我が身を守る法律知識 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065312841

作品紹介・あらすじ

この一冊で、あらゆる法的トラブルを予防できる知識が身につく!
市民、ビジネスパースン、学生、実務家、訴訟当事者・関係者必携の一冊!

法的紛争・危険を防止するためには、個別的、断片的な知識・情報も必要ですが、より重要なのは、それらの基盤になる法的なものの考え方や感覚を身につけることです。それが身についていさえすれば、個別・断片的な知識・情報を超えた範囲の事柄についても、おおむね適切に対処することができるからです。

 本書は、普通の日本人が一生の間に出あう可能性のある各分野の法的紛争を網羅し、そうした紛争に巻き込まれないための予防法、そして万一トラブルが起きたときの対処法となる法律知識・情報・基本的な法律論を、わかりやすく、正確に、かつ興味深く読めるようなかたちでまとめ上げた、コンパクトながら、実用性と密度の高い一冊です。著者は、33年にわたり膨大な民事訴訟を手がけてきた元裁判官・現大学教授で、民事訴訟法の権威でもあります。

 具体的には、まず、第2章で、遭遇することが最も多く、結果も重大なものとなりがちな交通事故関係につき、損害賠償の実際と過失相殺、危険性の高い行為、保険の内容、事故対応、保険会社との交渉、訴訟等の事柄を、基本的な前提知識をも確認しつつ論じます。

第3章では、民事訴訟の数が非常に多い「不動産関連紛争」一般につき、使用貸借と賃貸借、土地・建物購入、建物新築と欠陥住宅紛争、競売物件、隣人間紛争等の各側面から説きます。

第4章では、痴漢冤罪を含め、刑事事件関係全般について、若者や子どもをも含めた普通の市民が注意しておくべき事項について述べます。

第5章では、親族法の領域につき、離婚事由や手続、これに伴う各種の給付・親権者指定、夫婦間の子の奪い合い、国際結婚、不貞慰謝料等の事柄を語ります。

第6章では、近年非常に紛争の増えている相続法の領域につき、相続人と相続分、相続放棄、各種の遺言、遺産分割、遺留分侵害額請求、相続税対策の落とし穴等の事柄を、いずれも、できる限り詳しく、わかりやすく、また、正確に解説します。ことに第6章は本書の大きな目玉であり、具体的な例についてのかなり突っ込んだ記述をも含みます。相続法は近年大改正された分野の一つであり、また、読者にとっての必要性も高いと思われるからです。

第7章と第8章では、それ以外の多様な紛争・危険防止策について、前者では、雇用、投資、保証といった経済取引の、後者では、医療、日常事故、いじめ、海外旅行、高齢者をねらった犯罪といった日常生活上の紛争・危険の各観点からくくった上で、重要と思われる事項をピックアップしてゆきます。

感想・レビュー・書評

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  • この本をきっかけに日常生活個人賠償責任保険に入った。
    法律の本なので、実用的ではあるが特段面白みは無い。

  • 普通の日本人が一生の間に出会う可能性がある紛争についてカバーしている実用書

    避けられる紛争や危険は避けるに越したことはないという意味で、予備知識や情報収集の大切さを感じた。

    特に予防対策は分かりやすく勉強になった。

  • 法律を知らないことで巻き込まれるトラブル。「予防法学」を提唱する元裁判官の法学者による持つべき法律知識。

    事例紹介もあるが、詳細は個々の参照物件にあるため、やや物足りない。抽象的な記述と事例紹介のバランスが、法律の素人にはやや難しい。

    法律の知識のほか、保険の重要性も教えてくれる。いつ巻き込まれるか分からないトラブルに備えることの大切さを教えてくれる。

  • わかりやすくて実用的。元裁判官の法学者が予防法学の観点から日常生活に潜む法的リスクとその予防法を説く。

  • 法律って自分の身に降りかからないと調べたり知ろうとする機会ってなかなかないよなあ。

  • 生活をしていく上で、予め知っておくべき法律の基本があると思う。なかなか興味深い内容だった。

  • 特に気をつけようと思ったのは交通事故と海外旅行。なるほどたしかにリスクがいっぱいあるなと思うも法的リスクまでは思い至らなかった。それを思い直させてくれた一冊。

