- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087206142
作品紹介・あらすじ
慈悲と非暴力の教えを説き続けるダライ・ラマ十四世は、科学にも深い関心を持っている。世界のリアリティを追究するという点に宗教と科学の接点を見出す脳科学者、茂木健一郎と、仏教と科学の関係、人間の幸福について語り合う。また、『般若心経』の深遠な教え、困難に出合っても心の平穏を失わない方法、空の本質について、法王がその根本から分かりやすく解説する。世界的な宗教指導者と、人気脳科学者が、人間が生きるための智慧をあらためて見据える書。
感想・レビュー・書評
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◯ダライラマの講演と茂木氏との対談を一冊の本としたもの。
◯内容はかなり難解で、空についてダライラマから解説されている。一読ではなかなか理解ができない。
◯最近まとめてダライラマに関する本を読んでみたが、どの本でも般若心経、空に関する話が出てくる。仏教に関する本をなんとなくしか読んでいない自分んとしては、理由がよく分からない。チベット仏教や密教では般若心経はとりわけ重要な位置づけなのだろうか。
◯この本の対談部分では、脳科学の分野と仏教の関係性を確認している。この辺りはとても興味深い。仏教は個人的に思っていたよりも論理学を重視していて、さらに認識論も深く考察している。そのため、カントの認識論を思わせるような説明が多くなされているように感じる。
◯専門家ではないので、当たり前のことを言っているのかもしれないし、見当違いのことを言っているのかもしれないが、仏教に関する新たな一面を見た気がする。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ちょっと難しかったです。
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[ 内容 ]
慈悲と非暴力の教えを説き続けるダライ・ラマ十四世は、科学にも深い関心を持っている。
世界のリアリティを追究するという点に宗教と科学の接点を見出す脳科学者、茂木健一郎と、仏教と科学の関係、人間の幸福について語り合う。
また、『般若心経』の深遠な教え、困難に出合っても心の平穏を失わない方法、空の本質について、法王がその根本から分かりやすく解説する。
世界的な宗教指導者と、人気脳科学者が、人間が生きるための智慧をあらためて見据える書。
[ 目次 ]
序 困難な現代を生きる智慧(茂木健一郎)
1 空の智慧―『般若心経』の教えから(ダライ・ラマ十四世)
(仏教とは;「四つの聖なる真理」の教え;『般若心経』の解説1;空について;般若心経の解説2)
2 人間の脳と幸せを科学する―対談(ダライ・ラマ十四世;茂木健一郎)(心の平和を維持すること;仏教の教えと科学;瞑想と意識;意識によって脳は変わるか;仏教哲学と近代科学;世界に出よ)
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ] -
前半はダライ・ラマ14世による般若心経の解説。特に般若心経で大切な「空」についての考え方を述べられている。ダライ・ラマ14世の解説は宗教を論じているというより哲学のお話しをされているように聞こえるのが凄い。わかりやすく「空」の概念を解いている。
そして、後半は脳科学者である茂木健一郎との対談。こちらでは科学者としての一面を見せるダライ・ラマ14世の姿があり、仏教は単なる宗教ではなく、科学や哲学などの分野に渡る思想なのだと実感しました。 -
ダライ・ラマ14世の講演部分では、仏教の基本的な概念である四諦や「空」についてわかりやすく解説されていてとても参考になった。特に、般若心経の中心概念である「空」については、これまで読んだ仏教関係の書籍の中でもっともわかりやすかった。一方、後半のダライ・ラマ14世と茂木健一郎との対談は、科学的な宗教と言われる仏教と脳科学の関係を深く追究する内容を期待していただけに、茂木氏が一方的に聞き手に回り、期待外れの内容だった。
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仏教が学習を要するに宗教なんだということは理解しました。
はじめての分野でしたので楽しめましたが、ちと難し(((・・;) -
ダライラマによる、般若心経の解説と茂木さんとの対談。
ダライラマによると、仏教は単なる宗教ではなく3つの側面、哲学、科学、宗教があるそうです。本書では特に哲学としての仏教についてダライラマが語り、茂木さんとの対談では科学について語る。
哲学としての仏教についてのダライラマの解説は難しい部分も多かったけれど、内容は論理的であり、彼がこんなに凄い哲学者だとは知りませんでした。また、科学について語られた対談でも、人間の意識に関する脳科学的な見地で、二人が真っ向から語り合えるあたり、ダライラマの科学者としての見地の広さ深さも見て取れました。
何かを絶対視することにより捉われる煩悩から逃れる(空)ことを目標とする仏教哲学。空の境地至れる人はごく稀で、世の中の人々は煩悩に満ち満ちている。その中で空に至ったとしても、一人空の心で生きることの困難さって、いかほどだろう。それって、というのが仏教についてのワタシの関心だったりしますが、まさに煩悩の塊としての発想ですね。