不幸になる生き方 (集英社新書)

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  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087205473

感想・レビュー・書評

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  • 20130810

  • 妬みや嫉みの感覚から解き放たれた人たちは、人のことを羨むことはないし、他人に対しても寛容です。自分の得意分野を生かして他者のために活動し、大勢の人の共感を集めています。他者からの信頼こそが経済的利益の源泉になるということです。他人に貢献すればするほど、自分の応援団も増え、十分に貯蓄した経験資産で相手に貢献することです。自分の得意分野の情報やスキルは、水のように湧いてくるものだから、どんどん惜しみなく与えてしまおうということです。毎日が平和に終わって、そして、周りの人たちが喜んでいると、それが幸せなんです。

  • リスクを引き受けないから不幸になる。自責の人、責任のとれる人になろう。
    精神的、社会てにもある程度自立している人向けだと思う。
    安全な所に身をおいて、批判を繰り返す人は最も醜いと思う。
    (図書館)

  • 自分の人生の主導権については、同感した。人間関係において、今ある知識を知らせる、無理をしない、利他のすゝめは、生き方を楽にしてくれると思った。
    あと、何章か分けてかいてある構成だが、同じ事を述べているため、退屈。

  • 著者の体験から【幸せをつかむ生き方とはすなわち、地獄へ進む道、不幸になってしまう生き方をとことん知ること、そしてそれを避けること】、【人生のコントロール権を自分以外の何か(世間、他人など)から取り戻し、不幸な人生を幸福な人生に変えてゆくことを「方法論」「技術論」として捉えたほうが、「より早く、より効率よく」結果が出ますよ。というのがこの本の趣旨】だとする。*【 】内は前書き引用

    以下は自分宛て
    ・器の大きな人=リスクを取れる人。小さな約束を守ることから。
    ・幸せの源泉を一極集中にしない。(仕事だけ、家族だけ)
    ・ネガティブは自分に返る。
    ・失敗を恐れず行動する。

  • まだ読んでいる最中なのですが、ひとつ思ったことを忘れないために記録しておきます。かなり辛口ですので、苦手な方はご注意ください。すみません。

    ▼以下、主に全体理論編について▼
    『高学歴でも失敗する人、学歴なしでも成功する人』というのを1冊読み終え、いま『嫌われることを恐れない突破力!』という本と並行してこの本を読んでいるのですが、勝間さんの本を読んでいての違和感の正体になんとなく見当がついたので、読了前ですがメモをしておきたくなりました。

    ものすごく正直な感想を言うと、ヌルい。
    勝間さんはかなり自己肯定感が強く、実績に裏打ちされたものである以上、そこに他者が口をはさむ余地は確かにないのですけど、勝間さんの想定している不運とか不幸とか、そういうもののレベルが、非常に、大したことない。

    離婚2回、転職3回、育児と仕事の両立、そういうことで苦労をしただの不幸だの、そしてそれを乗り越えたからと言って、自分の成長を確信し、自己肯定感を強めただの、それって果たして、不運とか不幸とか苦労のうちに入るのだろうか。もちろん入るとは思いますが、苦労した話、苦しんだ話として話すのには、それほど大したレベルではない気がするのですよね、どうしても。
    誰もが通る道ですから。
    人によって経験の多い少ないはあるでしょうけども。

    やはり勝間さんは恵まれた環境に居続けた人なのだな、とどうしても痛感してしまう。
    自分の育てられた環境にも思うところが少しはあったとこぼしておられますが、私から見ると、なんと恵まれた生活か! と思ってしまう。
    もちろん傍から見ているだけでは本質的なところはわかりませんが、虐待の形跡もなく、犯罪に巻き込まれた形跡もなく、家庭が崩壊した形跡もなく、首が回らなくなった形跡もなく、ただただ自由が過ぎたことを不満だとおっしゃる、なんと贅沢な人だろうか、というのが正直なところです。

    恵まれた人にしか役立たないという指摘を、勝間さんは自分なりの理屈で克服したつもりでおられますが、勝間さんの想定しておられる不幸や不運と、実際に人々の経験しうる不幸や不運とのすさまじいギャップに彼女自身が(この本を書かれた時点では)気づいておられない。
    彼女の歩んできた人生の範囲で想定しうる苦しみと、それ以外の人々のうちあるところに属している人々の常に感じている苦しみ、その間にあるギャップに仮に気づいておられたとしても、そのギャップに目を向けることをあえてしていないようにどうしても見える。

