を解説していて、おそらく『わたしの哲学入門』というタイトルからしてこの部分が本書のメインとなるはずなのだけれど、とにかく難しくて、潔く諦めてガーッと飛ばしてしまった、、、わたしは大学のとき卒論で『存在と時間』を扱ったけれど、『存在』の部分はわりと頑張って何度も読んだものの『と時間』以降やハイデガーの他の論文はほとんど触れる余裕がなかったし、他の哲学者についても「西洋哲学史」のような授業でサラッと触れた程度なので正直もうあまり記憶に残っていない。だからこの中盤部分、次から次へと出現する哲学者の名前と見慣れない用語、その独特な読み方についていくことができなかった。無念、、、
難しい本を読むと、自分の頭のキャパシティ的にその内容全てをしっかり理解することができなくてもどかしさを感じる。けれど、ほんの一部でも興味深いと思う箇所があったり、今まで持っていた知識と重なるところがあったりしたなら、それだけでも十分その本を読んだ意味はあったといえるのだと思うようにしている。 -
「闇屋になりそこねた哲学者」として知られる著者が書いた哲学の入門書です。ハイデガー哲学との出会いから、「存在の歴史」の構想への理解が深まり、「反哲学」という視点を獲得するまでの著者自身の歩みを振り返りながら、読者を哲学の世界へと案内しています。
著者は、ユクスキュルやメルロ=ポンティの思想に触れたことがきっかけで、ハイデガーの思想をしだいに理解できるようになったと述べています。フッサールは、当時行き詰まりに陥っていた心理学の方法論的改革の試みとして現象学を構想し、そうした初発のモティーフを忠実に受け継いだのがシェーラーやメルロ=ポンティでした。ハイデガーもまた、シェーラーから大きな影響を受けていました。著者は、このような19世紀末の精神史を広く眺めつつ、ハイデガーの哲学を理解する視座に立つことができたといいます。
しかしやがて著者は、ハイデガーの哲学的努力が存在論の歴史の解体に向けられていたことに気づきます。ソクラテス以前の哲学者たちは、「自然」を生成するものと考えていまおり、「制作」もそうした自然の「立ち現われ」の一様態と考えられていました。ところが、こうした自然理解はプラトンのもとで変質してしまうことになります。ここにいたって「技術」は、もはや自然の生成の一つのヴァリエーションではなく、自然と対立する働きと理解されるようになりました。こうして西洋形而上学の伝統がはじまったとハイデガーは考えます。
著者は、ハイデガーのこうした「存在の歴史」の見方を踏まえて、プラトン、アリストテレス、デカルト、カント、シェリング、ヘーゲル、ニーチェの思想を読み解く視点を示しています。そのうえで、西洋形而上学が普遍的な知などではなく、プラトン以降に成立した特殊な知の形態であることを白日のもとにさらす「反哲学」という思想的営為が必要であることを主張しています。 -
一字一句むさぼるように読んだ。
ハイデガーの『存在と時間』はあまりに有名
で偉大な本だと言うことは知っていたが、
我が事として読むには至っていなかった。
著者が自分の人生体験から必然的にこの本を手に取る
経緯が著述されていて、
それがよく理解できたので、
『存在と時間』の意義を知るべく読み進めた。
既成思考の大きな転換を促す箇所は胸躍った。
「絶望」の克服とどうつながるのか。
そのへん、まだまだ違う著書などから
模索する必要はありそうだ
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P24
哲学書にあって本当に難しいのは、
なぜそんなことを考えるのかという
発想の動機の分かりにくさなのである
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①「事実存在」の「本質存在」への優位は
禅の「無我」につながるのではないか
②「存在」と「時間」のつながりが
過去を悔い、未来を憂えるという人間の苦しみに
対する何か答えを導くのではないか
③「不安」「絶望」は無知から生じると言えないか
このへんの興味がある -
著者:木田元(1928-2014、新潟市、哲学)
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哲学の難しさは、なんでそんなことを問題にしなくちゃいけなかったか、という「発想の動機」が分かりにくいことなんだよね、という木田さんの言葉はわかりやすくて、木田さんの言うことならわたしにも少しはわかるかもしれん、と第五回までなんとか読み進んだけと、だんだん雲行きが怪しくなりつつある。。。
1ヶ月後、やっと一応読み終えたが、やはり難しい。なんとか分かったのは、ハイデガーの『存在と時間』は未完の書で肝心なことが書かれずに終わっているらしい、ということ(笑) -
図書館で借りた。よく分からないな哲学は
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ハイデガーをもとに著者が如何に哲学を学んだかという流れで哲学を開設していく。ハイデガーのところは難しく理解できなかった。カントのところは簡潔だがわかりやすかった。
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16/1/2
著者と哲学との関わりについて書いたあと、歴史に沿って哲学の流れを説明するというのが本書の構成である。
ハイデガーという一つの視点から、様々な哲学者の思想を批評しながら歴史に沿って進展するため、それぞれの思想をかいつまんで説明するような入門書よりも、思想と思想のつながりや思想の流れがわかるので理解しやすかった。
理系の人間で、哲学にあまり触れてこなかったわたしでも、「認識」、「イデア」、「実存」、「純粋理性」…などの難しい哲学用語をそれなりに理解できるようになり、哲学の流れを人に説明できるようになった。この事実からして、素晴らしい入門書といえるのではないか。