ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち (集英社新書)

著者 :
  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087212334

作品紹介・あらすじ

【「教養=ビジネスの役に立つ」が生む息苦しさの正体】
社交スキルアップのために古典を読み、名著の内容をYouTubeでチェック、財テクや論破術をインフルエンサーから学び「自分の価値」を上げろ――このような「教養論」がビジネスパーソンの間で広まっている。
その状況を一般企業に勤めながらライターとして活動する著者は「ファスト教養」と名付けた。
「教養」に刺激を取り込んで発信するYouTuber、「稼ぐが勝ち」と言い切る起業家、「スキルアップ」を説くカリスマ、「自己責任」を説く政治家、他人を簡単に「バカ」と分類する論客……2000年代以降にビジネスパーソンから支持されてきた言説を分析し、社会に広まる「息苦しさ」の正体を明らかにする。

【おもな内容】
第一章 ファスト教養とは?―「人生」ではなく「財布」を豊かにする
「ファスト教養」と「教養はビジネスの役に立つ」/「教養」と「金儲け」をつなぐ「出し抜く」

第二章 不安な時代のファスト教養
「脅し」としての教養論/読書代行サービスとしての「中田敦彦のYouTube大学」/
世界のエリートのように「美意識」を鍛える必要はあるか/ファスト教養は「オウム」への対抗策になるか

第三章 自己責任論の台頭が教養を変えた
「ホリエモンリアルタイム世代」が支えるファスト教養/勝間和代は自分の話しかしない/教養×スキルアップ=NewsPicks/
橋下徹と教養の微妙な関係/ひろゆきが受け入れられた必然/ファスト教養に欠落しているもの

第四章 「成長」を信仰するビジネスパーソン
インタビュー1 着々とキャリアアップする三〇代/インタビュー2 大企業で自問自答する二〇代

第五章 文化を侵食するファスト教養
「ファスト映画」と「ファスト教養」/ファスト教養視点で読み解く『花束みたいな恋をした』/
AKB48と「ネオリベ」/利用される本田圭佑/「コスパとエンターテインメント」の先に何を見出すか

第六章 ファスト教養を解毒する
ファスト教養をのぞくとき、ファスト教養もまたこちらをのぞいているのだ/
リベラルアーツとしての雑談、思考に必要なノイズ/「ジョブズ」を理解する受け皿になる

【著者略歴】
レジー
ライター・ブロガー。
1981年生まれ。
一般企業で事業戦略・マーケティング戦略に関わる仕事に従事する傍ら、日本のポップカルチャーに関する論考を各種媒体で発信。
著書に『増補版 夏フェス革命 -音楽が変わる、社会が変わる-』(blueprint)、『日本代表とMr.Children』(ソル・メディア、宇野維正との共著)。
twitter : @regista13。

感想・レビュー・書評

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  • 今の時代に求められる<教養>とは? 各界で賞賛されている話題の新書『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』(集英社新書)、重版決定!!|株式会社集英社のプレスリリース
    https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000391.000011454.html

    ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち – 集英社新書
    https://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/1133-b/

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    読まないけど、猫の苦手な人が挙がっているので。へぇ~と思っている。。。
    ホリエモン橋下徹ひろゆき

  • 『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』が売れたので、それに便乗した本かと思いきや、さらにそれを深掘りし、映画だけでなく、ビジネスと教養との関係を中心に、現代社会における“ファスト”の概念を説いている。また、「どうすべきか?」も、わりと明確に提示されており、『映画を早送り~』を読んだ者としても、大変読みごたえのある一冊だった。

    個人的にとても響いたのは、“公共との乖離”について。ここ最近、ネットやTVニュースなどで新NISA(資産形成)が話題となっているが、これも一種の“ライフハック”みたいなもので、「やらない者は知らないよ」という自己責任の世界ではないか。そこに“公共との乖離”はないか。NISAのメリットを享受しようと学ぶ姿勢には、「自分さえよければ」という自分視点が軸にあり、他方、「NISAを活用しない者」への視点が抜けてしまっている。「NISAを始めよう」といった謳い文句には、紛れもなく“ファスト”を感じさせる。

    ちなみに本書は、固有名詞、具体的な人名が複数出てくる。そのほとんどが否定的に書かれており、「おいおい、こんなふうに書いてしまって大丈夫か」とやや心配になるような、攻めた内容である(最後のほうで焼け石に水程度のフォローがなされているが…)。普段、SNSやYouTubeで情報を得ている人なら、誰もが知っているような話なので、イメージがしやすい。