    勝間さん自身、日本における全人口のうち、数パーセント程度にしかならない成功者のひとりだと思いますが(金銭面、知名度、能力面、家庭その他もろもろを考慮して)、このわずか上位数パーセントに属する人が、さらに上位数パーセントを見上げて、私より恵まれているけれど、総合点では私が上だとか、私は上位数パーセントに属していませんよ、だってこんなに苦労したもの、と誰もが通過するような経験だけで語ってしまうところだとか、やはり上流階級に住む人は上流階級以外を社会とみなしていないのでは……と感じてしまう。
    もちろんすべての上流階級育ちがそうだとは思いませんが、少なくともこの人は下を知らないし、知ろうともしていない。
    そういう下のほうの存在がいることは知っていても、なら彼ら彼女らに歩み寄り、彼ら彼女らでも幸せになれる方法を伝授する気があるのかないのかと言ったら、少なくともわかりやすくまとめられたノウハウだけを見ていると、その気があるようにも見えるのですが、ところどころに出てくる彼女自身の経験から出るさまざまな例や比喩を見ていると、そんな気は一切ないようにも見えてしまう。
    幼稚舎から慶応に通っている人は恵まれていて、自分は中学からだからそれほどでもないと述べているところなど、思わず考え込んでしまいました。

    世の中には虐待や犯罪でまともな精神状態ではないなか、本当に苦労して社会に溶け込み、あらゆる不安感と闘いながら生きている人や、事故や災害で家族を亡くして、それでも生き続けている人、金銭面で本当に苦労して、心から落ちつける瞬間のないまま、日々をやりくりに追われている人、いろんな人がいるわけで、そんな人が、「私って中学から慶応だからそんなに恵まれてるわけじゃないし、親も勉強面で私に無関心だったんだけど、私より恵まれてる幼稚園からのエスカレーター組は壁にぶち当たることが少なすぎて失敗してる人もいるのよね、だから総合的にみれば私のほうが勝ち組なのよね」とか言われた日には、返す言葉もなく怒りを鎮めるのに精いっぱいになりそうですが、こういう現実に対して勝間さんの出す答えは、恵まれない人=他責的な人、との決めつけを前提に、「他責的な人が、実は日本の社会の変革をさまたげ、多くの人を苦しめている側面があると思っています」(p.43)と憚ることなく書きつけている。そして恵まれない人=他責的な人、と決めつけた理由として、他責的な人がどういう人物であるのか、p.86-88で分析されているわけですが、きわめて単純に「他責的な人は理想が高すぎ、この理想に届かないとき、社会のせいにしている」とだけ書いている。そしてこの他責的な人の及ぼす悪影響はこの本全体にわたって延々と描かれているわけです。

    極論かもしれませんが、飲酒運転で家族を失い、法的な問題から加害者に正当と思われる罰が下されないことに憤り、法へ失望を募らせる遺族に、「あなた理想が高すぎるのよ、理想通りにいかないからって社会のせいにするのはお門違いだし、あなたのせいで迷惑をこうむってる人だってたくさんいるのよ」なんて言われた日には、気が狂いそうになってもおかしくないと思います、少なくとも私は。

    以上のことから、この本は、上流階級に属していて、せいぜい出会うのは仕事上の困難くらい、そういう人々が手に取って、ためになるか、あるいはありきたりだと手放すか、そのくらいの本であって、まちがっても人生について深刻な悩みを抱えている人が活路を見出すヒントとして読むべき本じゃない。そもそもそういう目的を持った人に向けて書かれた本でもないのでしょう。
    『嫌われることを恐れない突破力!』の中で、勝間さん自身、自分は人の気持ちがわからないから、徹底的にシミュレーションすることでこれを克服している、とおっしゃられていますけれども、非常に浅く、拙いシミュレーションで、勝間さんは読書量も相当ある方のように感じるのですが、人にかかわる本を読んでいて、自分の人間への分析が非常に甘いことに気付く瞬間はなかったのでしょうか。少しでもそういう本を読んだことのある人なら、もう少し広い視野で、かつ深く、考察ができてもよいように思います。そもそも、何かを伝えて誰かの助けになるためではなく、売れることを至上目的としている人の本にそこまでを期待するものではないとも思うのですが、それならばもう少しタイトルを工夫するとか……タイトルにつられて購入しても、懐にお金が入ってしまいさえすれば、売る側としては成功なのかもしれませんけれども、もう少し誠実に人々と向き合ってほしいようにも思います、それこそお門違いかもしれませんが。


