- Amazon.co.jp ・本 (287ページ)
- / ISBN・EAN: 9784092906198
作品紹介・あらすじ
読書好きの少女たちの友情と家族の物語
ママが死んでしまってから、パパと二人で暮らしているカリプソ。
カリプソは、本が大好き。
いつも一人でいるカリプソにとって、本はたったひとつの心のよりどころだった。本が頭の中につくってくれる安らぎの場所、魔法や、無人島や謎に満ちた世界が、カリプソは好きだった。
「強い心を持たなくてはいけない」
パパはそう言うから。
「わたしはだいじょうぶ」
何があっても、カリプソは、自分にそう言い聞かせる。
そんなカリプソの心を開いたのは?
本は、勇気づけてくれるし、世界を広げてくれる。友だちにだってなれるかもしれない。
でも、本だけでは、心は満たされない。
家族の再生の物語。
【編集担当からのおすすめ情報】
同じ本が好きっていうことだけで、すごく親近感を感じてしまうってことは、大人でもあります。主人公の少女と親友が、本をきっかけに出会い友情を深めていく様子が、とてもステキに描かれています。物語の中に、たくさんの本の話が出てきますが、巻末に、読書ガイドが簡単にのっていますので、ぜひ参考にしてください。
感想・レビュー・書評
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10歳のカリプソは、5年前にママが急逝してから「人に頼らず、心を強く持って生きろ」と言うパパと二人暮らし。亡ママの部屋を自分だけの図書室にし、友人を作らず本を心の支えにしてきた。校正を生業とし、レモンについての本を執筆しているパパは、家事に無頓着で、最低限の家事は彼女がしていた。本好きな転校生メイと意気投合し、物語を共同執筆し始めるが、両親と弟のいるメイの家に遊びに行くたび、カリプソは、自分の家との違いの大きさに気づいていく。カリプソがはじめてメイを自分の家へ招待した日、パパは不在で、彼の書斎の本棚にあるべき亡ママの遺品である本はすべてなくなって、代わりにおびただしい数のレモンが入っていた。
自覚なくヤングケアラーとなっていた少女が、パパとともに、周囲の助けを得て喪失感と向き合い、人とのつながりの大切さに気づいていく物語。
*******ここからはネタバレ*******
ママの急逝と前後して、なぜパパが、レモンに関心を持ったのかは私の読解力では読み取れませんでしたが、著者がレモンを取り上げたのは、そこに欠陥品や困難の意味が含まれているからでしょう。次作の「Jelly(邦題「秘密のノート」)」が、不安の象徴だったのと同じです。
エピローグで、みんなで仲良くレモネードを飲むシーンで上がりというわけですね。
愛した人を失った悲しみが大きすぎて、人とのつながりを恐れるようになってしまったパパが、娘にもそれを要求する。悲しみを抑えるために感情に封をし、その結果、喜びや楽しさを感じることも減っていく。
人とのつながりを排除してひたすら「強さ」を求めるパパが、実は一番弱い存在だったという、大人実に情けない物語です。
カリプソが争い事を目にしたくない理由がわかりませんでした。両親は良好な関係だったでしょうし、あのパパなら彼女に声を荒げることもなかったでしょうから。
メイの両親の懐の大きさに驚かされます。カリプソの家と対比するために描かれているのでしょうが、いくら娘の親友だからって、それで壊れた家庭のパパの面倒まで見られるものではありません。
ただ、カーテンにする生地を選んでと渡した布を汚してしまったとき、「これはママのお気に入りの一枚で、なにか特別なものをつくるときのためにとってあったの。もうもとにはもどらない」とがっかりする場面。いや、それならはじめから、カーテン地にしてもいいわけじゃなかったんじゃん、と思いましたよ。
レモン置き場となったパパの書斎で、腐ったレモンを投げつけたり、物置の裏に置き去りにされていた遺品の本を救い出して、カビで黒くなっていたものを書斎で乾かしたり、いいんですけど、カビは体に良くないから、特に1階の日当たりの悪いパパの部屋に置いておくと、パパの健康がますます損なわれてしまうかも知れませんよ。
パパの様子がおかしいと気づいたカリプソとメイが、では「正常」とはなにか調べる場面があります。少数派は異常なのか?がんで死ぬ人は正常なのか?正しい判断基準はないのか?そのうちに心理学用語としての「正常」に行き当たりますが、これだとDSMにまで話が行ってしまいますね。彼女のパパの場合は、ちょっとした疲れのようにも見えますが、<大人を世話する子どもの会>で、カウンセリングを受け続けるととことん落ち込んでいくと言われるところは気になります。カウンセリング手法がおかしいんじゃないのかな?
