パトロネ (集英社文庫)

著者 :
  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087451276

作品紹介・あらすじ

同じ大学に入学した妹と同居することになった「私」。意図的に私を無視し続ける妹は、ある日荷物と共に忽然と姿を消して……。第149回芥川賞を受賞した著者による小説を二作収録。(解説/星野智幸)

感想・レビュー・書評

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  • 表題作と「いけにえ」の二本立て。どちらかといえば、ごくごく平凡な主婦が美術館で「悪魔(らしきもの)」を見つけて捕獲しようとする「いけにえ」のほうが、わかりやすくて素直に面白いと思って読めました。

    「パトロネ」は、ちょっと難解でした。不条理とか幻想とかで片付けるにはあまりにも脈絡がなく、妹と同居することになる前半部分と、唐突に幼女が現れる後半部分にどういう関係があるのかもよくわからないし…。姉を無視しつづける妹、それなのにその妹と同じサークルに入ってしれっとしてる姉(主人公)の関係性も、真面目に理解しようとしても全く掴めない。

    以下、あくまで私なりの解釈なので、作者の真意がどうかはわからないですが、ズバリこの主人公、実は幽霊なのではないかと。後半、幼女にむかって、バスルームで溺れ死んだ人の幽霊が出るかもよと脅す場面があるのですが、実はこれ彼女自身の実体験で、本人自分が死んでいることにさえ気づいていないというパターンじゃないのかなあ。

    そう思って読むと、前半の妹との部分も、妹がいたこそすら忘れていた、と語る主人公は、本当は妹などおらず、ただ自分が幽霊のまま住み着いている部屋にやってきた新しい入居者を、勝手に「同居することになった妹」と認識してごまかそうとしているだけだと思えるし、妹が姉を無視しているのは、単に霊感のない彼女には幽霊が見えていないから。そして妹が時折寝言で「お兄ちゃん」というのを、姉は「お兄ちゃんなんかいない」と言ってるのも怪しい。

    妹、あるいは写真部の学生たちと会話らしきものを交わしている部分もありますが、相手の言葉が彼女にかけられたものだとは限らないのでこれも一種の叙述トリックの可能性があるし、妹が皮膚科のメモを残したのは、自分の背中ニキビを治すためであって、姉のために残したメモではない。主人公はあえて気づかないふりをしているようだけれど、彼女が皮膚科で何度もみかける背中ニキビの女性は妹ですよね?(シーツに血がついていたのもそれが原因だろうし)。

    後半、突然幼女が現れるのは、妹(と主人公が思っていた女子学生)が部屋を出て行って、新しい入居者が来ただけだったのでしょう。ただこの幼女は、子供ゆえか幽霊である彼女が見えている。幼女が現れる直前、主人公はバスルームで、かつてバスルームでコートのまま眠ったこと、そのときに携帯まで水没させたことを思い出すのだけれど、本当はそのときに彼女は死んだのではないか。

    そう解釈して読み直すと、支離滅裂だと思っていた部分にも納得がいって、なかなか面白く読めました。こうやって彼女は自分が生きているときと同じようにあの部屋に居座り続け、やってくる入居者と自分の関係を都合よく捏造しながら、そこで暮らし続けていくのかなと。「パトロネ」というのはアナログのフィルムの中身を抜いたあとのケースのことだそうですが、主人公の存在も、すでにそのような中身のない空っぽのものだったのかもしれません。

  • 『パトロネ』の主人公は、流れるように嫌なこと言う。黒板に爪を立てた時の音のような。思ったことそのまま書いてある居心地の悪さ。
    おそらく表面上は静かに家にいるだけなのに、頭の中で目まぐるしく何かを考えているのが怖い。知らないはずの部屋がどんどん目の前に現れてくる。細部の質感の描写から全体が見えてくる。
    何も喋らない妹のことを実況されるのも不気味だと思っていた。
    りーちゃんが登場して、パリに飛び、おかしいと気付いた。主人公は既に死んでいて霊なのではないかと。そう考えるとすべて辻褄が合う。

