櫛挽道守

著者 :
  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (376ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087715446

感想・レビュー・書評

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  • 表題『櫛挽道守』のルビがなければ読み方もわからず、冒頭から馴染みのない方言での会話が続き大丈夫かなあと思いつつ、この作品との出逢いは私の中で一番を更新でした。星は10個ぐらいでもいいです笑。

    木内昇さんの作品に吸い寄せられるように続けて読んでいますが、何とも味わい深い滋味に富んだ1冊です。

    舞台は江戸時代末期の木曽地方。
    「そこしかしらない。それしかしらない」封建的で閉鎖的な生き方のみが正しさだった時代。
    受け継いできた櫛職人を父に持つ女性登瀬が主人公です。

    この主人公が幼い頃から成熟するまでの時がゆったりと描かれ、女性の選択と生き方、夫婦家族観、きょうだいの確執、母親と娘との距離の近さ、商売の因習等、今にも通じる数々のテーマを含んでいます。

    他の作家であれば「正しさ」を筆に滲ませ、読み手にジャッジを求めるということも多くありますが、そこはさすが木内さん。

    無理やり筋を動かしたり、登場人物に余計な価値観を語らせることもなく、儚い時の流れが物語を重厚にします。
    洗練され研ぎ澄まされた言葉が滋味深く余韻を広げます。

    本当に美しい言葉。心の機微をしっかり掘り起こす豊かな語彙や表現に出逢えた悦びに溢れます。

    以前読んだ木内さんのエッセイのなかに
    時代物は決して昔話ではなく、そこから今の私たちにも脈々と流れているものがあるというニュアンスの文章を思い出しました。

    合理性や利便性がいくら向上しても、「生きること」や「人間」「家族」の本質はさほど変わってはいないのではと還暦を目前に感じます。

    母親との関係や家族との間柄に晴れない霧をずっと抱えている方は何かの一助になる1冊だと思います。
    木内さんの作品が傍にあってよかったと噛みしめながら頁を閉じました。

    印象的だった箇所から抜粋:

    P.135
    「おらは、こんまい頃から家に、家族に、守られたという覚えがないんだわて。ずっとはしためみてえに煮炊きの手伝いをさせられてきただけだ。家族のひとりではなくて、ただの人手だ。おらがなにを考えとるか、どうしたいか、どんねな気持ちでおるか、うちの誰もきにならんのだわて。直助のいたころは父さまも母さまも直助にかまけてよ、いねぐなった後も母さまはずっと直助、直助でよ。はなから、おらの居場所はこの家のどこにもないんだが」


    「それが…おらのせいだと言うだがね」
    母は、思いもよらぬ言葉を娘に放った。その顔にも憤りが宿っていることに、登瀬は愕然とする。

    P.172
    喜和は宮ノ越に嫁したきり一度も帰省していない。四年も経った今では、いつも頬を真赤にしていたあの妹がどんな母親になっているのかと思い渡すのも億劫なほど、遠くの者になっていた。家族というのはここまで他人になれるものかと、喜和を思うたび登瀬は見たくもない現実うつつを突きつけられる気になる。

    「いくら包んで送らねばいけんの。まったく物入りだわて」
    冷淡に言うことで母は、喜和の他人行儀な仕打ちに抗しているようだった。子をなしたというのに、実の母に、乳のやり方ひとつ訊くこともなく、孫の顔を見せにも来ぬ娘に対する寂しさに、そうやって蓋をしているのかもしれない。表から聞こえてくる岩燕の健やかな鳴き声のせいか、竈の前にしゃがむ母の横顔が余計にうら悲しく見えた。

    P.302
    「おらはなんも変わったこどはしとらんだにな。舅の言いつけに口答えしだこどもながったに、居場所がのうなっていったんだわて。きっと義姉さんと比べて、おらの足りないところが目障りになっていったんだろう。家というのは恐ろしいところだが。世間よりずっと怖い。世の中では悪さしだものが後ろ指を指される。だども家では、なんもせんでも嫌われていぐだもの」

    略)
    P.303
    「おらが嫁すとき、藪原の者も宮ノ越の者も、申し合わせたように『幸せになれ』と言っただが。母さままでそう言った。だども考えてみれば、無慈悲な話だ。幸せになんのがどんねに難儀なこどか、みな知っとるはずなのに、楽に幸せになれるようなこどいうのだもの。幸せが何かも知らん癖に、いい加減なこと言うて、焚きつけて…。勝手な話だ。みんな勝手なこどしか言わんのだわて」

  • ひさびさに小説を読んだ気がしますが、とても読み応えがあって、満足感高し。。。!