    以下は余談になりますが、あまりにも健全な環境で育ってきた人は、ある種、激しい感情(あるいは極端に激しくない感情)を得る機会が圧倒的に少なく、そういうものを持つ人を目にすると、たったひとこと、幼稚な人、として避ける傾向にあると思います、その人がどういう人であるのか、浅いレベルの考察しかせずに、その浅い考察をまちがいのない答えだとみなして。
    良識や常識といった言葉でその行動が何によるものなのか覆い尽くし、どうしようもない泥沼にいる人々から正当に遠ざかることを賢さだという人を、私は真に賢い人だと思っていません。できうる範囲での最善の選択をした人ではあるかもしれませんが。
    臭いものにふたをするだけでは、臭いものは増え続けてしまいますし、閉じ込められた中でどんどん腐ってよりいっそうの異臭を放つようになれば、より効果的な臭いの封じ込めに出るわけですが、その臭いものだって最初から臭かったわけではないのですよね。あるいは、洗い落とせば、臭いが少しずつ取れてくるかもしれない。そしてその臭いのもとは、いつか自分が落とした汚れによってもしかすると構成されているかもしれない。というか、臭いものがひとりでに臭くなるはずなんてなく、周囲の酸素や温度、湿度などの条件、それからそんな場所に放置した人のうかつさ、そんな場所に放置されているのにあえて見向きもしなかった人々の無関心さ、そういういろんな要素が組み合わさって臭くなるわけです。腐らないうちに加工するなり処分するなり食べるなり、方法はいろいろあったはずなのに、その方法がとられていない。だから少しずつ、臭いものが少しでも、封じ込めによってではなく臭くなくなる方法を考えないと、特定の臭いものにだけしわ寄せが来続けてしまう。でもたったひとりでその臭いと向き合い続けるのは厳しいから、全員で、0.0001%ずつでもいいから、負担を分散して、臭いを分散する方法を考え、つくりあげていく。
    そういう視点があったっていいと思うのですよね。
    むしろこの部分が難しいからこそ、良い考えはないかと探し回ったりもするわけで、臭いものにはふた! 切り捨て! というやり方は根本解決でもなんでもなく、対処療法の中でも相当杜撰なほうに入ると思うのですよね、それこそ幼稚園児でもやっている。

