- Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065321270
作品紹介・あらすじ
『高瀬庄左衛門御留書』『黛家の兄弟』に続く、「神山藩シリーズ」最新作。名判官だった祖父・失踪した父・重責に戸惑う息子――町奉行を家職とする三代それぞれの葛藤を描く。18歳の草壁総次郎は、何の前触れもなく致仕して失踪した父・藤右衛門に代わり、町奉行となる。名判官と謳われた祖父・左太夫は、毎日暇を持て余す隠居後の屈託を抱えつつ、若さにあふれた総次郎を眩しく思って過ごしている。ある日、遊里・柳町で殺人が起こる。総次郎は遺体のそばに、父のものと似た根付が落ちているのを見つけ、また、遺体の傷跡の太刀筋が草壁家が代々通う道場の流派のものではないかと疑いを持つ。さまざまな曲折を経て、総次郎と左太夫はともにこの殺人を負うことになるが、果たして事件の真相と藤右衛門失踪の理由とは。~「神山藩シリーズ」とは~架空の藩「神山藩」を舞台とした砂原浩太朗の時代小説シリーズ。それぞれ主人公も年代も違うので続き物ではないが、統一された世界観で物語が紡がれる。
感想・レビュー・書評
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季節ごとの光や植物、鳥、そして食べ物の描写が楽しい。
ご隠居様の左太夫をはじめ、初々しい総次郎、友垣の武四郎など魅力的な人物がたくさん。唐突なチャンバラが多く戸惑ったが、扱っていた案件を考えればさほど不自然なことでもないのかな。総次郎の今後が楽しみ。 -
小説現代2023年6月月号掲載のものを2023年7月講談社刊。神山潘シリーズ3作目。祖父左太夫、父藤右衛門、子の総次郎と三代の町奉行を同時に登場させて語るストーリーが緻密で秀逸。前半は謎が多過ぎて冗長なため、少しだれるが、その分、後半でのスピード感が痛快。
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「神山藩」シリーズ第3弾。とのことだが、それぞれの年代が異なるゆえか、登場人物たちに関連性はない。
町奉行だった父が前触れもなく致仕し、行方不明に。
父に代わり町奉行となった18歳の息子総次郎は、父を探すため、明判官だった祖父の左太夫に助力を求める。
それぞれの父と息子の物語。
折々に虫や花の描写が差し込まれ、季節感たっぷりの清涼な文章で綴られる著者の小説は、ゆったりとした心のゆとりを読者にもたらしてくれる。
藤沢周平、葉室麟亡き後の時代小説を背負ってくれる存在となっている。 -
架空の神山藩シリーズは安定の心地よさ。今回は奉行職を世襲する武家の親子三代の物語。この親子が親子関係においては絵に描いたような不器用な親子で、その悔恨や(遅まきながら)関係性の構築を軸に、殺傷事件の謎を追っていくうちに、、、とあとは読んでのお楽しみ。相変わらずの文章の清廉さが心地よい。今回はかなり意図的に、各章の冒頭に庭の草花や鳥、虫、気候などの描写が入れられていて、それが登場人物の心理とシンクロして、読む者としてすっと世界観の中に入り込む手助けとなっているように思われる。語調が良いのだろうか、とにかく読みやすく、一文字残らずきちんと読んでも苦にならない(最近のネット発の作品はこの点大いに劣っている、それはいいとして)。
仕事や生活に疲れている時に読むと、デトックス効果があると医師が薦めたらいいのにと思うほど、心地の良い作品だった。また次作までじっと待とう。 -
「神山藩シリーズ」
季節の移ろいやそれに伴う旬の花や食べ物の描写がとても良かった。祖父、父、子の三代のそれぞれの生き方。あの後『壮』で三人はどんな話をするのでしょうか…。 -
美しい日本語と言葉が描く世界観を堪能した1冊でした。
砂原さんの『神山藩シリーズ』3作目。
架空の藩での出来事を1作目、2作目と登場人物を違えながらも、当時の士分の置かれた環境や階級の上下による葛藤等が本作でも丁寧に描かれます。
季節の移ろいや草木、鳥などへの繊細な描写から時間の流れる様、人の心の迷いや憂いが自然に浮き立ちます。
「嬉しいを嬉しい」「哀しいを哀しい」などと端的で簡便な言葉で表現せず、人の心の奥底にある幾重にも重なる感情を自然描写に重ねる筆力には脱帽でした。
「子をいかに慈しむか」「親をどう超えるか」の答えは私たちが求め続ける課題です。
慈しみと思慕、憧れと嫌悪が同居する親子関係は特別なものではないことがわかります。
人が抱く権力や上昇への憧れや執着、できなかったことに後悔の念、他者と比べることによる嫉妬心等々、登場人物それぞれが抱える心の中の脆い部分も丁寧に描かれ、物語が自然に展開される様子に引き込まれました。
時代物は今のところ砂原さんが私の中でナンバーワンです。次作も楽しみ。 -
ストーリーとは別に季節感あふれる色と光に鳥の囀り描写、砂原さんの文章癒される。「零れるような夕映に照らされてる」こんな表現思いつかない…「望むままに生きられる者などおらぬ」「すまぬ思いの百や二百抱えたままあの世へ行くのが大人というものであるわえ」「誰しもさまざまな枷に搦め取られて日々を過ごしている。その人がどうかより、いかなる立場にあるかということで物事が決められてゆく」人生訓もさりげなくたっぷり。