    一応、幕末が舞台で、和宮降嫁や天狗党処刑などが関係してきます。が、その物語との関わり加減の絶妙さひとつとっても、見事というか上質というか、素晴らしいなあと思います。

    どういう話って一言で表しにくい。そしてどう終わるのかも想像がつかず、ハラハラした。
    まとまらなさそうなので雑感箇条書き。ややネタバレありかも。

    ・職人もの。職人気質という気持ちよさ。
    ・主人公である長女と母と妹と。女の道。映像化するなら妹は黒木華にやってもらおう(笑)
    ・どろどろしそうでしないのは、結局のところ主人公の人柄(職人気質なところも含めて)の魅力からなんだろなあ。その品のよさがそのまま木内昇の魅力なのかな。いかにも外食!っていう濃い味ではなく、でも確実にプロの味で、それでいて肩が凝る料亭みたいな偉そうさはなく。
    ・問屋の宗右衛門が良かったなあ。ちょい役だけど。
    ・抱擁シーン、じーんとしちゃった。これもまたさじ加減が最高。
    ・夫となる人物の描きかた、見せ方、これまたうまかったなあ。

  • 村一番の櫛職人の父を尊敬し、その腕に憧れを抱く少女。
    しかし、櫛をつくるのは男の仕事。
    それでも櫛への気持ちを捨てることはできなかった。
    こう書くと自分の望む道を自分で進む朝ドラ的ヒロインのお話かと思ってしまうのだが、読んでみるとちょっと違う。
    最初から弟の死という重い出来事を抱え、コミュニケーション不足からくる家族間の感情のもつれなど、
    なかなか作品通して鬱鬱とした雰囲気。
    結局は何を言われても、迷っても、どうしても櫛の道から
    離れることはできずひたすらにその腕を磨いていった登瀬だったが、その櫛の道でさえ、天賦の才をもっている男の出現で、その心はひりひりと焦燥にもえる。
    この男、見た目はいいもんで、もしや登瀬の相手役になるのか、と思ったが、まあ、結局は夫婦になるわけだが、
    それは惚れたはれたの結果ではなく、恋愛メインは源次。
    この子、最初はなんか卑しい子ども、とゆーイメージだったので、その後の展開は少々意外でもあったのだが、
    なかなかの純愛ものだった。
    それでもあの綿入れを登瀬はいつか身につけるのではなく、
    大事に仕舞い込むのだろうと思う。

    嫁として母として当たり前に生きたかっただけだったろうな母は知らず娘の心を傷つけ、喜和の心は家族から離れていった。それでも、冷遇されている婚家での姉妹のひと晩はどこか心あたたまるものがあった。

    直助の創作物が登瀬を救う。
    けれど、そんな彼が生きていたら、この家族はもっと幸せに生きられただろう、としみじみ思う。

    自らの技術をかりものだから、次へ伝えなければと言う吾助はいかにも職人気質。こーゆー考え方は好き。
    日本の職人、とゆーことでなく、なんにしろ、
    なにかを極めた人とかは、結局は無私の境地に達するのではないだろうか。

  • 中山道薮原宿の櫛挽職人の物語。抗いようのない時代の波を淡々と受けとめる父娘の、櫛職人としての矜持。都から離れた山あいの小さな宿場町という閉じた世界に暮らす母娘の確執。そういうものが櫛挽きの拍子をとるようにしみじみと描き出されていました。時代は幕末、舞台が木曽路の山あいの宿場町ということで、島崎藤村の『夜明け前』を思わせる味わいがあって、すーんと心に沁みるあたたかい物語。方言が温かい味わいを醸し出していて、ずっとこの世界にひたって登瀬の櫛挽きの拍子を聴いていたいなぁと思った。
    主人公が馬籠宿の本陣兼庄屋の主人だった「夜明け前」が、〝幕府の瓦解〟によって家族が壊れていく物語だったのに対し、「櫛挽道守」は、薮原宿の庄屋にこき使われる職人である主人公が〝維新〟によって職人の価値を認められ、家族が救われていく物語だったのが印象的だった。

