レーエンデ国物語 月と太陽

著者 :
  • 講談社
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感想 : 184
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  • Amazon.co.jp ・本 (608ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065326800

感想・レビュー・書評

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  • 2024年はこの一冊で始めようと31日から読み始めたのですが分厚さの割に読む手が止まらず、下手したら年内読み終わっちゃう、と焦るくらい面白かったです。そして感想がまとまらないくらいいろんな思いが溢れてきてます。ネダバレとまではいかないが、結末の一部分には触れてます。




    この物語に出てくる人物はみんな一途。一途に誰かを思って思って思って思うからこそ残酷で厳しい道も進んでいく。それが狂おしい。

    一巻からかなり時間が経った時代のこと。前作の主人公であるユリアとトリステンの気配もあまり見せないまま、物語は新しい主人公に受け継がれる。いきなり時代ぶっ飛んでキャラも変わって物語に入れるだろうか?というのは杞憂。
    テッサ、ルーチェ、キリル、イザーク、新しい魅力的なキャラ達が物語を広げていく。

    レーエンデを解放するため革命に身を投じる主人公達。彼らの原動力は大義より身近な誰かのため。テッサを除いて。テッサだけは身近な誰かを選べなかった。それを解放してくれたのが最後のキスなんて悲しすぎる。

    個人的にはエドアルドがどうしても嫌いになれず、ルチアーノの異名もきっと何かこの先に繋がる意図があるのだろう、と願ってしまう。彼が壊れたとは思わない。きっと何か意図があっての残虐王だと。彼が40年も孤独を生きた意味があると。
    あと、イザークが好きで好きだから彼の結末もしんどすぎた。残されるのはしんどい。

    この巻では銀呪病が一巻とは扱いがだいぶと違ったな、と思ってます。恐ろしい不治の病から何か毒薬のような響きを孕んだなぁ、という印象。

    続きは早々に読む。

    2024.1.1
    1

  • 連作物の2巻というと、どうしても小休符的な内容となってしまいがちですが、この作品は違いました。
    私の中で最高峰のファンタジーとも思えた1巻をも凌ぐ重厚な仕上がりだと思います。
    言うなれば、「凄絶な愛の物語」。
    勇敢な愛、残酷な愛、絶望、、主人公たち各々が進む道には各々の"正しさ"が存在するはずなのに、
    それでも立ちはだかる叶わないこと、やりきれないこと。。
    全体としてみたら救いのない物語だった、のかもしれません。
    けれど、私はそこに希望を見たし、彼らの行動からも言葉からも人間の根元にある大切なものを受け取れた気がします。
    1巻とほのかに(がっつり?)交わる部分もあったり、、ヘクトルという単語が出るたびに嬉しくなる自分がいました笑
    息を呑む展開多々、、クライマックスでは涙腺崩壊でした。
    3巻を読むのが楽しみです。

  • 「革命の話をしよう」で始まる大河ファンタジーの第二弾。前作に続いて幻想的な世界で繰り広げられる物語に魅了された。
    物語は終盤まで王道を歩むが、第12章の「短い夏の夢を見た」という短い文章で劇的に転調する。
    映像化するならロングショットにしかないと思われる最終盤の展開には賛否があるだろう。私もしばらく呆然としてしまったが「革命には、このような出来事はつきものなのだ」と理解することにした。
    次巻の発売を待ちたい。

  • 大変読み応えのある作品でした。
    最後の場面があまりにも切なすぎて一度読んだだけでは消化不良だったので、以下あれこれ考えてみましたが、総じて非常に満足感の得られる物語でした。
    登場人物全員の生き様に心を打たれます。
    十二月の花嫁になれて良かったね、テッサ。

    【以下考察】
     ルーチェが好き、愛しているといいながらも、テッサの言葉の端々にシモンの影響が濃く出ている点が気になったので、テッサにとってルーチェとシモンはそれぞれどんな存在だったのかを考えてみた。

