- Amazon.co.jp ・本 (344ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087732016
作品紹介・あらすじ
名作『不滅』を発表したあと、クンデラは《ランフィニ》誌にほぼ毎号エッセーを書きつづけていた。あるときにはカフカ、ヤナーチェクといった小説家、音楽家について書き、あるときにはラシュディ、シャモワゾらの南方作家の擁護のために筆をとった。さらにベルリンの壁の崩壊、チェコスロヴァキアのビロード革命、ソ連解体という、歴史の急速な大変化をまのあたりにしながら、フランスに住む東ヨーロッパ出身の小説家として言いたいこと、言うべきこと、言えるようになったことを冷静で透徹した考察の形で発表した。
感想・レビュー・書評
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『存在の耐えられない軽さ』という──文法的におかしいという人もいるが──アトラクティヴなタイトルの映画で何だろうと思ったのがクンデラを知った最初か。以来、ミラン・クンデラはいくつか読んできた。その父親がヤナーチェクの弟子だったということもあってか、彼の書物は文章で綴られた音楽だ。『存在の耐えられない軽さ』は対位法、『不滅』は変奏曲というように、音楽が下敷きにあるのがみえてくるといっそう面白くなる。
本書はそのクンデラの評論集である。9編の評論の中で、ラシュディ、カフカ、ストラヴィンスキイ、ヤナーチェクなどが中心的に論じられるが、他に、マン、ブルトン、トルストイ、ベートーヴェン、ニーチェなど、クンデラの議論は縦横無尽に駆け巡る。Aを論ずるのにZから始めて、一気にAに接近するといったアクロバティックな話の運びは極めて即興的なようでいて、周到に計算されているのだろう。そして、多岐にわたるテーマを扱っているようでいて、この9編は連作ともなっており、大きなテーマは表題にあるように「裏切られた遺言」。つまり、芸術家の翻訳者・紹介者・擁護者たちがいかに彼らを裏切ってしまうのかということである。
本書でもっとも多く論じられているのが、カフカとヤナーチェクというクンデラのお国のユニークな創作者たちであるが、奇しくも彼らには共通の紹介者がいた。マックス・ブロートである。クンデラはこんな風に書く。このくだりがとてもいい。
不可解なブロート。彼はヤナーチェクを愛していた。彼はどんな下心によっても導かれず、ただ正義感に導かれていただけだった。彼は本質、すなわちその芸術のゆえにヤナーチェクを愛していた。ところがその芸術を、彼は理解していなかったのだ。
クンデラは翻訳者・紹介者・擁護者たちの「裏切り」に憤ってはいるのだが、同時にその「裏切り」に透徹したまなざしを注いでいるのだ。
そしてそれを読む私は、カート・ヴォネガットをまねて、呟くほかはない。
そういうものだ。 -
これ程までに多弁で、こんなにも情熱的なクンデラが他にあっただろうか。傑作『不滅』執筆後に書かれたエッセーをまとめた本作では、芸術とは決して不滅のものではなく、その通俗的な側面のみ普遍的なものとして残されてしまう前作の主題に徹頭徹尾、抗おうとしている。カフカとヤナーチェクというチェコの代表的芸術家である二人を中心としながら、ここにあるのは時に作家至上主義に見えてしまう不器用なクンデラの姿だ。それはいつになく隙だらけでありながら、だからこそ時代の、歴史の、芸術の困難さを語ろうとする力に満ち溢れているのだ。
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音楽論と文学論が組んず解れつする評論集。いずれのジャンルにしろ、ロマン主義的傾向、つまり「感情表現」第一の作品を敬遠しているところなど、日頃自分が舌足らずに思っていることを精確に論じてくれている。ショパンのピアノコンチェルトとかリストとかの曲にアレルギーを感じる一方、バッハはじめバロック音楽とストラヴィンスキーのヴァイオリンコンチェルトが好きなのだけれど、音楽的趣味がクンデラと似通っていてなんだか嬉しかった。あ、ショパン嫌いでもいいんだ、と思えた。ヤナーチェクも聞いてみよう。
ヤナーチェクといえば(1Q84の)村上春樹。村上春樹といえば(海辺の)カフカ。そして、ヤナーチェクとカフカといえばマックス・ブロート。村上さんはきっと本作を読んでいるだろうな。 -
ヤナーチェク、ストラヴィンスキー、カフカなどなど、クンデラによるリスペクトが炸裂する評論。
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カフカ論がダントツに面白かった!今までのカフカ研究は確かにすごく偏ったものだし、それに対して同じチェコ人として、カフカを一人の人間と捉えて論じている。
ラシュディについても、クンデラらしいスタンスでの擁護が興味深かったし、翻訳論はぐんぐん読めたなぁ。
ただ、まぁ…相変わらず、奥が深くて難しい文章ですな。