  • 木内さんの、また違った一面が見れたような印象。でもやっぱり好きだー
    馴染みのない方言だから最初は苦労したけど、だんだんそれが何とも言えない味でなくてはならぬものに感じた。
    ネットでお六櫛の画像を見たらあまりに繊細なつくりで驚いた。この家の板ノ間の静謐さがそのまま形になったような、なんてよくわからんけどもとにかくきれい。ここまですべてを賭けて打ち込むものがあるっていいな。

    家族の関係の難しさ、近すぎて憎いような気持ちが痛い程伝わってくる。登勢や吾助はもちろんだけど、喜和や松枝や、得体の知れない実幸も、いいなあ。
    読んでてたまに、淡々としすぎて不安になるかと思えば、次のページでいきなりグワッと泣かされたりする。

    装丁も相変わらず素敵。字体が好き。

  • 木内昇が紡ぎ出す人情噺が、随分と現実味を帯びて聞こえるのは、背景に流れる歴史を意識してしまうからという面も確かにあるとも思うけれど、先ずは人物の描かれ方の巧みさによるものが大きいのだろう。感情移入している訳ではないのだけれど、何時の間にか登場人物の抱える押し殺したような思いに同じように歯がゆさを覚えながら読んでいる。確かにそのような人物がその時そこにいたのであろうな、と思いながら読んでしまっている。もちろん、登場人物に重ね合わせて見ているものが、現代人である自分達の価値観の投影を免れているのかと問うならば、答えは否であるのだろうけれども。

    自分自身、木内昇が描くものを歴史小説として読んでいる意識はないのだけれど、この作家が描く対象を先の見えない現在(混沌としていない現在なんていつの時代にも存在したためしはないと思いつつも)の中に求めて、同じような人情噺を展開しても面白くは読めないだろうな、とは思う。つまり、木内昇の描いているものが、時代の要求する価値観と、それにすり潰されてしまいそうになる個人の対比のような構図があってこそのものであり、読むものがその枠に嵌って筋をなぞって行くところに醍醐味があるからなのだと思うのだ。落語の人情噺を聞く時に、何が許されていて何が許されていないのかを飲み込みながら、分かっていた筈のお涙頂戴にやっぱり涙するのと、実は似た構図が木内昇の描く噺にもあるように思うのである。

    しかし木内昇の小説が人情噺に終わらないのは、決まり切った約束事なんてものは実はふわふわとしたものであることを見せてくれるからだとも思う。例えば、連作短篇であった「茗荷谷の猫」では一つのエピソードが狂言回しのように時代の移り変わりの中で登場し、その意味が時と共に変わってしまいそうになるのを読む。実際には、人情話の根本的な意味は変わりはしないのだけれど、時代の要請する価値観という文脈に人がどれだけ縛り付けられているものなのかを、ぐっと思い知らされるところが小気味好い。それが中山道のとある宿場町の櫛職人の技の話であろうと、江戸の植木職人の新種の桜の話であろうと、はたまた戦後の喜劇役者の苦労話であろうと、底流にある何かしら訴えかけてくるようなものの根源は同じであると思うのである。個人は常に歴史を背景にして存在しているのであって、逆ではない。しかし歴史を題材にするとき多くの個人はともすると背景として処理されてしまう。そんな逆転を質しているのが木内昇の小説であるように思う。

