- Amazon.co.jp ・本 (552ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065187449
作品紹介・あらすじ
「近代理性の象徴」のはずであった組織はなぜ暴走したのか? 明治維新から太平洋戦争敗戦による崩壊まで、一人で描ききった超力作!
戦前日本の歴史とはある意味において、相次ぐ戦争の歴史でした。といって、日本が明治維新以来一貫して軍国主義路線を取っていたわけではありません。しかし結果として、後世の目から見るとそうみなさざるを得ないような「事実」の積み重なりがあることも、やはり否定することはできないでしょう。
では、このような「意図」と「結果」との大きな乖離は一体なぜ起こったのでしょうか。
明治憲法体制とは、極論すれば大急ぎで近代国家の体裁だけをこしらえた、「仮普請」にすぎませんでした。そのことは伊藤博文をはじめとする元勲たちもよくわきまえており、伊藤などは折を見て、より現状に即した形での憲法改正にも取り組むつもりでした。
著者によれば、明治憲法体制の改正が唯一可能だったのは、その起草者である伊藤が憲法改革に取り組もうとし、また軍部自体もその必要性を認めていた日清戦争後の時期しかなかったということです。しかし日露戦争での奇跡的な勝利により、この改革への機運は急速にしぼんでしまいました。またその後、桂太郎、児玉源太郎、宇垣一成、永田鉄山といった近代軍の「国家理性」を体現したリーダーたちがあるいは早世し、あるいは失脚し、暗殺されるという不運もありました。そしてついには軍が政治を呑み込み「国家」自体となるまでにいたります。東条英機が首相のまま複数の大臣を兼任し、さらには陸軍相、参謀総長を兼任するまでに至ったことは、まさにその象徴と言うことができるでしょう。
「仮普請」でしかなかったはずの明治憲法体制が、政治リーダーの世代交代を重ねるに従って「デフォルト」となり、次第に硬直化してゆく。当初、政治の軍事への介入を阻止するために設定されたはずの「統帥権」が逆に軍が政治をコントロールする道具になってしまったことなどは、それを象徴する事例でしょう。組織としての宿命とはいえ、改革の機を逸した代償はあまりにも大きかったとやはり言わざるを得ません。
本書では、歴史を後付けではなく、極力「リアルタイム」で見ることを目指し、近代日本最大のパラドクスである「軍部」の存在の謎に迫ります。
感想・レビュー・書評
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政治家、軍部、政党の関係について、教科書的なところからもう少し深い検討が味わえる
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明治新政での建軍から太平洋戦争での崩壊までを辿る一冊。何かとイメージのよくない軍部だが、日清/日露戦争から満州事変、北支事変、対米開戦といった戦時的なプロセスと並行して政党政治の内実を分析していくことで様々な視座から考えることができる。当時の世論がいわゆるポピュリズム的であり、議会政治が腐敗していたことや陸軍にも内部抗争があったことなど含めて考えると、大正から昭和戦前までの時代は本当に複雑な様相を呈している。白黒はっきりつけようとする態度は思考の停止にほかならない。一つひとつ繰り返し丁寧に歴史と向き合いたいと改めて思った。
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N区図書館
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ミャンマーの状況を見てるうちに国と軍の関係ってどうなのか…つまり軍って国の中では圧倒的に力を持っているはずでどこの国でも簡単に軍に支配されてしまうのではと思い…言わばリファレンスとして我が国の軍の成り立ちと政治との関係を知りたいと思ったので手に取ってみた。しかしこれは労作。明治維新で日本軍ができてから太平洋戦争敗戦で解体されるまでの政治と軍との関係を丹念に書き切っている。ほぼ一年毎に何があったかを書いてあるような形式なので正直ちょっと退屈になる部分や小説ではないので盛り上がりに欠ける部分はあるのだが近代日本の政治中央がどのように発展したのか、が分かる形になっている。元々は維新の勝利者である薩長の武士団を中心とした日本軍が徴兵によるあまねく国民が参加する軍へと変貌を遂げる経緯、名高い長州の奇兵隊が暴力的に解体されたことも知らなかったし、それ故に地元の武士団との柵が薄まった長州出身者が軍の中枢を担っていった、ということが意外だった。そして何より評価が変わったのは言わば藩閥政治の権化で権力を悪どく握っていたと個人的に理解していた山縣有朋が、軍を政治から分離させることに心を砕いていた、ということかな。一般的には日露戦争で慢心した帝国陸軍が日本を戦争に巻き込んだ挙句、破滅に導いた、と説明されることが多いように思うのだけど実態はかなり乖離していてそもそも清国にめちゃくちゃな要求を突きつけて国際的な孤立を招いた大元は世論とそれに乗っかったポピュリストの大隈であったとか、元々陸軍は大陸への派兵に消極的であったとか知らなかったことが多く参考になった。植民地とそこに駐留する軍は必ずおかしなことになるので、という元々の陸軍の懸念が結果的に満洲国と関東軍という形で的中してしまうところがなんとも皮肉。諸々大変参考になりかつ興味深い作品でした。
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312.1||Ko
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ボタンのかけ違いというものは存在していて、どうしようもないのだなと。良かれと思って行動したことが、どんどん深みにハマってゆく。一人の悪人がいるのではなく、「大衆」というものがどんどん悪い方向に引きずってゆく。それが怖い。
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東2法経図・6F開架:B1/2/2564/K
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新書なのに約550頁。特に明治期には自分の予備知識が不十分なこともあって頭に入りにくかったが、本自体は読みにくくはなかった。
前書きで著者が述べるのが、歴史を「リアルタイムで」見ていくこと。この視点は本書の随所に出てくる。現在から見るとアヘン戦争以降の清は衰退の一途だったように思えるが、19世紀後半の山県の目には清は軍備の近代化を進める超大国に見えたこと。日本は一直線に大陸の軍事的侵略に向かったわけではなく、日清共同で朝鮮の内政改革を行う方針があったのに、その方針がズレて日清戦争に至ったこと。日露戦争では、日本の侵略衝動ではなくロシア海軍力による日本への威嚇に開戦の主要因を置いている。日独防共協定は英や中国国民政府の参加も想定されており、必ずしも三国同盟の雛型でもなかった。
特に面白いのが総動員構想の評価だ。国家総動員法・大政翼賛会・軍国主義・反政党政治はセットで見える。後世から見ると結果的にはそうなのだろう。しかし本書では少し異なる視点を掲げる。政党政治の絶頂期、浜口内閣の産業合理化政策は陸軍の総動員構想と親和的で、また治安維持法も資本主義的秩序の擁護のためだという。
明治期の日清戦争前までは、徴兵制による天皇の軍隊(平民的軍隊)か義勇兵(士族の軍隊)か、という議論があった。板垣など自由民権運動の側が後者を主張したのは、平民の負担軽減というわけではなく彼ら自身が不平士族出身だからだったようだ。
この問題に決着がつくと、政党の発展に伴い軍隊と政党の距離や関係が難しくなる。統帥権の独立により軍隊自身は非政治化しつつも必要な時に政党勢力と提携するという山県・寺内路線から、陸軍内で特定の勢力が特定の政党と結ぶという「陸軍の政党的系列化」へ。また宇垣軍縮や原敬内閣の中国政策(直接の介入を避け軍閥の利用に留める)のように、政党内閣と陸軍が歩調を合わせてもいた。しかし軍の政治化が進んだ上で二大政党制の機能不全が明らかになると、中堅将校は政党政治に見切りをつけるようになったという。