  • 書店で見かけて読みたくなったもの。本書で言うところの”自己責任”は、弱者叩き的な自己責任論とは関係ないもの。なるほど。このあたりをはき違えた考え方がはびこる結果醸成される格差には、確かに無視できないものがある。で、自己責任を自覚するにあたってまず克服されるべきは、誤った性善説と、曖昧なままにしておく性癖。そこから問題が大きくなる、と。これも確かにその通り。ついでに、専門家に抱く完全無欠イメージは、明らかに幻想。自分も専門職だから、我が事としても理解できるし、それが法曹界にも成り立つっていうのを内部の人が書いているのだから、さすがに説得力あり。ちなみに本題とは逸れるけど、以下の作品は一度観てみたいと思いました。

    映画"オーディション"

  • 1045

    曖昧な表現をする日本人はリーガルマインドが低いらしい。交通事故でトラブルが多いのは大型駐車場内でも事故らしいから、駐車場は特に気を付けるようにしよう。

    風が吹くと桶屋が儲かるじゃないけど、同性婚は離婚が多そうだから弁護士は金のにおいを嗅ぎつけて賛成の人が多いらしい。

    瀬木比呂志
    1954年、名古屋市生まれ。東京大学法学部卒業。1979年から裁判官。2012年明治大学教授に転身、専門は民事訴訟法・法社会学。在米研究2回。著書に、『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(第2回城山三郎賞受賞)『民事裁判入門』(いずれも講談社現代新書)、『檻の中の裁判官』(角川新書)、『リベラルアーツの学び方』『究極の独学術』(ともにディスカヴァー・トゥエンティワン)、『教養としての現代漫画』(日本文芸社)、『裁判官・学者の哲学と意見』(現代書館)、小説『黒い巨塔 最高裁判所』(講談社文庫)、また、専門書として、『民事訴訟法』『民事保全法』『民事訴訟の本質と諸相』『民事訴訟実務・制度要論』『ケース演習 民事訴訟実務と法的思考』(いずれも日本評論社)、『民事裁判実務と理論の架橋』(判例タイムズ社)等がある。

    欧米には珍しいこうした訴訟が多い背景には、日本社会におけるリーガルマインドの欠落、不足があります。欧米では考えにくいようなあいまいな内容の契約が結ばれたり、契約書の内容がその実際とは大きく異なっていたりすることが、しばしばあるのです。契約の時点から双方の認識があいまいだったり、大きく食い違っていたりするわけですから、紛争が起きれば、泥沼化することは避けられません。そして、裁判となれば、「そもそも紛争の本質がどのようなものであり、それをどのように法的に構成したらいいのか」というところから始めなければならないのですから、複雑な訴訟になるのは当然なのです。

    つまり、日本人の法的な意識や感覚と近代法のそれとの間には、今なお大きな「ずれ」があり、その意味では、残念ながら、日本人の相当部分は、未だ十分に近代的な法的感覚、法意識をもちあわせてはいないともいえるのです。

    したがって、日本人の多数派は、法的紛争・危険防止のための知識・情報についてそれほど関心がありませんし、たとえあってもそれは断片的なものであって体系化されておらず、個別的な知識の範囲を超えた事柄には対処しにくいのです。 そして、こうした事態は、一般市民のみならず、しばしば、いわゆる知識人や経済人についてさえ当てはまります。

    日本人は、本来、個人的なレベルでは慎重なはずの民族であり、争いを好まないし、裁判という、みずからの行為の理非が証拠と論理によって垂直的に裁断される事態についても、避けたいと考える人が多いはずです。にもかかわらず実際には日本の民事紛争・訴訟が先のような事態になっていることを考えるなら、以下に述べるような意味での「予防法学」(私なりの定義による予防法学)の必要性、重要性は大きいと思われるのです。

    つまり、法的紛争全般の防止のためには、個別的、断片的な知識だけでは不十分なのであり、それらを統合するような一つの視点、法的感覚、基本的なリーガルマインドが必要なのです。