    結局のところ、歴史を描くということは、現代の要請する価値観との違いを明らかにするということなのかも知れない。そしてそれが如何に移ろい易いものなのかということを歴史が証明しているということを。そんなことを考えていると、歴史の中の善悪を現代の価値観で判断してはならない、などということもつらつらと考えてしまう。もちろん、そんなことは木内昇の小説の面白さとは関係のないことかも知れないけれど。雲の上でハンナ・アーレントを描いた映画を見たからという訳ではないが、歴史の中で固有名詞が一般化されてしまうことに対して、この作家は何か特別な思いを抱いているような気がしてならない。

  •  幕末、木曽の宿場町で櫛職人の家に生まれた登瀬は、幼い頃から父が挽き出す美しい櫛に魅了され、いつしか櫛職人になる道を選ぶようになる。後継ぎのはずだった弟に先立たれ、妹の方が早く嫁ぎ先を見つけ、ひとり残された登瀬はふつうの女性の生き方を選ばず、周囲の白い目にも負けずただひたすら父の技を極めようと努力を続ける。

     折りしも黒船が来航し、これまでの秩序や常識が揺らぎ始めた時代、宿場町を一回も出たことのない世間知らずの登瀬の信念を、古いしきたりや新しいプレッシャーが交互に押しつぶそうとする。特に、和宮様が御降嫁で中山道を通ったという史実を使って、正反対の生き方をしている自分自身を登瀬が責めるあたりは、こちらまで息苦しくなる。

     主人公の登瀬が寒村の職人の娘にしては考えが進歩的すぎる気がしないでもないが、他の木内作品同様、時代の大きな流れに逆いながらも結果的には逆らえず、それでも必死になって己が信じる道を生きている人の姿が描かれていて、しみじみ胸を打つ。

  • 江戸時代に山奥で櫛作りをする職人の人生。貧しくて家を飛び出すように結婚した妹、幼くして亡くなった弟、不器用に櫛作り一筋に生きる父親。周りに反対されながら櫛作りに生きようとする主人公の登瀬。
    地味な本だが、必死で生きようとするこの時代の人間の姿が見れた。
    妹の嫁いだ先での生活の話辺りから、じーんときて目に涙たまった。いい作品だった。

  • キャリアウーマンが好みそうな、専門職を極めるあたしは凄いといったうっとおしさが微塵もないほど、完璧な小説。

    櫛挽という題材の稀有さだけではなく、それを台無しにしない濃密な文章や、心の機微の表出のうまさに感嘆。著者の技術職の畏敬の念に胸が熱くなる。江戸末期、封建的な時代の女の悲しさ、男の意地、きょうだいの確執と和解。すべての人物がいきいきと描かれている。
    印象的な場面を断片的に切り取ったかのような各章のタイトルもまたみごと。ひさびさに泣けた。

  • じっくりじっくり。焦らず急がず。コトコトと重い鍋で煮こまれた煮物の味わい。
    例えれば、ブリの旨味をたっぷりと吸った大根のような…。
    地味です。質素です。そして、深い旨みに思わず息を呑んでしまいました。

    主人公・お登勢。木曽山中の小さな村の、櫛職人の娘です。
    このお登勢さんの少女時代から、およそ三十歳くらいまでの物語。
    震えるくらいに面白い小説でした。
    かなり限定した舞台設定の中で、父・母・妹・弟という家族のキャラクターがはっきりしていて、輪郭がくっきり。
    もうそれだけでも面白い。狭い家の中の人間同士の葛藤が、きれいごとだけではなく、どろどろと描かれます。
    その中でも主人公のブレない純な思いが、芯が通って好感度。
    でも一方で、「純粋だから失うもの、得られぬモノ」もシビアに描かれて、これがホントの人間ドラマ。
    地味ながら、深い、渋い。流れるような筆致に、小さな村の在り様と季節の巡りの中で、あくまでもどこまでも主人公の気持ちを追いかけます。
    悔しさ、悲しさ、無念、喜び、素朴な疑問。疑念、不安、怒り。
    そこに同時並行で、ペリー来航から安政期、動乱の幕末までの世相が、「彼方から山村にやってくる遠い世界の噂」として描写されます。
    それが、かすかな地鳴りのように、価値観の変化や時代の移り変わりの胎動として物語に響いてきます。