原作の表紙絵は、レモンの木の下で本を読んでいる絵。この作品の右上に突き出ている腕が持っている花は何なんだろう?レモンの花でもタンポポでも、メイの家の庭のバラでもないですよね。読み逃したのか?私にはわかりませんでした。
主人公は10歳。でも、こんな不安定に崩壊した家庭の話は、中学年の子にはきつすぎるのではないかと思います。しっかりした高学年以上にオススメします。 -
愛する人を失うことの
辛さは、
耐えがたいものがある
でしょう。
だからもう愛さないと、
心を閉ざしてしまった
主人公の父親。
しかし親が病んだとき、
犠牲になるのは子ども
です。
幸いこの本の主人公は
友だちに救われますが、
現実には、
多くのヤングケアラー
といわれる子ども達が、
出口が見えない日々を
送っているのでしょう。
自分独りで生きていく
強さを求めることは、
人と関わり傷つくこと
から逃げているだけ。
そう、人には人が必要。
人と関わり生きていく
強さを求めること。
それが本来在るべき姿
かと。 -
父子家庭のカリプソと転校生のメイ。本を通じての出会いから物語は始まります。カリプソは五歳の時に母を失い、父と二人暮らし。父は校正の仕事をしながら「レモンの歴史の本」を出版することが夢で、カリプソの世話は後回し…。メイは明るくて健全な家庭。カリプソとメイが仲良くなっていくが、カリプソの父が不安定になり…
ヤングケアラーへのサポート、家族、友情などが丁寧に描かれています。
作品に登場した物語が巻末に掲載されてるのも、いい。読みたい本が見つかり、楽しみが倍になる!。 -
ブクログの読書家さんの本棚で見つけた。あらすじは、「お母さんを亡くして、本だけが友達だった子供が…云々」だったが、何より心惹かれたのはこの「レモンの図書室」というタイトル。どうしてレモンなのだろう。レモンから想像するもの。酸っぱさ、苦さ、硬さ、蛍光色のような黄色、ひとすじの光のような果汁……米津玄師さんの「Lemon」の最後の部分が頭の中を流れる。
あとがきから先に読むと、欧米ではレモンというのがどんなことを象徴するのか、あっさり書かれていたが、後半に読み進むにつれて、私はレモンの眩いばかりの色彩に意味があったのだと思った。
ここからはネタバレになります。
私は主人公の女の子が、母親を亡くしてから本に閉じこもっていた状態を克服していくお話だと思っていた。
それもある。
しかし、大きな問題は、母親を亡くしてただでさえ寂しい子供に「心を強く持つんだ。泣いてはいけない。一番の友達は自分なんだ。」と言い続けた父親の心の闇だった。
主人公の女の子の心のカラは、同じように本の好きな親友に出会うことによって簡単に破ることが出来た。一緒に遊んでいた時のちょっとしたハプニングによって、久しぶりに〈泣く〉ということが出来てからである。
しかしそれからが大変だった。大人目線で上から子供の成長を見守る物語ではない。女の子は病んだ大人を支えなければならなかったのだから。でも、そのときには心を開いた女の子を支えてくれる大人たちも沢山いた。
子供の細い心理描写が良く書かれていると思った。たとえば、冒頭に、後に親友になる子から「遊ぼう」と誘われた時の複雑な心境とか。
しかし私が一番共感出来たのは、最後のほうに明かされる、父親の心の内である。女の子にとって自分と父親の共通の宝物であったはずの母親の形見を父親がないがしろにしてしまったことが許せなかった。しかし、父親には母親が母親になる前からもっとかけがえのない人であり、女の子が生まれる以前からの大切な思い出が沢山あった。
だから、閉じ込めてしまったのだ。
翻訳の方は、ヤングアダルト中心に翻訳されているらしい。この本もこういった内容からヤングアダルト向けだと思った。
この本に書かれているようなことがここ数年社会問題化されていることには気づいていなかった。ヤングアダルトの世界もどんどん変わってきているようだ。