    『いけにえ』はこれもまた解釈が難しい作品だと感じた。悪魔、どう捉えたらいいのだろう。
    主人公は美術品に疎いかもしれないが、正しい感性の表し方のような気がした。展示室の描写、それが感想そのものだと思えるし、興味がないどころか、主人公は不快に感じている。これも大事な感想ではないかな。
    表向きは二人の娘の母として、妻として、普通に年相応のやり取りしてるのがまた不気味。二面性とまでは言わないが、家族以外に見せる顔が本来の久子という女なんだろうなという気がする。

  •  妹の撮った写真のフィルムを入れるパトロネを溜めるおねえちゃん。当たり前のような顔をして暮らしているのに、判断がおかしい。なのに本人は当たり前と思ってる。奇妙な味わいなのだが、おかしさが狂うとかそう言う精神的なものではなくて、ホントにこの人は常識が違うのかもと思わせる。そんなお姉ちゃんが驚きの出来事に遭うのだが、お姉ちゃんが驚いてることに驚いたわ。
     おもしろかった。

  • 本書のタイトルになっている「パトロネ」とは写真のネガフィルムがおさまっている円筒形の缶のことを指しているそうですが、Webで検索しても「パトローネ」でしか出てこない・・・。あえて正確な名前にしなかったのでしょうか。
    その表題作、かなり手ごわかったです。お世辞にも仲がいいとは言えない妹、市民公園の鯉、写真部のるりちゃん、皮膚医院の先生、突然家に現れたりーちゃんなど、いくらでも面白くできそうなガジェットを散りばめておきながら、そのほとんどがストーリーの中で未消化のまま投げ出されてしまっているように初読時は思え、なんじゃいなこれはという感じで困ってしまいました。しかし解説を読んで改めて再読してみると、前述したガジェットが作り出した世界と、主人公の意識下の世界との距離感(ずれといったほうがいいかも)を味わう作品と理解しました。これまで読んだ作品の中では一番純文学度が高いと思います。
    実はここまで書き終えてから他の方の感想で、主人公の女性が実は**だったのでは、という解釈を読み、なるほどなあと感心しました。自分はそこまで思いつかなかったなあ。(とはいえ、それが真実だとしても不自然な部分は残るのですが)
    もう1作は芥川賞候補にもなった「いけにえ」。地方の美術館を舞台に、監視員の女性が美術館に棲みついた二匹の悪魔を捕まえようとするというヘンテコなお話です。こちらのほうは従来の藤野さんらしい作品と言っていいでしょう。ラストシーンは個人的には文句なしなのですが、そこにいくまでがちょっと長かったかな。

  • 2019/5/6購入
    2019/11/11読了

  • まるで発作とか禁断症状に襲われたかのように話の展開が激変したような気がする。
    これまでは特別魅力のない景色を見せる退屈なトロッコ列車が突如安全設計を微塵も考えてなさそうなコースターに変わって上下左右も分からない世界に。
    それくらいよく解らない作品でした。
    しかも2編も同じように突然コースター。

  • 芥川賞作家とは相性がよくないのだけれど、帯に惹かれて購入。〝消える妹、美術館に現れる双子の悪魔──。新・芥川賞作家が描く、幻想的でちょっと怖い世界〟

    そもそも純文学と大衆文学の定義ってなんだっけ、というところから再確認。
    純文学。純粋な芸術性を目的とする文学。
    大衆文学。大衆の興味や理解力に重点を置いて書かれた文学。
    つまり純文学とは、物語としての整合性は二の次で、とにかくその世界観を堪能しながら読むべきもの。考えてみれば、読了後にいろいろと思いをめぐらせて楽しめるのは純文学のほうかもしれない。