    しかし、他人が助けてくれないのを悟ったのが30代前後とは、ほんとうに恵まれていなければなかなかありえないことでしょう。他人が信用ならないことくらい、卑劣な手段に出ることくらい、知っている人はすでに小学生の段階で嫌というほど味わっているし、恨みという感情だって知っている。世の中にはすでに中学生の段階で世捨て人のような価値観をもっている人だって、いるところには溢れかえるほどいると思うのですが、彼らが一種のパブロフの犬で、だから何もしないんじゃない、できないんだと気付いた時には、すでに私は大学生になっていて、私は自分のことでそれまで必死でしたから、さも自分だけが大変であるかのように思っていたけれども、それがどれほど傲慢なことだったか思い知った時には、彼女らに対して申し訳ない気持ちやらどうにかしたい気持ちやら、けれどこちらから何かアクションをとる傲慢さに対しての戸惑いやら、とにかくいろんな感情に支配されて、でも結局いままでも何もできていない、どうしていいかもわからない、という状態で、これがいまも続いています。人と比べて恵まれていることに罪悪感を感じては、人を見上げて嫉妬したり、自分を卑下したりの繰り返しです。こういう経験も、少なくとも恵まれていることに関して罪悪感を感じるなんて経験は、あまりなかったのではないのでしょうか、上を見上げて嫉妬はしても。あるいは、そういう人々を見たこともないのか(そんなはずはないですよね著書を拝見する限り)、それともそういう人々を目にしても、まったく彼らを構成した要素に興味を示さなかったのかはわかりませんけれども。
    大学進学によって人生を正規ルートに戻そうとしたときの私に罵声を浴びせた人もいますが、そういう言葉を浴びせる人の感情を目の当たりにしたとき、そこからひとり抜け出す罪悪感や幸運への罪悪感、いままで共有していた苦痛の共有が失われ、関係が瓦解していくことに対して、何もできずに何をやっても空回りになる、謝罪することも気休めを言うことも何か違う、そういう経験は、勝間さんにはおそらくなかったのだろうと思います。少なくとも私は、私の目の前にいた他責の人々に対して、「他責の人のままでいるから成功できないのよね」なんて、思うことも憚られますが、ここですぐさま、「私にこんなこというなんて、ひどい!」と思うような人ならば、この本は一読の価値があるのかもしれません。本質的に、勝間さんはかなり自己肯定感も強く、自信に満ち溢れた合理的で、悪意のない残酷さを虚飾なくオープンにしてしまうたちの人でしょうし(そしてそのことに無自覚で)、だから本来的には他責の人なのでしょう、「私にこんなこというなんて、ひどい!」とすんなり思えてしまう。けれど彼女が他責の人と呼ぶ人の中には、必ずしも他責の人ではない人が混ざっているように感じます。直接の知り合いでもなんでもないので、ただの想像にすぎませんけれども。

    大人になって他人に助けてもらえないのを知るのと、最初から誰にも助けられないどころか、体のいいスケープゴートにされ続けることには大きな違いがあって、後者は健全に育った人たちのグループに比べると、世間的に良い人物といわれる人間を含む割合が低下しやすいと思いますが、これらの人々を少しでも幸せにするために、確かにこの本のノウハウは使えなくもないのですが、実践するのならふつうの人々に比べて大変な痛手を被りながらになるでしょうし、まずこの本の随所にちりばめられた偏りのある価値観や自画自賛に、途中で本を投げ出してしまってもおかしくはない。むしろこの痛手をどうするか、そこをもう少し掘り下げて書いてくださっていれば、もっと幅広い層に受けるものにもなったと思うのですが、そこまで突っ込んでは書かれていない。

    もちろん、恵まれた人にとっては、勝間さんの励まし、自己開示、そういうものは有用なこともあるでしょう。ただやはり、どこか薄っぺらさを感じてしまう。むしろ恵まれた人ほどすぐれた教育を受け、すぐれた思索力を持っていてもおかしくはないですから、この薄っぺらさに本を投げ出してしまうかもしれないし、興味深くこの本を読んだとしても、すでに確立した自分のものの考え方や行動パターンを改めて肯定してくれる程度にとどまるのではないでしょうか。機械的なノウハウ本としても当たり前のことしか書いていませんし、人間観察においても鋭くも深くもない。有用な人には有用ですが、そうでない人には、恵まれた人との壁の厚さをただひたすらに痛感することになる本ですし、徹底的にいま求められているものは何かリサーチしてから本を書くのが勝間さんのいつものやり方のようですが、テーマについての分析・考察はできていても、ターゲットの分析・考察が不十分なのかもしれません。勉強になることもありますが、落胆する人は落胆する本でしょう。というより、すでにそこそこ成功している人に向けて、成功へいたるための方法論をもう一度さらっと確認しましょう、という、そういう趣旨の本だったのかもしれませんね。

    あとはやはり、自分軸で生きろといいつつ、勝間さん自身が、幸福を他者からの承認によって達成されるものととらえていて、幸福を得るためのノウハウにも、他者からの承認という評価基準がかなりの数設けられている。勝間さん自身が結局、他者からの評価で自信を得て、他者からの評価を基準に自分の幸せを実感する、どちらかといえば他者に依存的な価値観の持ち主なのでしょうね。世の中には他者からの承認によらない幸福や評価基準を持つ人も多いのですが、勝間さんの言う自分軸は、そういう自己完結的なものじゃなくて、自分を苦しめるピラミッド型の立ち位置の把握はやめよう、という程度にとどまっているように思います。もちろん、自分軸をつきつめると、完全に外部との接触を断ってひきこもってしまう事態を指すのだろうと思いますが、そこまではいかなくとも、少なくとも勝間さんと価値観を共有するためには、ある程度、他者からの評価や、数値や序列での評価というのが染みついた人でなければ難しいようにも感じます。それから、社会的な立ち位置ではなく、あくまで個人的な立ち位置に徹したノウハウ本ですから、より多くの人が幸福になるためにはどうしたらいいのだろうなどと考えながらこの本を開くと、あまり実りが得られないかもしれません。