     テッサにとってルーチェは、最期まで唯一の家族で、希望で良心だったのだと思う。ルーチェがテッサを好いて、認めてくれたから、テッサも自分自身を好きになれた。どんな状況に身を置いても人の心を失わずにいられた。一人間としてのテッサ・ダールの心を支えていたのがルーチェだったのだと思う。
     対してシモンは、テッサに英雄として生きる選択肢を最初に与えた人である。実際に行動に移すきっかけはダール村の襲撃にあっただろうが、それ以前のシモンとの会話があったからこそ、テッサは英雄として生きる道を選べたのだと思う。テッサが義勇軍の仲間を率いる際に言う「諸君、仕事の時間だ。たったひとつの大事な命、慌てて落っことすんじゃないよ!」という言葉も、磔刑台から民衆に向けて想いを伝えた際の「生まれた瞬間から最期の息を引き取るまで、あたし達の人生はあたし達のものだ。命も矜持も魂も、すべてあたし達自身のものだ。」という言葉も、テッサの第九中隊時代にシモンが放った言葉である。「英雄」としてのテッサ・ダールの生き方を方針付け、支え励ましてくれた存在がシモンだったのだと思う。だからこそ、自らの手でシモンを葬った時、「英雄」を支えてきたものがなくなってしまったから、あれほどまでに落ち込み、引きこもらざるを得なかったのだろう。
     シモンの死により「英雄」としてのテッサは一度折れかけたものの、最後にはルーチェが好いてくれた、強くてかっこいい「テッサ」でいるためにも、「英雄」として生き抜くことを選んだのではないだろうか。

     ここでもう一点考えたいのが、テッサにとってルーチェは最後まで光で希望だったが、ルーチェにとってのテッサは最後、果たして希望だったのか絶望だったのか、ということである。
     
     テッサが亡くなる直前、ルーチェと最後に会った場面のルーチェの言葉が「愛している」でも「大好き」でもなく、「まだ生きてるんだね」「もう死んでもいいんだよ」「さよなら」だったのが堪らなく悲しかった。テッサと過ごせた時間も、愛しいという感情も、兄エドアルドの犠牲によって成り立っていたと認識してしまった以上、もう「愛している」とは言えなかったのだろうか。それとも、テッサへの愛しさのメーターが振り切れ、裏切られたと絶望したが故の言葉なのだろうか。
     
     直接的な表記はないものの、ルーチェもといルチアーノは後に、テッサが生涯大切にしていた形見のナイフを用いて、吟呪に蝕まれて苦しむ兄エドアルドの息の根を止めたと思われる。そこには、苦しみを終わらせてやろうという慈悲の念と共に、エドアルドがテッサの死を神の御子に願ったことへの怨みも含まれているのではないだろうか。また、テッサのナイフを用いることで、テッサがついに成しえなかった法皇の打倒を間接的に達成させてやる、という意味も含んでいるとしたら、テッサの死後もずっと、心のどこかでテッサのことを想い続けたといえる。
    (使用したテッサの形見を持ち帰らず手放したので、残虐王として今後の人生を生きる覚悟を決めた上でのテッサとの決別の意味もあったのかもしれないが。)

     また、ルチアーノが制定した『犠牲法』は一見すると悪質なだけだが、最後までテッサについていかなかったレーエンデの民への怒り、同じレーエンデの民が争い合うことへの怒りと粛清の意味も込められているように思う。
     加えて、ルチアーノ(ルーチェ)はテッサに「命懸けの戦いを始めるには早すぎた」と言っている。レーエンデに闇と危機感と絶望が足りなかったと。故に、自らの非道な行いで民に恐怖と絶望を与えることで、いつの日か革命の火種になることを、レーエンデに革命を起こす者が奮起することを、心のどこかで願って恐怖政治を行っていたのだとは考えられないだろうか。

     以上から考えると、ルーチェにとってテッサは最後、暖かい希望の光ではなかったかもしれない。恨んだ日もあったかもしれない。しかし、心の奥深くには常にテッサの存在があり、様々な意味で生涯テッサを想い続けたと言えるだろう。

  • 早くも第二巻。アレーテが秘めるキリルへの想いが切ない。ダール村の惨劇、ヴァレッティの屋敷の火事の真相、コシモ暗殺などショッキングな展開が続いて目が離せない。アルトベリ城攻略がスリリングで良い。エドアルドの恨みの強さが恐ろしい。終盤でテッサがユーシスとカイルに託した役目に胸を打たれる。あらすじの時点でフラグが立っており嫌な予感はしていたが、これだけやっても結局誰も幸せになっていないのがつらい。内容が盛り沢山なのでそろそろ年表が欲しい。次巻も楽しみ。