    恋愛に堕ちず、安易に歴史的動向に巻き込まれることもなく。
    実に巧みな小説作り。拍手。

    人に勧められて最近読み始めた小説家さんなんですが、木内昇さん、素晴らしいですね。同時代の日本の小説家であることが嬉しい限り。
    1967年生だそうなので、まだ47歳前後。長く新作を愉しめるなあ、と。

    以下、あらすじを知りたくない人は読まずに…。個人的な備忘録。

    ################################

    櫛職人のお登勢は、少女時代から父の技が大好き。
    無口な父は、櫛引の名人。腕はあるが、マーケットの小さな田舎では問屋に足元を見られて貧しいまま。
    女性だから後継ぎになれない運命だが、櫛引きを覚えたくてたまらない。
    後継ぎになるはずだった弟が少年時代に急病死。一家に暗い影が落ちます。
    年頃になるにつけ、とにかくお登勢は櫛引にしか興味が行かない。
    唯一つ、急死した弟が生前に書いて旅人に売っていたという絵物語を集めることにだけは、執着します。
    妹は、姉と違い現実的に生きています。
    この小さな村の貧しい家を、とにかく出たくてたまらない。
    姉とは同じ狭い世界に住みながらも、見ているものと感じてるものが全く違うんですね。
    やがて主人公お登勢に縁談が。
    嫁いでは、もう櫛が引けない。自分の一生はなんなんだろう。苦悩。
    だけど、そういう時代です。逆らえません。
    ですが、土壇場で、それを察したのか、無口な父が縁談を断ります。
    お登勢は女だてらに櫛職人の修業に励むことになります。お登勢は嬉しいけど、母と妹は愕然とするわけです。

    月日は流れます。
    妹は、自ら掴んだ縁談で、他村に嫁ぎます。
    その際に牙を剥くように、姉の生き方を否定して、「自分は勝った」と言わんばかりの態度。
    腕を上げていくお登勢。
    そこに現れる、江戸帰りの男職人。父に弟子入り。これが凄腕で、めきめき頭角を現すし、旧弊な村の習慣に囚われず卸し先を変えたり新商品を作ったり。
    家計は楽になるが、お登勢はその天才肌の新参者の腕が妬ましい。心落ち着かない。
    ところがその男と結婚することになる。婿取り。
    櫛引は続けられるが、どうにもなんだかおもしろくない。この結婚、愛情っていうのでは無いんですね(笑)。

    月日は流れて。
    多少の浮き沈みがあっても、家は静かに続き、父は病に伏せるようになり、お登勢は腕を上げます。母にもなります。
    そして、微妙な関係にあった夫とも「夫婦だけど最高のライバルでもある」という言葉で長年の曇り空が晴れるようにわだかまりが解けます。
    小説世界上初めて、安らぎと未来への視界が開ける終わり方。

    という流れの中に、「早世した弟が託した思い」を知るための努力が挟まれます。
    そして、「弟と仲の良かった、出自卑しい可哀そうな少年」が、長じて世を憂うようになる。和宮降嫁の行列を志士と乱し、獄に繋がれ、安政の大獄の余波で死罪になります。
    その移り変わりの中に無理なくお登勢が絡みます。
    「弟は、故郷を愛して、父の櫛を愛して、姉に職人になる夢をかなえて欲しかった」ということを知る。
    死罪になる少年は、お登勢に「やりたいことをやってくれ」とささやかな自己実現を託して消えていきます。

    そんな切ない思いがじっくりと、コトコト煮るように料理され、お登勢の家族の物語とゆるやかな川の流れのように合流します。

    実に豊穣な読書でした。

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著者プロフィール

1967年生まれ。出版社勤務を経て、2004年『新選組 幕末の青嵐』で小説家デビュー。08年『茗荷谷の猫』が話題となり、09年回早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞、11年『漂砂のうたう』で直木賞、14年『櫛挽道守』で中央公論文芸賞、柴田錬三郎賞、親鸞賞を受賞。他の小説作品に『浮世女房洒落日記』『笑い三年、泣き三月。』『ある男』『よこまち余話』、エッセイに『みちくさ道中』などがある。

「2019年 『光炎の人 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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