    また、著者のボキャブラリーの豊富さを最大に駆使して書かれているのが印象的で、同じような表現を繰り返さないので、読んでいて飽きが来ない。

    最後に。
    私にとって教養とは、自分の内面とむきあうこと。好きがベースにあること。それが結果的に、いつかどこかで役立つことがあること。そんなものである。

    いやぁ、読んでよかったです。

  • ファスト消費、今度は教養編。

    現代のわかりやすさ、ビジネスに役立つを推し進めきたものの中に、書籍は含まれなかったのだろうか。

    という疑問から、回帰的に批判するこの本を出版することに疑問を抱きながら、捻くれた気持ちで読んでしまった自分がいかに浅はかだったのかを、冒頭から思い知らされました。(やはり、人も本も見た目が全てではない。)

    「スキマ時間」という言葉があるように、まとまって時間を取ることが難しくなってきた現代において、すぐに役に立つものが受け入れられるのは、想像に難くない展開のように思えます。

    「これさえ抑えておけばよい」「ざっくり」「おおまかに」という言葉はよく聞きますし、安心感を与えてくれるように思えます。

    時間のないビジネスマンにとって、勉強すること、本を読むことは、仕事に生かすため、という意見に疑問を持ちながら過ごす私。


    そう思う人たちは一定数いて、「教養」という観点から見ると、「役に立てるための教養」と「(役に立たなくても)趣味として深めていく教養」という、学ぶことそれ自体は同じなのに、互いに反発し合う磁石のような状態になっている現場はいかがなものかと、著者は説いています。

    どうしてそのようになってしまったのか、どうすればいいのかの2点に関して深掘りされていくのが、この本の特徴です。


    確かに、さまざまな教養を身につけましょうということで、いわゆる『入り口本』は増えましたし、これからもどんどん増えていくと思います。

    それらをきっかけに、全体をざっくりと掴んで、自分が好きなことだな、と思えば深めていけばいい。
    『入り口本』は、そうした人たちにも開かれているという視点を持つことが、反発し合う磁力を弱めてくれるかもしれません。

    まぁ、これが逆にネオジム磁石みたく、より強化されるのも学ぶことの面白さだと思うのですが。

  • いわゆる「ビジネス書」を読むことに抵抗感があるものの、なぜそこまで自分がそういう類の本を毛嫌いしているのかをきちんと説明できないのが嫌で、解決の糸口が見つかりそうなために読んだ。結果、たくさんの発見があった。

    著者は、お金儲けのために身につけるべきとされる「教養」を「ファスト教養」と位置付け、「古き良き教養」と対置させる(ただし、「古き良き教養」の文脈においても、ファスト教養と同様に、周囲を出し抜くという観点が紛れ込んでいるという指摘があり面白い(マルクスボーイ/エンゲルスガール的なものかな))。

    そして、ファスト教養(ひろゆき、ホリエモン、中田敦彦が代表例とされる)が台頭してきた背景として、自己責任論やスキルアップといった価値観が勢いを増してきたことを挙げている(この辺りの分析は若干の粗さがみられ、やや精細さにかけるように思われる)。

    ファスト教養を支える価値観は「自己責任」「スキルアップ」「公共性の乖離」だという。最後の「公共性の乖離」というのが個人的にはとても納得した要素で、世の「ビジネス書」は自己の成長と呼ばれるものに焦点があてられており、外の社会や世界に対しての接続点が見出しにくいものが多いと感じる。このような要素があるから自分はいわゆるビジネス書が苦手なのだと感じた。

    逆に言えば、ビジネス書の体を取っていそうな本でも、外の社会や世界との接続点に関する考え方を提供しているものであれば、興味を持って読むことができるのかもしれない、とも感じた。例えば、成田悠輔が出演している動画を観るのが最近好きなのだが、これはおそらく成田氏が、個人に留まる話ではなく、広く社会や世界のあり方についての見方を提供しているように私が感じているからなのだろうと思った。

    この本の特に素晴らしい点は、まさに私が上述したような思考の変化を得たように、すべての「ファスト教養」を毛嫌いすることなく、「ファスト教養」の(言ってしまえば)怪しい部分を(筆者の表現を使えば)解毒して、有用な部分を社会や個人のために役立てていくための具体的な手法を提供している点だ。
    その一つとして、「ファスト教養」分野の本をよく出している著者(ひろゆき、ホリエモン等)の本の中でも、それら著者の専門性が適切に反映されている本を読むことが勧められている(筆者の言うスローガンは「自己啓発ではなく知識」)。例えば、田端信太郎からは会社での立ち回り方ではなく、メディアというもののあり方を学ぶ、など、個々の著者の専門性を見極めることが重要だという(そのためのキュレーションはかなり大切そうだ)。
    また、筆者が音楽関連の物書きをする際に「ルーツとシーンの両方の要素を大切にする」というのもかなり頷ける話だ。