    人々と法の関係については、「司法への市民参加」とともに、「法教育」の必要性が、たとえば法学者、法務省、日弁連(日本弁護士連合会)等によって説かれています。しかし、後者の内容として挙げられている事柄はかなり抽象的、一般的であり、たとえば高校までの教育で法や司法について教えられる事柄をある程度具体化したものという域を超えていません。したがって、ごく普通の日本人あるいは学生が生き生きとした興味をもてるようなものであるかどうかは、いささか微妙でしょう。

    「権利」という言葉は子どもでも知っていますが、実は、幕末から明治初期に定着していった訳語です。つまり、それ以前の日本には「権利」という包括的な観念は、ないか、あっても未発達でした。こうした歴史的経緯から、今でも、日本人の権利意識には「薄い、弱い部分」があります。

    次に、権利義務発生の根拠となる「契約」についても、やはり、日本人の意識には「薄い、弱い部分」があります。 たとえば、契約はしたが口約束なので双方がどういう意図で契約したのか明確に意識されておらず、あるいは大きく食い違っており、契約の解釈をめぐる紛争になる例がままあるのです。例を挙げれば、金は渡したが貸金だったのか贈与だったのかがあいまいであとからもめる(拙著『民事裁判入門──裁判官は何を見ているのか』〔講談社現代新書〕一八〇頁以下)、売買のはずなのになぜか金銭貸付けの契約書が作られていてあとからもめるなど、枚挙にいとまがありません。

    これらの紛争は、いずれも、近代法の基本中の基本である「権利、所有権、契約」等の意味や機能、重大性をはっきり認識していないこと、また、ダブルスタンダード、二重基準を許す「あいまい文化」、総体としての法意識の弱さなどからくる問題なのであり、欧米ではあまりないタイプの紛争です。もっとも、当事者が日本人ではなくとも、アジア系だとやはりこういうことはある(時にはよりはなはだしい)ので、「アジア的紛争形態」ということもできるかもしれません。

    日本人は、欧米の場合一般と比較すると、「人の言葉を確かな根拠もなく信じてしまいやすい人々」であると思います。私は、法廷で、原告や被告から以下のような言葉を何度となく耳にしたものです。「約束の根拠を問うこと自体が相手を疑うことであるから根拠は問いませんでした。契約書を作ること(極端な場合は領収書をもらうこと)自体が相手を疑うことであるから契約書は作りませんでした(領収書ももらいませんでした)。私の主観かもしれませんが、相手を信頼できると思っていましたから」 しかし、私は、長年の民事系裁判官としての経験から、こうした主張は疑わしい場合もかなり多いと考えています。証拠上認定されるそのほかの行動においてもずさんで、記憶も正確でなく、供述は意味がとりにくくあいまいで自己弁護的、そして、自己には甘くて相手の欠点は決して見逃さない、そうしたタイプの人が前記のようなことを言う場合のほうが、誠実な人が言う場合よりも、割合としては多いのです(付け加えれば、本当に誠実な人がだまされた場合には、右の「そのほかの行動においてもずさんで、記憶も正確でなく、自己には甘くて相手の欠点は見逃さない」といった要素は否定されるので、両者の区別は証拠上もちゃんとつくのです)。

    哲学者・思想家の鶴見俊輔は、「私は、『だまされた』という言葉を安易に使う人がきらいだ」と言っています。これは、厳しい言明ですが、右のような事柄の本質をついたものでもあります。 人の言葉を信用するのは、基本的には自分の責任です。言葉をかえれば、良識のある大人であれば、「だまされた」という言葉を安易に口にすべきではありません。それは、相手が親族、知人等親しい人間の場合でも同様です。 もっとも、これは、法的なレベルにおいて「だまされるほうが悪い」という意味ではありません。「だまされたという言葉を安易に用いない心がけが紛争を未然に防ぐ」ということなのです。

    訴訟があまり一般的なものではない日本では、ほとんどの人が、法的リスクをあまり意識していません。しかし、私たちの日常生活は実際には常に法的リスクと隣り合わせなのであり、運が悪ければ、誰でも、大きな法的責任を背負う可能性があるのです。

