- Amazon.co.jp ・本 (472ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087471731
感想・レビュー・書評
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1968年、民主化運動に揺れるチェコスロバキア。反体制側にいる女性に恋してしまう、外交官・堀江。歴史の深さと愛を絡め取った秀作だよ。現役外交官が書いたってんだから実話に近いのか?
プラハとか気になる人、これはぐんぐん読んじゃう。続編もあるしー。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
大学の先生からいただいた本
まだ上巻しか読んでいないけど
この本には他の本と違った魅力があると思う
小説なのに、小説とは思えないリアリティ。
作者が元外交官で実際にスロバキアにいただけに実はノンフィクションなのではと思ってしまう。
歴史の勉強にもなる
そして何より国を超えた愛。
叶うはずのないその愛が叶うといいなと願ってしまう そして平和の素晴らしさ、歴史の難しさを知る そんな本です。 -
1968年冷戦時代ドゥプチェク政権の元腐敗し停滞する従来の社会主義の改革(プラハの春)を推し進めようとするチェコスロバキア。それを軍事力によって阻止しようとするソ連とその周辺諸国。そんな歴史の激流の中27歳の在チェコスロバキア日本大使館の書記官の亮介とドイツ民主共和国(西ドイツ)の反体制活動家カテリーナの恋を描いた史実に基づいたフィクションでした。
主人公の亮介が27歳で僕とほとんど変らないからある程度共感しながら読めました。同時に本当に27歳?と疑うほど知的で冷静で情熱的で・・・。フィクションと分かっていながら絶対にこんな人なんてたくさんいるはずとかおもってなんだか28歳でありながらまだまだ未熟な自分を感じてしまった。またこの本からは気品あふれるプラハの町並み、静かに流れるモルダウ川などまだ見たことがないプラハの町並みが浮かんできました。いつか行ってみたい場所です。 -
レビュー200越えを記念して再び自分が非常に印象に残っている本を紹介します。
プラハの春という言葉(出来事)をご存知でしょうか?
世界史を学んだことがある人はきっと知ってるでしょう。
第二次世界大戦後にアメリカ、ロシア(資本主義と共産主義)の陣営に分かれて冷戦がはじまりました。両者は互いを敵としてパワーバランスを保ってきましたが、だんだん共産主義陣営の国でも民主主義に移行しようという運動が市民を中心にして行われました。
当時チェコスロバキア(現在はチェコとスロバキアに分かれた)でも同じように民主化運動がなされ、冷戦の雪解けがあるように思われました。
しかしロシアの意向によりワルシャワ条約機構軍が侵入し、この運動を打ち砕くという事件がありました。1968年のことでした。
これがこの小説の背景です。
主人公は日本大使館書記の堀江亮介です。彼は、東ドイツの反体制派(民主化運動をしている)カテリーナ・グレーベという美しい女性と出会う。
互いに愛しあっていく2人は時代に大きく翻弄されていく。
著者の春江一也さんは元外交官で、プラハの春を体験した人です。ソ連の侵攻を日本に打電をしました。この体験を元に書かれているので小説だけでなく歴史としても面白さがあります。
僕は泣ける小説なんて謳い文句はだいたい信じてませんが、こればかりは本当に感動できます。東欧、ヨーロッパへの興味を持ちました。
この本を知ったのは受験生の時に使った『川本センター政治・経済講義の実況中継』で、著者である川本先生が自分が読んだ中でベスト3に入る小説と書いてあったのキッカケです。
当時、浪人生でしたが代ゼミの帰りに古本屋で買ったのを覚えてます。
僕は何か小説を一冊紹介してくれと言われたら迷いなくこれをおススメします。
実は続編もあって『ベルリンの秋』というのもあります。プラハの春を読まれた人はぜひこちらも同じくらいおススメです。 -
プラハに行く前に読んだ本。
作者が外交官として当時のプラハにいた経験からか、
あまりに共産主義国に対して口汚すぎる気がします。