    本の最終部分で、自分の軸となるもの(つまりは「好き」だと思えること)を持ちつつ、それへのノイズになるようなものにも触れることで社会や世界との関わり方を学び続けてきているあるお笑い芸人のエピソードが紹介されており、自分も今後、素敵な変節を遂げられる人生にしていきたいと感じた。

    ……めちゃくちゃ自己啓発的な感想になってしまった。

  • 「せこい世の中」
    最近の日本は政治家も含めて「目先にこだわる」(ファスト感)が多く、先行き考えず「手っ取り早く結果を求める」などましてや「長期展望」を望まない傾向が多いのはこの「ファスト教養」なのか。厄介なことは「先延ばし」で将来誰かが対処するだろうと楽観視、その場限りの自己満足型人間が増えてきた。一言、「せこい世の中」に成りつつある。責任概念なき個人主義(儲け主義)など隆盛となり「世間離れした世界に夢を抱く」若者が増え、実際は世間との共有、共感などなく利己主義中心的な世が蔓延しているのは悲しい。

  • 興味深い読書となった。「教養」という語を使うことそれ自体が、本来はその人の倫理感の踏み絵となるということがわかった。無自覚に使い、それをひけらかすことは、自らの倫理観、人生観を露わにしてしまう。危険だ。
    社会の圧倒的多数の人は、「教養」を「人格を高め人生を豊かにするもの」と「建前」では定義するであろうが、実際には、「教養」によって、人より高みに立ち、運命の前髪を掴み、相対的な立身、出世、報酬、尊敬尊崇の獲得、承認欲求の充足を期待してしまう。教養により自らのポテンシャルを高め、まずまず稼ぎを得て周りから「一人前の人物+α」と見られなくては、充実した人生とは言えない・・というのが普通の人のまっとうな考え方だし・・・。「教養のためにこれだけ努力したのだから、それに見合った「報酬」を得るのだ。できればより効率的に「教養が高い人」に上り詰めるにこしたことはない。効率性こそ人の能力証明でもあり価値でもある(!)」と無意識に思ってしまう。しょせん人間は希少資源を争う弱肉強食の世界で生きている。しかたない・・・(と僕も内心では思う。)
    著者は、「教養獲得」と「リターン」を結びつけるべきではないのではないか、と言う。とはいえ、お手軽な「教養講座」をメシの種とするのは、池上も佐藤もホリエモンも中田敦彦も同じ。岩波も講談社も集英社もみんなそう。「教養講座」の需要は、「教養→リターン」の公式を、民衆・大衆が感得しているからである。この『ファスト教養』という本それ自体が、修養のツールでもあるし。
    人はなんのために古典を読み、芸術に触れるのか。その根源に「教養」の意味も現れてこようが、現代の忙しいビジネスパーソンにそんなことを掘り下げるゆとりはないのである。

  • ファストフードになぞらえてファスト教養とはうまくいったものです。 すぐに役立つものはすぐに役に立たなくなる。 至言です。

  • 教養を身につけたいという気持ちは高校生ぐらいからずっとあった。私が思う「教養」とは文学、映画その他なんでもいいのだけれどそれを楽しみながら身につけることで想像力を育み、曖昧さを許容し人間の複雑性を理解することである。
    これは私が本や映画に描かれている物語が好きだからだと思う。物語では人間のどうしようもなさだったり、一生懸命生きていてもままならない事態に巻き込まれたりとにかく「上手くいかない」人たちや社会が描かれている。これは努力不足によるところではなくて、その人物を理解して受け入れてくれる人がいないことによる孤独やそれ故の生活の危うさなんかだ。
    それらを掬い上げているのが物語であり、それらを照射しているのが小説や漫画やアニメや映画なんかである。
    だから私にとって「教養」とは、それらから受け取った物語でもって実生活にもそうは見えないだけで、私が知らないだけで物語に出てくる人物のような苦しさやもどかしさを抱える人物がいるかもしれない。それがマンションの隣の部屋の人だったり、いつも行くスタバの店員さんやコンビニでアルバイトをしている人かもしれない。
    そういった人に対しての想像力を養うためのものが私にとっての「教養」だ。

    以下集英社HPより引用
    【「教養=ビジネスの役に立つ」が生む息苦しさの正体】
    社交スキルアップのために古典を読み、名著の内容をYouTubeでチェック、財テクや論破術をインフルエンサーから学び「自分の価値」を上げろ───このような「教養論」がビジネスパーソンの間で広まっている。
    その状況を一般企業に勤めながらライターとして活動する著者は「ファスト教養」と名付けた。
    「教養」に刺激を取り込んで発信するYouTuber、「稼ぐが勝ち」と言い切る起業家、「スキルアップ」を説くカリスマ、「自己責任」を説く政治家、他人を簡単に「バカ」と分類する論客……2000年代以降にビジネスパーソンから支持されてきた言説を分析し、社会に広まる「息苦しさ」の正体を明らかにする。