    たとえば、交通事故を例にとると、過失により特別な高額所得者を死傷させたり、原発等の特殊な施設に納入する重要部品を運搬しているトラックとの衝突物損事故を起こしたりすれば、億単位、悪くすれば一〇億単位の損害賠償責任を負う可能性があります。酒酔い運転やあおり運転等により「危険運転致死傷罪」(いわゆる自動車運転処罰法二条、三条)で逮捕されれば、実刑判決を受ける可能性が非常に高いです。後者のような例では、勤務先からも退職しなければならなくなって、経済的な基盤をも失うことになりかねず、一家離散等の家庭崩壊をも招きうるでしょう。 自動車の運転にはこうした大きな法的リスクが伴うことを理解していれば、自然に安全運転を心がけるようになりますし、万が一の事態に備えて手厚い自動車保険に入っておくことにもなるでしょう。潜在的な法的リスクを正しく把握し、それを避ける心構えをもっていれば、泥沼のような法的紛争や一家離散のような悲劇にあわずにすむのです。

    誰もが加害者にも被害者にもなりうるこうした重大な社会的問題は、民主主義社会であれば、本来なら、「社会全体でよく考え協議した上で、それに関する適切なルールや基準を決めてゆくべき問題」の一つといえます。けれども、残念ながら、そうした社会的議論が十分に行われている国も、自動車事故損害賠償額の基準が完全賠償に近いかたちで設定されている国も、限られているというのが現実です。

    最後に付け加えると、交通事故で意外にもめることが多いのが、大型駐車場内での事故です。道路と異なり定まったルールがない上、速度が出ているわけではないのでブレーキ痕等もあまり残らず、さらには現場保存も難しいので、事故の態様自体全くわからなくなってしまうことが多いのです。事故の態様がわからないとなると、損害賠償を求めることは困難です(もっとも、今では、ドライブレコーダーの映像によって事故態様が一定程度判明する場合もありえますが)。とりわけ、高価な車の所有者は注意すべきでしょう。

    最後に、条例で義務化される地域の増えている自転車保険も、入っておくべきです。一億円近い賠償が命じられた例もあり、その危険性は、自動車等とあまり変わりがないからです。ことに事故が多いのは、思春期から大学生くらいまでの子どもや若者の運転によるもので、乱暴な運転による事故が目立ちます。子どもの自転車運転についても保険を付けるとともに、事故の恐ろしさについてもよく注意を与えるようにしてください。

    多くの人々は、弁護士は判例や学説をよく知っているものと思っていますが、実際には、たとえばこうした例がままあります。さらにいえば、裁判官についても能力にはかなりのムラがありますし、学者についても、みずからの専門分野の知識や理解からして怪しいという人も一定の割合でいるのが事実です。つまり、人々が専門家について抱いている「完全無欠あるいは少なくとも大半が高水準」というイメージは、明らかに幻想なのです。これは、法律家のみならず、医師、官僚、政治家、ジャーナリスト、エコノミスト等についてもいえることであり、知っておいてよい真実だと思います(いくつかの例については、もはやいうまでもないのかもしれませんが)。

    私自身も、自宅建築に当たり、その敷地の一部は義父から借りましたが、契約は賃貸借にし、契約書を作り、相場の賃料も支払っていました(義父が亡くなった後には妻の土地になりました)。「親しき仲でも、契約は近代標準でビジネスライクに」ということです。 最後に、重要なことを二つ付け加えておきます。 一つ目は、あなたがみずからの土地に子どもやその配偶者の建物を建てさせてあげる場合には、使用貸借にせよ賃貸借にせよ、事前に、ほかの子どもたちとの関係で問題がないかについても考えておく必要があるということです。そして、「その土地を借りる子どもにそれを相続させる旨の遺言」もしておくのが適切です。 二つ目は、使用貸借は親族や友人間で結ばれることが多いので、紛争になっても、話合いの余地は十分にあるということです。感情的にならなければ訴訟にまで至らずに解決できることも多いのです。

    最後に付け加えれば、近年、高齢者は、保証人がいないと建物賃借が難しくなっていることには、注意しておくべきです。持ち家か借家かという選択がよく議論されていますが、リスク予防という観点からみるなら、安定した老後のためには、自分の家を持っておくほうがよいことは間違いないと思います。借家であると、何かの理由でそこを出なければならなくなった場合に、困った事態になりかねません(そのような事態に対応する各種のサービス、たとえば一般財団法人高齢者住宅財団が行っている「家賃債務保証制度」等はありますが、もちろん万全ではありません)。