    ■パトロネ
    第34回野間文芸新人賞候補作
    ひどく感覚的な小説。しかもそれが主人公の主観のみで綴られていく。一人称であることを差し引いても、「私」を取り巻く世界のなかで、「私」に関する客観的な描写はほとんどない。りーちゃんが出てきて「私」の姿を描くまで。それですら、本当に「私」の実体を捉えられているのかあやふやだ。とりあえず「私」に顔はないらしい。けれど、皮膚疾患は顔に出ているという不思議。
    りーちゃんが「私」の存在を認識できるのは、彼女も「私」と同じように日常から弾き出された存在だからなのだろうか。
    パトロネは「私」の住んでいるワンルームマンションの空間を象徴する容れもので、「私」やりーちゃんは外の景色をその部屋のなかに持ち帰る。まるでフィルムのように。
    最後、りーちゃんの湿疹の描写から、江國香織「災難の顛末」の斑点の描写を思い出してぞっとした。

    ■いけにえ
    第141回芥川賞候補作
    読み進めるにつれて次第に気分が悪くなる。双子の悪魔はなんの象徴で、いけにえは何を指すのか。考えながら読んでみたものの、結局のところはっきりしたことはわからなかった。
    杉田久子に捕らえられた悪魔たちの成れの果ては、岡田登美乃が描く鉛筆画の花とよく似たかたちの薔薇だった。作中で、その鉛筆画は登美乃の家族を描いたものだと考察されている。とすると、久子は自身の家族から巣立っていった二人の娘の不在を埋めるため、登美乃の家族を奪って持ち帰ったとも解釈できる。
    いけにえが二匹の悪魔を指すのだとしたら。久子の二人の娘も、かつては母親に捧げられたいけにえだったのか。娘たちの代わりに、枯れない薔薇を食卓に飾ってどうしようというのか。つかみどころのない不気味な結末。

  • なぞなぞみたい。主題は何かあるんだろうけど、それぞれのモチーフが何を表しているのか最後までわからなかったのはたぶん私のせいであり、たぶん作者と性格が合わない。

  • 2編収録。
    表題作より『いけにえ』の方が好みだった。
    ただ、『パトロネ』にしろ『いけにえ』にしろ、主人公の変な意味での一途さ、執着心が、やけに印象に残った。

  •  『爪と目』が面白かったので、さっそく購入。

    <「パトロネ」について>
     小説であるにも拘らず、感情よりも目に訴えてくるような小説。主人公が実は死んでいるというトリックから来る違和感は最終的に概ね解消されるが、単なる違和感のままでも物語が成立してしまいそうなのが、また怖い。「成立してしまう」と考えてしまった自分自身に、また恐怖。
     ただ、「成立してしまう」と考えられること、より具体的にはある種の鈍さが、この小説では必要なものとして描かれている気もする。でも、『爪と目』での「あなた」は、その鈍さのせいであのようなラストに到ったとも考えられる。どちらも必然、ということになるだろうか。そういった意味では、ものすごくリアルな小説なのかもしれない。

     などと、色々考えるのも楽しかったが、丁度読んだのが真夏の蒸し暑い夜。純粋に独特の気持ち悪さや怖さを楽しめれば良いと思う。クセになる気持ち悪さ。


    <「いけにえ」について>
     こういう人物が主人公に据えられている小説を読むのは、もしかすると初めてかも知れない。エンタメ小説では殆ど背景として片づけられる凡人、いわゆる純文ではそもそも見たことすらないかも。
     芸術という“高橋”のような人にすれば素晴らしいものを、家庭の老化というか劣化というか、そういうものから守るための消費財として使う主人公。でも、自分もどちらかと言えば“高橋”主人公側の人間かなーと思う。
     家に飾るバラとして使われた、ある芸術家の作品が、「いけにえ」ってことになるのだろうか?その辺りは良く分からない。

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著者プロフィール

藤野可織(ふじの・かおり)
1980年京都府生まれ。2006年「いやしい鳥」で文學界新人賞を受賞しデビュー。2013年「爪と目」で芥川龍之介賞、2014年『おはなしして子ちゃん』でフラウ文芸大賞を受賞。著書に『ファイナルガール』『ドレス』『ピエタとトランジ』『私は幽霊を見ない』など。

「2022年 『青木きららのちょっとした冒険』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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