    本書はそもそもファスト教養とは?からファスト教養が生まれ、ここまで社会に浸透するに至った流れを詳細に説明してくれている。
    読んでいたらファスト教養が生まれる下地は私が小学生ぐらいのころから始まっていることが書かれていて、そこそこの歴史にふらっとなってしまった。またファスト教養は自己責任論を強める可能性の示唆も書かれている。
    この本の良いところはファスト教養と従来の教養という二項対立的な立場をとるのではなく、ファスト教養という自分の成長させたいという姿勢はそのままにファスト教養に呑み込まれず、知識や自分の好きを大切に扱うスタイルを勧めてくれている。
    私もファスト教養そのものが悪いとは思わない。先述した私の思う「教養」も自分の成長させたいという点で見れば、そういう意味も含まれると思う。
    だから成長したいとかは何も悪いものではないのだ。自分にとって何をどうすることが「成長」につながるのか、その「成長」のために本当に必要な知識とは、と考えることが必要だ。
    ファスト教養に呑み込まれないようにするためには、丁寧に自分の思いを取り扱ってあげることが「教養」を身につける第一歩なのではないかと思う。

  • 私の場合ビジネスとは直結していませんが
    どっぷりファスト教養のなかにはまっていると確認しました。
    5か月前に読んだ『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』のときもそうでした。

    私がたくさん読んできた池上彰さん出口治明さんも、決して自身はファスト教養を薦めているわけではないのですが、そういうブームにのっちゃっている。

    ひとつ驚いたのは箕輪厚介という名前きいたことあると思ったら、楽しく読んだ井川意高さん『熔ける』の編集者でした。
    知らずに巻き込まれているものですね。

    私はいまのところ私のやり方でファスト教養と関わっていく。
    「どちらかというと良い時代だなぁ」と思っているんです。

    ただ一つこの本で知ったことで、
    〈「あとがき」から読まれている皆様へ。この本は確実にコスパが良いので、ぜひ「はじめに」から読んでいただければと思います〉とありました。

    「ファスト教養の中心人物の皆さんは、本は最初から順番に読むものではないと思っている」と私は理解しています。
    でも著者としては、あえて「とばしていいよ」「好きなことろから読んでいいよ」と言わなければ、最初から順に読んでほしい、そういうつもりで書いているのではないかと思った私です。

  • 読みながら自分なりの言葉で「教養」とは何かを探っていた。表面的には、恐らく「教養」とは「ネクタイ」みたいなものだ。身につける目的は自己満足か自己表現。ある種のドレスコードに対応したり、品位を示すもの。それが最近では、合理性から寛容的になり、ノーネクタイが普及し始めた。ファスト教養、つまり実用性を目的としたコスパの良い教養が蔓延し始めたのはノーネクタイのような現象。著者には悪いが、別にそれで良いではないか。

    古典を読め。真の教養とは、などと語る輩は、既得権益層だ。読書に見返りを求めるという意味では、同じ事ではないか。他人のネクタイにケチをつけるな。教養あるものに求められるはずの他者への価値観の尊重が、欠如し矛盾している。無教養が教養を語る。品位なき品位。同族嫌悪。

    それと瑣末な指摘は悪い癖だが、10分で答えが欲しい人たち、は本著に紹介された著名なキャラクター達には該当しない気がする。欲しいのが答えなら、10分もかけない。教養、知識、答え、は明確に異なる概念であり、ファスト教養とファストアンサーは別。照合して得られる一問一答なら、検索して直ぐ手に入れられるし、その暗記量を教養とは言わない。

    良いではないか。普段はカジュアルに。時々、ピシッとネクタイを締める位の余裕で。

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著者プロフィール

1981年生まれ。海城高校、一橋大学商学部卒。大学卒業後の2004年から現在に至るまで、メーカーのマーケティング部門およびコンサルティングファームにて事業戦略立案、マーケティング戦略立案、新規事業開発、新商品開発などに従事。会社勤務と並行して、2012年7月に音楽ブログ「レジーのブログ」を開設。アーティスト/作品単体の批評にとどまらない「日本におけるポップミュージックの受容構造」を俯瞰した考察が話題となり、2013年春頃から外部媒体への寄稿を開始。主な寄稿媒体は「Real Sound」「MUSICA」「M-ON! MUSIC」など。

「2022年 『増補版 夏フェス革命 音楽が変わる、社会が変わる』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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