    これは、第7章で論じる雇用の場合等をも含め一般的にいえることですが、確かに、日本の法理論や解釈、あるいは法的なシステムは、それなりに精緻に組み立てられているという意味での「洗練度」については、かなり高いでしょう。しかし、法が、「そうした意味で洗練されているか否か」と、「それが適切なものであるか否か」とは、別のことです。 国連の拷問禁止委員会でアフリカの委員から「日本の司法は中世並み」という趣旨の指摘を受けた日本の大使が、苦笑を押し殺す人々に向かって、「シャラップ」と声を上げた映像が流出した事件(二〇一三年)は有名です。この大使の激怒の背景には、アフリカ人に対する差別意識があるようにも感じられます。いずれにせよ、「ガラパゴス的に進化した日本の近代・現代が、実は、世界標準から大きく外れたものとなっているのではないか」という疑いが公の場で明らかにされたという意味で、私にとっても、実に「苦い、痛い」出来事でした。

    日本の刑事司法制度には、二つの大きな問題があります。 第一は、「人質司法」、つまり、身柄拘束による精神的圧迫を利用して自白を得るやり方です。日本の刑事司法の顕著な特徴であり、冤罪の温床となっています。

    また、勾留は、拘置所ではなく警察署施設内部の代用刑事施設(いわゆる留置場、代用監獄。刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律一五条、三条)で行われるため、時間にかかわりなくいつでも取調べがなされえます。否認を続ける限り過酷な取調べから逃れられないため、被疑者は、虚偽の自白を行うことになりやすいのです。

    第二の問題は、刑事系裁判官の審理、判断が、往々にして非常に検察寄りだということです。冤罪事件、あるいはその可能性が高いといわれる事件の判決を読むと、裁判官は、検察官の主張やそれに沿う自白調書の内容については、ほとんどありえないようなことでも認めてしまう反面、被告人の反論については、相当の理由があっても、ごく簡単にしりぞけていることが多いのです。本来、刑事訴訟で必要とされる証明度は民事訴訟のそれよりもはるかに高いはずなのですが、実際には、そうした事件では、裁判官は、「民事でもおよそ原告を勝たせられないようなずさんな立証で、原告側に当たる検察官を勝たせている」のです。結果として、ほとんど被告人に無罪の証明責任があるかのような「有罪推定」の裁判になってしまっており、再審事件では、その要件が厳しいこともあって、右の傾向はさらにひどくなります。

    さて、以上を予備知識とした上で、普通の男性にとって巻き込まれる可能性の最も高い冤罪である痴漢冤罪の予防策について、具体的に考えたいと思います。 まず、最初に、電車内の「痴漢」がどのような犯罪になるのかを説明しておきましょう。一般的には、各地方公共団体のいわゆる迷惑行為防止条例違反罪、あるいは強制わいせつ罪(刑法一七六条)が成立します。その件数は年二〇〇〇ないし三〇〇〇件台であり、うち九割以上が迷惑行為防止条例違反罪です。

    痴漢冤罪には二つのパターンがあります。第一のパターンは、ごく普通の痴漢冤罪です。これについては、まず、一般的な予防策を挙げておきましょう。 
    ① 混んでいる車両では、できる限り女性の後ろに立たないこと。前記のとおり、痴漢は、女性の後ろにいる人に罪を着せて逃げられるように、横から手を出すことなどが多いからです。ことに、真後ろで密着するような位置に立つのは最悪です。 
    ② できれば両手で吊革につかまり、かつ座席に対面して立つこと。それが無理な場合には、片手で吊革を持ち、片手で鞄を持つなどして、両手をふさいでおくこと。痴漢騒ぎが起こったときに疑われないですみます(なお、騒ぎが起こってもあわててその姿勢を崩さないように注意。そのままの姿勢で対応しましょう)。 
    ③ 絶対に、泥酔した状態で満員電車に乗らないこと。年末等宴会、飲み会の多い時期にはことに注意すべきです。