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読み始めてすぐに不穏な空気を感じた。
でもレモンだし、きっと楽しい方向に向かっていくだろうと思っていたらやっぱり。ヤングケアラーのお話だった。
だけどこの本の良いところは大人も子どももケアしてくれる環境が整っているところ、普段はヤングケアラーだとしても子どもが子どもらしく過ごせるようにと理解してケアしてくれる集まりがあること、助けてくれる大人がいること、本人がそれを受け入れられたこと、とても良い友達ができて、明るい世界へ出ていけたこと。
アメリカではそういう制度?が仕事として確立しているんだろうか。
日本はまだまだヤングケアラーもきょうだい児もようやく言葉として認識されるようになったところで世間一般の理解があるとは言い難い。
だからこういう本があるというのはホッとする部分も大きい。
訳者のあとがきにもヤングケアラーのことに触れられていた。
レモンは日本では爽やかなイメージだけど、欧米では困難の象徴とされているとも。
それを知ってこのタイトルに納得した。
子ども達がみんな子どもらしく子供時代を過ごすことができますように。 -
フォローしている方の本棚から。とても良くて一気に読んでしまいました。
妻を亡くして以来、悲しみのあまり深い闇の中にいる父親。
そんな父親の、「自分のいちばんの友だちは自分、強い心を持つように」という言葉を一生懸命に信じようとしている娘のカリプソ。
まだたったの10歳なんだもの。
寂しいよね、抱きしめてあげたい。
心は硬いガラスで覆うより、膨らんだりしぼんだり、時には誰かの心とくっついたりする方が自然で必要なことだと考えさせられた。
カリプソや友人メイの本棚に並んでる本も魅力的。
レモンの酸っぱさとほろ苦さとー
レモンの香りがする度にカリプソやパパのことを思い出すだろうな。-
そよ子さん、こんにちは。いつもありがとうございます。『心は硬いガラスで覆うより、膨らんだりしぼんだり、時には誰かの心とくっついたりする方が自...そよ子さん、こんにちは。いつもありがとうございます。『心は硬いガラスで覆うより、膨らんだりしぼんだり、時には誰かの心とくっついたりする方が自然で必要なこと…』本当にそうですよね。かくいう私は、気をつけていないと自分の心をガラスで覆いがちです。本当の意味で「強い心」というものがなにかを、この本に教えてもらった気がします。2023/01/31
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コルベットさん、こちらこそいつも、いいね!をありがとうございます!
この本のコルベットさんの感想を読んで、急いで図書館から借りてきました!
...コルベットさん、こちらこそいつも、いいね!をありがとうございます!
この本のコルベットさんの感想を読んで、急いで図書館から借りてきました!
感想ではこのように書きましたが、今日1日、心を守ったり休ませたりするためには、いったんはガラスが必要な時間もいるのかもしれないとぼんやりと考えていました。私も一瞬にして穴蔵に引っ込むタイプなので。
メイやメイのママのような存在は大きいですね。
コルベットさんの本棚、また参考にさせてくださいね、これからもよろしくお願いします。2023/01/31 -
たしかに。ガラスが必要な時間もありますよね。こちらこそ、本棚いつも参考にさせていただいています。これからもよろしくお願いします_(_^_)_たしかに。ガラスが必要な時間もありますよね。こちらこそ、本棚いつも参考にさせていただいています。これからもよろしくお願いします_(_^_)_2023/01/31
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とても可愛らしいレモンの装丁に関わらず、レモンが指し示すところの意味は暗い。
だが、「レモンの図書室」なる言葉から喚起されるイメージの爽やかで軽やかなこと!