    以上、辛口で大変申し訳ありませんでした。
    正直に書きたい気持ちを優先させました。
    私の求めるところと勝間さんのやり方とが一致しなかったためこうなったわけですが、これこそ勝間さんがいうところの、「理想が高すぎて、理想に届かないからって他人を責めて自身の安定を図っているのでしょう」ということになるのかもしれません。
    ただやはり、優秀な人であるなら、そして彼女の人生全体を例や比喩として用いながら「幸福」という人生のテーマを追い求めるための本を書くのなら、もう少しターゲットを広げるか、あるいはタイトルに「上流階級のための」などと但し書きを付けるかしないと、むやみに批判の種をつくりだすことになりかねないとも思います。「私は上流階級しか相手にしませんよ」という生き方は誰にも批判できないものですし、まちがってもいないのですから、ちょっと住み分けを意識したほうが、勝間さん自身も批判を避けられ、勝間さんがターゲットとしていない層もいらぬ失望感を覚えませんから、より親切だろうと思います。

  • どういう生き方が不幸になるのかを説く。
    やはり王道の「他責は不幸」が強く説かれている。
    役に立つ考え方を得られたが、
    インスト済みなので再読は必要なし?

  • 不幸になる生き方を知って、不幸にならないようにしよう。
    そうしよう。

  • 自分の人生に自分の責任で取り組み、リスクを取らないとリターンがないと理解したうえで、失敗も責任も自分の責任と考えている。
    何が幸福、不幸を分けるかというと、根拠に基づいた自己肯定感だと考える。
    迷った時はリスクが高い方を選ぶ。
    信頼に足る人間であるというシグナルを出す。
    ねたまない、憎まない、愚痴しない、怒らない。
    褒めよう、笑おう、感謝しよう。

  • サクッと読めるけれど、ためになる考え方が簡潔に詰まっている。さすが勝間和代ってかんじ。
    短期・中期・長期の視点で物事を判断する10-10-10、目先の満足度に比べて将来の満足度が小さく見えてしまう双曲割引など、常に意識したい考え方だと思った。怠けていると行動(するための)コストが大きく感じるようになり、習慣化すると行動コストはほぼ0に近付くっていうのはほんと納得。私が目標としてプチ努力の習慣化を掲げた理由がこの本には分かりやすく書かれている。投資のリスク分散の話と実生活のリスク分散の話がこんなにリンクしているものだとは思わなかった。(自分に投資の知識がないから、投資もこんな感じなのかと思った)
    参考文献も充実していて導入書としてもいいかも。

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著者プロフィール

東京都生まれ。経済評論家(兼公認会計士)。早稲田大学ファイナンスMBA、慶應義塾大学商学部卒業。
当時最年少の19歳で会計士補の資格を取得した後、21歳で長女を出産。在学中から監査法人に勤めるが、ワーキングマザーとしての働きにくさから外資系企業に転職。以後、外資系数社を経て、経済評論家として独立。労働生産性の改善などが得意分野。
男女共同参画会議「仕事と生活の調和に関する専門調査会」専門委員。ワーキングマザーのための無料会員制ウェブサイト「ムギ畑」(http://www.mugi.com)を主宰。3女の母。
著書に『インディでいこう!』『猪口さん、なぜ少子化が問題なのですか?』(共著)『無理なく続けられる年収10倍アップ勉強法』『無理なく続けられる年収10倍アップ時間投資法』(以上、ディスカヴァー)、『マッキンゼー組織の進化』(ダイヤモンド社、共著)などがある。

「2007年 『ワーク・ライフ・バランス手帳2008』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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