    数はあまり多くないと思いますが、第二のパターンが、恐喝や脅迫の手段として行われるフレームアップ(でっち上げ)型です。 これは、集団による暴力を伴うスリ(二人以上が押さえ付けている間にもう一人が財布等を取る)と同じく、集団で痴漢の外形を作り出すものです。女性を含む何人かのグループでターゲットを取り囲み、女性が痴漢を訴え、その後、面識のない他人を装った男たちがターゲットをつかまえ、引っ立てる。そして、恐怖に震えるターゲットを「じゃあお金で解決しますか?」と恐喝するわけです。 目的はほとんどの場合金銭ですが、より恐ろしいのは、これが、ターゲットを脅迫したり、その社会的地位に致命傷を与えたりするために使われる場合もありうることです。

    そのような事態をもくろむ人間や組織に依頼されたグループが、さらに精妙な作戦を仕掛けることになります。闇に葬られてしまうので、その実態はよくわからないのですが、こうしたケースも実際に存在するといわれています。 このパターンについての予防策は、電車内では常に一定の注意力を保って周囲に気をつけていること、電車内で女性を含む怪しい集団に取り囲まれそうになったらすぐに逃げること、です。

    もっとも、こうして書いていても、私自身、「疑いをもった人々に取り囲まれてしまったら、たとえ法律家であっても、沈着冷静に対応できるだろうか?」という危惧はぬぐえません。 実際、法学部の教授にさえ、冤罪の可能性が高いといわれる痴漢の疑いで退職を余儀なくされた人がいました。まずは、先に記した予防策を徹底することが大切です。

    ほとんど罪の意識のないまましてしまいやすいのが、捨てられているように見える放置自転車を、そうなのだろうと考えて拾ってくる行為です。それが本当に捨てられたものではなく、乗り捨てられた盗難自転車だという事態は、よくあります。そうすると、占有離脱物(遺失物)横領(刑法二五四条)に問われます(なお、態様によっては、より重い窃盗とされる余地も、ないではありません)。また、本当に捨てられたものかどうかは調べてみなければわからないので、たとえば警官に職務質問された場合などに、当面は「犯罪の疑いがある」という取扱いをされる可能性もあります。

    また、バイト先のレジから五〇〇〇円、一万円といった比較的少額の金銭をくすねる行為もかなりあります。これは、ごく普通のバイト高校生がふと魔がさしてやってしまいやすい犯罪の典型ですが、窃盗になります(アルバイト学生は、レジのお金の「占有・管理者」ではないので、業務上横領ではなく、窃盗になるのです)。電車等に忘れられた物の置き引きも、少年や若者がついやってしまいやすい犯罪類型です。これは、態様によっては、占有離脱物横領でなく、より重い窃盗になる場合があります(捨てられているように見える自転車の場合よりも、窃盗が成立しやすいです)。

    次に、大人も含めて注意しておくべき犯罪類型を挙げます。 意外に多いのが暴行、傷害です。ついかっとなって殴ってしまうというのは、全く前科、前歴のない人でもやってしまいやすい犯罪です。また、これについては、相手の攻撃が先立っていたとして正当防衛(刑法三六条一項)の主張がされることも多いのですが、正当防衛は、基本的に、「急迫不正の侵害」に対するやむをえない防衛について成り立つとされるもので、成立要件がかなり厳しいです(この点、たとえば、アメリカ法とは相当に異なります)。ことに、いわゆる「けんか、闘争」の場合にはそういえます。

    刃物を手にするのは、どんなに小さなものであっても論外です。裁判官として被疑者の勾留を担当していて、いたたまれない気持ちにさせられた例の一つが、「兄弟姉妹とけんかになって激高し、ついその場にあるナイフ(たとえば果物ナイフなど)を手にして突き出したら、あっけなく死んでしまった。殺すつもりなんかなかったのに」と訴えられる例です。しかし、これは、殺人罪に問われる可能性が高いです。

    インターネットには匿名の誹謗中傷が非常に多いわけですが、摘示した事実の真実性等が証明できなければ名誉毀損で、事実を摘示しなくてもその表現によっては侮辱罪で、刑事、民事の責任を問われえます。通常は放置されていますが、悪質なものについては、刑事公訴を求める告訴や損害賠償請求がありえ、そうすると、「リツイートをも含め単なる拡散者もその対象になる可能性がある」ことには、ご注意ください。