それはそのまま、本好きの少女・カリプソとカリプソに近づいてきた転校生の少女・メイの友情のイメージだ。
カリプソは、本をたった一つの心のよりどころとして生きる少女。病気で母を亡くしてから、父からそう教わって生きてきた。曰く、人に頼らない強い心を持たなければならない、と。
そんなカリプソの心を開いたのは、同じ本好きの少女・メイ。メイの明るさや、彼女の家族の、とりわけ彼女の母の温かさと懐の深さが、次第にカリプソの心を開いてゆく。
ここで終わっていれば、良い話、で済んだのかもしれない。けれどそうではない。
カリプソがメイとメイの家族の助けを得て変わっていっても、カリプソの父はなかなか変わらない。それどころか…。
図書室のシャッターを開けるシーンでは、ホラー映画のような描写が脳裏に浮かんだ。
人間の心の病理は闇深い。
それでも、子どもは強い。そう思わざるを得ない。
以前、母との確執を描いた作品を読んだが、そこでも、成長し、理解し、譲歩してゆくのは子どもの方だった。ただ、大人は許されて、許しを乞うだけだった。
本当はそうではいけない。けれど、それが出来ない大人も、現実にはいる。
弱く、立ち上がることが出来ない、成長することが出来ない人間は。
カリプソは、ある時、すべてを理解する。そうして、手を差し伸べる。
この家族は、再生できるだろうか。
できるだろう。時間はかかっても。父は、確かに愛情を知っているのだから。
カリプソに本があったことを、カリプソがメイと出会えたことに、心から感謝する。 -
主人公カリプソは母を亡くし、父親と二人暮らし。父親は家にいるものの仕事に熱中し、カリプソは自分で食事を用意したりもするが、家にはろくに食べ物がないこともある。父親に一人で生きていけるように強い心を持てと言われ、友達もいない。本を読むことと物語を作るが唯一の楽しみだ。ところが、ある日同じように本が好きなメイと友達になる。
主人公自身ははじめあまり意識していないが、妻を亡くした父親が親として機能していない。また、経済的にも豊かではないと思われる。初めて友達ができたことで、そういうことが明確になっていく。友達は母親の名前から察するに日系で、「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(ブレイディみかこ著)でも述べられているように、イギリスで現在白人が貧しく他人種の方が豊かだということを連想させられた。
カリプソは自分だけの図書館を持っていて、これがうらやましい限り。いろいろな本のタイトルも出てくるので、読者が興味を持ってそれらの本を手に取るきっかけになるのでは。
友達のメイの家族は普通の中流家庭の家族に思われる。その普通の家族がカリプソたちを救う手助けをする。はじめは戸惑いながらも、表に出さず、手をさしのべ続けるメイのママが、親という立場から見てすごいと思う。
葉っぱの形といい、五枚花弁といい、菫の花に見えますが・・
少し大きめに描かれているのはデフォルメで...
葉っぱの形といい、五枚花弁といい、菫の花に見えますが・・
少し大きめに描かれているのはデフォルメでしょうか。
お話の中には出てきませんでしたか?
もし違っていたらお手上げです。
コメントありがとうございます。
そうですよね。私もスミレかと思ったんです。で、もう一度探してみましたが、...
コメントありがとうございます。
そうですよね。私もスミレかと思ったんです。で、もう一度探してみましたが、やっぱり出てきませんでした。
ただ、「紫の小花」は登場していて、でもこれは、つんだ生花ではなく、メイのママが服を縫っている生地に刺繍されたものだったんです。この生地に見とれたカリプソは、後でこのスカートを試着させてもらい(服はメイのママ用だった)、残り布で作ったバッグをクリスマスプレゼントに貰っています。
カリプソはこの生地を見て、廊下にかかっている亡ママの描いた絵を思い出しているから、これなんでしょうね、きっと。
じゃあ、この手は何?ってまた思ってしまいますけど(笑)。