新訳決定版 ファウスト 第二部 (集英社文庫 ヘリテージシリーズ G 1-2)
- 集英社 (2004年5月20日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (496ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087610093
作品紹介・あらすじ
雄大な自然のなかで自責の念から蘇ったファウストは、皇帝の城、古代ワルプルギスの夜、ヘレナとの家庭生活、皇帝軍と反乱軍の合戦、海辺の領地での干拓等、大宇宙の生命の諸相を体験する。やがて人生の"夜ふけ"を迎えたファウストは見えない目で自分の大事業を見とどけようとしながら、思わず「時よ、とどまれ」と口にする。死んだファウストの魂が、天使たちと"かつてグレートヒェンと呼ばれた女"の導きで聖母マリアの許に救済される。
感想・レビュー・書評
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残念だけど面白くなかった。話の筋書きが薄いし、ファウストは主人公なのに能動的になにかすることもほとんどない。何かやるのはいつも悪魔のメフィストフェレスで、ファウストはただ彼の操り人形みたいだった。あと大事なところにかぎって描写が薄くて、なにが起こっているのか把握できないこともしばしば。後で解説を読んでそうだったのかと腑に落ちた。
二部では一部とはうって変わって、神聖ローマ皇帝やギリシャ神話の人物たちが登場する。舞台がドイツからギリシャへ移り、グリプス、スフィンクス、ケンタウロス、セイレーン、ネレウスなども出てきて、壮大ではある。だけどただ話を膨らますためにとってつけた内容のようにも感じた。あとは、ホムンクルスも登場する。錬金術がひとつの大きなテーマになっていて、当時の人々の関心が反映されていた。
これが韻文詩だったら星4、星5になったかもしれない。だが散文詩で伝えうる何かを持ち合わせた物語だとは感じなかった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
途中はキリスト教、ギリシャ世界の神々を皮肉りながらも、最終的には、人生を意味あらしめるためには、宗教性、女性性が必要と説く。資本主義、国家主義への痛烈な皮肉も見られた。
附属の多和田葉子の文章が秀逸。☆5つだ。第2部は音読してこそ、世界が浮上する。 -
第二部は一部とスケールが違う。神々(ギリシャ)世界、古代ローマ、聖書、舞踏会、洞窟…場面が変わるごとに世界も一転してゆく。その分、かなり読みにくく、ストーリーがわからなくなる。
だが、第一部よりも断片的な記憶が残り、場面場面が印象深い。通読した後から、パッと開いた箇所を読み直すような楽しみ方ができる。
二部があることによって、一部は壮大な序章に思えてくる。だが、一部が無ければ二部の目まぐるしく変わる舞台にはついていけないし、二部だけでは決して確立しない。
残念なのは、二部は一部よりも原文で読むのが望ましいのだろうと思えること。詩句も多く、原文が読めれば楽しめるだろう技巧が多々あるように思えた。
ストーリーを読み取ることよりも、言葉の響きややりとりが重視されていると思えたことから、私は一部よりも二部の方が好きだった。
第一部も含めて、機会があれば意味はわからなくてもドイツ語で読まれるゲーテのファウストを聞いてみたい。 -
様々な後世のオマージュやメタファーの元ネタがわかって楽しかった一部に対して、第二部は一転、何書いてんだが全然わかんない!
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4
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鬼門の第二部・・・
まだこの面白さはわからなかった・・・
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「終わったとは笑わせる。どうして終わるのだ?終わるのも、何もなかったのも、二つながらに一つのこと。永遠の創造がどうしたというのだ、創られたものを無のかなたへとひっさらう、それが終わりだ。つまりは、どういうことだ?なかったも同然、それがあるかのように堂々巡りをくり返す。永遠の空っぽのほうがずっとましよ。」 -
ギリシャ神話の登場人物が頻繁に多数登場するのは最初はパロディかと思ったけれど、最後まで読んで「ファウスト」もまた新たな神話だからだと気付いた。読了後に当時のヨーロッパ世相を調べ、照らし合わせて見るとまた新しい発見がある。
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ホムンクルスまで出てくることは記憶になかった。最後がもっと複雑なような気がしたが単純であった。
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いきなり話がわからなくなった。登場人物が多すぎてついていけない、区別がつかない。5年かかってようやく読みきったという安堵感。プルートス、皇帝、メフィスト、ワーグナー、ホムンクルス、ヘレナ、魔女ラミア、憂い。時よ、とどまれ、おまえはじつに美しい。グレートヒェン出てきた。