    法がこうした領域に立ち入るに当たっては、ミクロな視点だけではなく、社会全体の利益というマクロな視点からの考慮も、必ずなされる必要があります。警察や検察は、権力機構として、当然のことながら、権力の拡大を望んでいます。しかし、警察や検察の権力拡大は、結局、権力や金力をもつ者にとって不都合な言論を狙い撃ちにする捜査や起訴の余地を広げる結果をもたらし、必ずや、民主主義の弱体化と停滞、権力のほしいままな行使を招きます。それは、個人のみならず、社会や国家の健全性のためにも、よいことではありません。

    団体旅行でもフリープランであれば、また、個人旅行では、ヨーロッパ中心部は比較的安全かもしれませんが、それ以外の地域では、それ相応の、あるいは相当の危険が伴います。ニューヨークの危険地域で買春を試みた日本人旅行者が多数亡くなっていたという話を第5章に記しましたが、それが典型ですね。アメリカを例にとると、たとえば、安全な地域のすぐ隣に危険な地域がある、安全な地域でも日が落ちると途端に危険になる場合があるなどのことがあります。しかし、旅行者にはそうしたことがなかなかわかりません。

  • 交通事故、相続、離婚、不動産、痴漢冤罪…。元裁判官にして民事訴訟法の権威が、法的紛争、生活や取引上の危険を避けるため、あるいはそれらに適切に対処するために必要な法的知識・情報をわかりやすく紹介する。

     具体的には、まず、第2章で、遭遇することが最も多く、結果も重大なものとなりがちな交通事故関係につき、損害賠償の実際と過失相殺、危険性の高い行為、保険の内容、事故対応、保険会社との交渉、訴訟等の事柄を、基本的な前提知識をも確認しつつ論じます。

    第3章では、民事訴訟の数が非常に多い「不動産関連紛争」一般につき、使用貸借と賃貸借、土地・建物購入、建物新築と欠陥住宅紛争、競売物件、隣人間紛争等の各側面から説きます。

    第4章では、痴漢冤罪を含め、刑事事件関係全般について、若者や子どもをも含めた普通の市民が注意しておくべき事項について述べます。

    第5章では、親族法の領域につき、離婚事由や手続、これに伴う各種の給付・親権者指定、夫婦間の子の奪い合い、国際結婚、不貞慰謝料等の事柄を語ります。

    第6章では、近年非常に紛争の増えている相続法の領域につき、相続人と相続分、相続放棄、各種の遺言、遺産分割、遺留分侵害額請求、相続税対策の落とし穴等の事柄を、いずれも、できる限り詳しく、わかりやすく、また、正確に解説します。ことに第6章は本書の大きな目玉であり、具体的な例についてのかなり突っ込んだ記述をも含みます。相続法は近年大改正された分野の一つであり、また、読者にとっての必要性も高いと思われるからです。

    第7章と第8章では、それ以外の多様な紛争・危険防止策について、前者では、雇用、投資、保証といった経済取引の、後者では、医療、日常事故、いじめ、海外旅行、高齢者をねらった犯罪といった日常生活上の紛争・危険の各観点からくくった上で、重要と思われる事項をピックアップしてゆきます。

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著者プロフィール

1954年、名古屋市生まれ。東京大学法学部卒業。1979年から裁判官。2012年明治大学教授に転身、専門は民事訴訟法・法社会学。在米研究2回。著書に、『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(第2回城山三郎賞受賞)『民事裁判入門』(いずれも講談社現代新書)、『檻の中の裁判官』(角川新書)、『リベラルアーツの学び方』『究極の独学術』(ともにディスカヴァー・トゥエンティワン)、『教養としての現代漫画』(日本文芸社)、『裁判官・学者の哲学と意見』(現代書館)、小説『黒い巨塔 最高裁判所』(講談社文庫)、また、専門書として、『民事訴訟法』『民事保全法』『民事訴訟の本質と諸相』『民事訴訟実務・制度要論』『ケース演習 民事訴訟実務と法的思考』(いずれも日本評論社)、『民事裁判実務と理論の架橋』(判例タイムズ社)等がある。

「2023年 『我が身を守る法律知識』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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