教養の力 東大駒場で学ぶこと (集英社新書)

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  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087206852

作品紹介・あらすじ

専門知・実践知重視の時代にあって、人間の根幹となる総合知としての「教養」像を考える一冊。長年にわたり東京大学の教養学部で教鞭をとった著者が考える、教養の身につけ方とは?

感想・レビュー・書評

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  • 心の豊かさ。理解力。品格。

  • 私の中で教養って雑学に近いイメージだった

  • 東京大学の教養学部で長く英語教育に携わってきた著者が、教養の復権を説いた本です。

    倉田百三の『愛と認識の出発』や阿部次郎の『三太郎の日記』などに代表される大正教養主義について、文化史的な観点から考察をおこなった本も多く刊行されていますが、本書で展開されているのは、歴史的な観点から旧制高校的な教養を相対化するような議論ではありません。もっともそのこと自体は、本書のテーマからはずれるということもあり、かならずしも本書の欠陥といえないでしょう。

    ただ、「教養」と「修養」の差異についてあまり検討をおこなうことなく、両者をひとつながりのものとしてあつかっている点は、すこし気になりました。これは本書が、教養が軽んじられる現代から教養主義を仰ぎ見るような立場に立っていることによるのではないかと思われます。このため、唐木順三の教養主義批判に代表されるような、大正教養主義をそれに先立つ時代から相対化するような視座が欠けており、どこか「学問の置き所悪し」の印象があります。

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  • 著者によると、「教養」には3つの側面があるとする。
    ・『学問』や『知識』の側面
    ・自ら何かを『身につける』『修得する(精神的な成長の過程を含む)』の側面
    ・学問や知識を身につけることによって備わる『心の豊かさ』『理解力』『品格』の側面
    伝統的な(旧制高校的な)「共通知」というべき書物を通じた知識の習得が「教養」の中心に据えるべき必然性もあるものの、サブカルチャーや断片的情報が氾濫する現代で「共通知」は崩壊した。むしろ教養を、質のいい情報を選び取る能力、学習態度(意欲)や学びのあり方と結びついたものと捉える必要がある。
    また、知識が豊富であっても「マニア」「オタク」となる場合もある。教養人には、持っている知識や情報を分析し、取捨選択し、比較し、あるいはそれらを関連づけて何らかの結論を引き出すといった知的技術(メタ言語能力)、そして一つの主義信条に固執することなく最終的に最も妥当と考えられる判断を導く能力(バランス感覚:Sense of Proportion)が必要だ。これらが、『心の豊かさ』『理解力』『品格』に導く。

    昨今、英語と教養を結びつけ、検定試験対策に特化した教育を行う大学が増えている。浅薄である。教養としての英語を学ぶ価値は、英語を学び、それによって(殊に道徳的色彩濃厚で、宗教的情操濃厚の匂い朗かな)英文学作品に触れることで教養が高まり、そこに描かれた高邁な精神のありようを学ぶことができるという、文化輸入の媒体としての価値にある。これは、東大でこそ主張できるとの誹りは免れないが重要な理念である。

    最後に、著者が言うように教養の英訳は、Culture, Education, Cultivation あるいはRefinement である。従ってリベラルアーツ(Liberal Arts: 伝統的には、言語系3学と数学系4科。現代では、言語、数学、社会科学、自然科学の基礎学術)とは元来別のものである。しかし著者は「教養教育なるものは、そもそも施す側に知識/学問としての教養ばかりでなく、それを伝えるための高度な言語能力と論理的思考力が備わっていなければ成立しない営みである」としており、また、大学の教養課程において、「本物」の学問に触れさせる重要性を指摘しているが、このような観点から、教養教育とリベラルアーツとの不可分の関係をみることができる。
    それにしても、教養課程をこのような明確な理念と実践をもって運営していた大学が、いったいどれほどあったのだろうか。教養課程部局がほとんどの大学で閉鎖された理由は、ここにもあるのかもしれない。

  • 信頼できる学術的な文献にアプローチできること。マニアックにではなくメタレベルで考えること。を重要とし自身の専門が英語学であるにもかかわらず、英語や第二外国語の必要性は現在の学ばれ方においては少ないとしている。外国語について読むことの重要性を説いている人はこの人だけではないので、読むこと重視がなぜ避けられてきたのか気になるところではある。

  • 斎藤兆史氏による教養論.

    読みながら「東大云々」というタイトルは要らないんじゃないかなと思ったが,「新時代の教養」での提言を読むと,このレベルを要求出来るのは東大とその他一握りの大学でしかないなと感じるようになった.

    本音をいえば,いいたいことには共感はするが,教養の復権と言うのはなかなか難しいだろうなと思う.もはや教養は趣味の問題でしかなくなっているような気もする.

  • [ 内容 ]
    一九九〇年代、大学から「教養」の名を冠した学部が次々に姿を消した。
    それに呼応する形で専門知・実用知の優位性が喧伝されると、いまや「教養」はかつてのエリート達による懐古趣味のようなカビ臭い存在になってしまった感がある。
    しかし、本来の教養は、行き過ぎた専門知の追究に対して物事を多角的に捉える視点を与えるものでもあった。
    本書では、そうした意義に加え、人格的な豊かさを体現するためにも不可欠な教養の意味を問い直し、今の時代にも活きる新しい形を提示する。
    東大教養学部で長年教えた著者が授ける教養の力。

    [ 目次 ]
    第1章 「教養」は変質しているか(教養人をイメージしてみる;「なんとか教養」の謎 ほか)
    第2章 学問/知識としての教養(ヨーロッパにおけるリベラル・アーツの起源;中国から輸入した教養 ほか)
    第3章 教え授ける/修得する行為としての教養(教養は誰がどのように授けるものか;高校の授業の余談における教養教育 ほか)
    第4章 身につくものとしての教養(知識;知的技術 ほか)
    第5章 新時代の教養(情報処理の今、昔;情報選別の基準その一―情報提供源の信頼性 ほか)

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 教養の意義、効用、そして必要性を説く。東大駒場はさておき、ぼんやりとした概念にすぎないと思われた教養の持つ重要性が記されている。あとがきにある2011年の震災発生後のエピソードが教養とは品格に通ずるものだと雄弁に語る。

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著者プロフィール

東京大学大学院教育学研究科教授

「2019年 『言語接触 』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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