あと、しょうがないんだろうけれども、「美人」の表現がなんか古い。
でも、クライマックスあたりはとてもテンポが良い。
革命期のプラハ市民の活動には胸を打つところがあります。
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どうしてそう思ったのかは全く覚えていないけれども、私は、この「プラハの春」という小説を、スパイ小説だとばかり思い込んでいた。ジョン・ル・カレのような、あるいは、フリーマントルのチャーリー・マフィンシリーズのような。実際は全く違っていた。題名の「プラハの春」は、歴史的事実である、1968年のチェコスロバキアの社会主義改革の呼び名である「プラハの春」のことであり、その弾圧のためのソ連の軍事介入にいたるプラハの状況を、主人公である在プラハ大使館員の目を通じて記録した小説、あるいは、その時期の彼と、プラハに住んでいた東ドイツ人女性との悲劇的な恋愛を描いた小説とでも呼ぶべきものであった。断片的に色々なことを思い出し、色々なことを感じた。主として、社会主義とか共産主義というものに対しての想いである。中欧を旅行したことがある。その際、プラハにも2泊くらいした。旧市街地からカレル橋を渡り、プラハ城にいたる一帯は、中世のヨーロッパそのもの、という趣のとてもきれいな街だった。プラハは、少なくとも私が訪問したことのある都市の中では、世界一きれいな都市の1つだ。プラハの前に、ワルシャワに立ち寄り、ゲットー博物館を見学した。また、プラハのあと、ブダペストに立ち寄り、House of Horrorと呼ばれる、ハンガリーが共産党政権化にあった時代の記録を保存した博物館も見学をした。前者はヒットラー時代のドイツによるユダヤ人虐待を記録するものであり、後者は共産党政権下のハンガリーにおける民衆の悲劇を記録したものであった。両者は、驚くほど似通っており、本質的には全く同じである、と感じた。独裁者は、あるいは、独裁政権は、独裁を維持するためにとんでもない労力をかけて、また、とんでもない創意工夫をもって人をいじめる。そういうところが本質的に同じではないか、と感じたのである。ヒットラーはともかく、共産主義というのは本質的に、そういう民衆をしめつけるような仕組みを要求するのだろうか。そういう仕組みがないと、共産主義の体制というのは維持出来ないのだろうか。歴史的に見て、共産主義の国が成功した例というのは知らないが、それは共産主義が本質的に内在している致命的な欠陥が何かあるということなのだろうか、それとも、これまで共産主義を導入した国が「たまたま」成功しなかっただけなのだろうか。分からない。数十年前の日本の学生運動の目指していたものは、プロレタリアート革命による社会主義・共産主義体制の実現であったのだろうけれども、彼らは共産主義の何に対して夢を持っていたのだろうか。経済学士のはしくれでもある私も、学生時代、マルクスの「資本論」は、読んだことがある。難解だった、理解を拒まれていると感じざるを得ないほど難解だった。私は頭が悪いのだろう、と考えざるを得なかった。だって、この本を読んで、夢をかきたてられ理想社会の実現に青春をささげた人たちがいる一方で、私は意味も分からないのだから。その時に感じた劣等感は今でも思い出す。(下巻の感想に、つづく)
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冬の厳しい社会主義国に訪れた一瞬だけ訪れた春のような自由化の波。
はかなく散っていく姿にせつなくなります…
「ワイルド・スワン」と同じく、社会主義国家中枢の残虐な弾圧は、もう、目を覆うばかりです。
ひとって信じるもののためには、そして信じていなくてもただそこで生き残るために、感情や自分を消したり押さえたりできるんだなと、おもいます。 -
2004年
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上下巻あわせた感想。
チェコ・・・激動の戦後を経験した国。
百塔の街と呼ばれるこの街でかつてこんなことがあったなんて・・・といった衝撃です。
民主主義の希有さを改めて認識させられます。 -
史実とフィクションの折衷が、まあ…。