  • 前作から連なるレーエンデに巻き起こる革命の物語。時はユリアの時代から約100年後、帝国支配が続く暗黒時代のレーエンデ。後に残虐王と呼ばれるルーチェと、村の娘テッサが出会い、レーエンデに大きなうねりが生まれる。
    またしても圧倒的なファンタジーで度肝を抜かれ、没入して読んだ。本作も魅力的な仲間たちが登場し、レーエンデ解放のために命を賭す。
    第三部の刊行も決まっており、この大きな物語はどう着地するのか。脈々と受け継がれる革命の火の行方は。民族や国家、迫害等、現実世界にも通ずる問題が根底にあり、読み応えがあった。人は革命の中でどのように行動するか、世論はどうなるのか、想像しながら読み進めることで、自分ならば…とファンタジーと分かっていながら考えを投影してしまう。それだけのめり込ませる物語だった。とにかくすごい物語だ。

  • 1巻より厚い…
    図書館の返却期限までに読めるかな〜
    と思いながら読み始めましたが、内容も登場人物も1巻とは違うのに気付いたら夢中でした!
    テッサが最初から最後まで本当にかっこよい!
    女性としてだけではなく、人としてもすごく憧れます。

  • レーエンデが自由になるために必要な革命であるのは頭では分かっているけれど、心が追いつかなかった。
    読み進めるたび心が苦しくなった。
    それでもページを捲る指が止まらなかった。
    キリルの覚悟、イザークの思い、テッサの死には涙が止まらなかった。
    読み始めは『残虐王』と呼ばれたルチアーノについてどうしてそう呼ばれたのか疑問に思っていたけれど、
    終章で回収されたので納得した。
    ただただ心が苦しかった。

    だけどテッサの死後、
    シモン中隊長やアレーテ、キリル、ダール村のみんなや義勇軍の仲間たちの明るい声がこちらにも聞こえてきて、
    テッサの太陽のような笑顔が浮かんできて少し救われた気がした。

    レーエンデに自由を―

  • 今作もめちゃめちゃ長い。見てわかるほどに分厚い本だというのに手に取ってしまうのは、前作が面白かったからだと思う。

    レーエンデ国物語として、一体どこまで続くのかわからないけど、今回の舞台は前作の約100年後。前作の登場人物の名前もチラホラと出てきたので前作を読んでると、より物語に入り込めるかと。
    今回の主人公は名家の次男ルチアーノとレーエンデの英雄となるテッサ。
    今作は、後半から読むのをやめられなかった。辛い展開に私の心も抉られつつ、どうすればよかったのだろう、と私も考えた。人生には転機があって、その時の選択で今後の人生が大きく変わることがある。この物語でも、そういうことがたくさんあって、あの時こうしていれば…とか考えてしまった。
    ルーチェとテッサが幸せになってくれたら良いな〜と平和に考えていた序盤から物語は戦いを中心に暗く辛い展開へと進んでいきます。
    ルーチェ(ルチアーノ)は心が壊れてしまったのかな…本当にどこで選択肢を誤ったんだろう。ルーチェだけじゃなく、周りの人の選択も含めて。賢くて優しいルーチェが残虐王と呼ばれてしまうまでになってしまうなんて。あー!本当に辛い!!
    とはいえ、最期まで自分の信念を貫いてテッサは格好良いなと思った。姉のアレーテ、中隊長のシモン…テッサを囲んだ人たちのもとへ還っていけたのかなと思えば少し心が救われる。

    3作目もすでに発売されているので読みたい…いや読むつもりですが、幸せな終わりを望んでしまいます…!

  • 未来で革命と一言で表される史実にも人々の痛みや悲しみが含まれている事を痛感させられた。
    今の世界が平和なのであればそれは過去に革命の為に生きた人がいるからなのではないか

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著者プロフィール

2006年、『煌夜祭』で第2回C・NOVELS大賞を受賞しデビュー。著書に「〈本の姫〉は謳う」、「血と霧」シリーズなど。

「2023年 『レーエンデ国物語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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