アヤとあや

著者 :
  • 小学館
2.91
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本棚登録 : 129
感想 : 12
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  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784093866194

作品紹介・あらすじ

誰かの“特別”でありたいすべての人へ

画家である父のモデルをしている、小学5年生の亜耶は、常に自らの美意識と神秘性に特別なものを感じていた。そんな彼女は相棒の彩といつも行動を共にしていた。歳を重ねるにつれ、次第に自分に宿る神秘性が損なわれていっていると焦りを感じるようになる亜耶。11歳の誕生日を迎えた当日、その感覚はより一層強くなっていく。学校に大勢いるただの凡人になり下がりたくないと、彩と共に「特別な」何かをしようと決意。いつもと少し違う日常を模索する。亜耶たちの前に、「学校にナイフを持ってきた」と騒ぐ男子が。そこに着想を得た相棒の彩が、「ナイフがほしい」と言い始め……。
渡辺優だからこそ描ける少女の心の深い闇。大人と子供の狭間で複雑に揺れる十代のリアルを鋭く紡ぎ出す!

【編集担当からのおすすめ情報】
自分に自信がない、でも、誰か一人でもいいから自分を特別だと思ってほしい……。大人でも折り合いをつけるのが難しいこの気持ちを、小学生で抱えてしまった女の子が主人公です。彼女の切実さ、そしてその先の結末をぜひ見届けてください。

感想・レビュー・書評

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  • 自分は他の人と違って特別で、神秘的で無垢な女の子なのだと思っている女の子の話。
    彩という「相棒」をもつ11歳の亜耶。

    自分は他の人と違って特別だ、と思っていた時期には、私にも身に覚えがあって。
    いつそれを卒業したっけな、と思い返した。

    特別、神秘的、無垢、他の人と違う、って本当に素敵な響きだ。魅惑的。
    そんな魅惑にばかりとらわれていて、
    「普通」ってつまらない、と思っていたあの時期。

    だけど本当は、普通が1番特別で尊くて輝いている。
    普通でいることのほうが稀有で難しい。
    ずっと特別だと思っていたものは、実は何の変哲のないものだった。
    そう実感するようになることが、大人になっている証なのかな。

  • 自分が特別であるという意識は、子供のころ誰もが持っていたんじゃないだろうか。
    しかし、成長につれて自分は大勢の中の一人にすぎないということに気づかされ、それを受け入れなければならないようになる。

    小学五年生の亜耶は年を経るにつれて自らの神秘性が失われていっていると感じている。
    彼女は神秘的でありたいと願うが、そう願ってしまっている時点で神秘的ではないということにも気づいてしまっている。
    そのことにどう折り合いをつけていくのか。

    序盤の亜耶からは傲慢さを感じるが、それがラストでは自己愛のように変わっていくのがよかった。

    以前読んだ『自由なサメと人間たちの夢』同様、少しメンヘラっぽい小説だが、著者はそういう人間のちょっと暗い内面を描くのがとても上手だ。

  • 小学5年生の亜耶は、常に自らの美意識と神秘性に特別なものを感じている。
    彼女は相棒の彩といつも行動を共にする。イマジナリーフレンドと認識している彩とともに、自分を特別だと思ってほしい……。自分の中で折り合いをみつける。少しずつ自分のあり方を考える少女の話。

    目次
    一 神秘的な子ども
    二 特別な少女
    三 無垢な女の子
    四 ただのわたし

    気になった本文
    特別というのは、周りの環境に支えられた状態でしかない。特別でいたいと願うことは、それ以外のふつうを強く意識するということ。特別でありたいと願う人は、誰よりも周りを気にしてるってこと。周りがどんなふうかを気にしてそこから抜け出そうとすることは、周りを気にしてそこに合わせようとすることと同じ。

    「ありふれた言葉がありふれているのは、それがある程度、本当のことだからだよ。」
    「そんな言葉ほしくない。みんながみんな、それぞれ特別な子だっていうんでしょ。そんなの誰も特別じゃないのと同じじゃない。」
    「そう、特別な人なんて誰もいない。みんながみんな、それぞれ自分のふつうを生きてるだけ。」

    わたしが欲しがった特別さとは違う、神聖でも、神秘的でもない、ごくふつうのありふれた特別さではあるけれど、それはそれで悪くないように思えた。

  • 読書備忘録671号。
    ★★☆。

    久しぶりの★3つ以下。
    読むのが若干苦痛だった。
    画家の娘、亜耶が想像上の友達、彩を作り出し、特別な存在でいたかった、というお話。

    なんで借りるリストに入ってたんだろう。多分読売新聞の小説エンターテイメント欄に紹介されていたからだ。アタリはずれがあるなぁ、小説エンターテイメント!笑

  • 11歳。小学五年生。まだ、コドモである。けれど、もう純粋なコドモではいられない年頃でもある。
    「自分」というものについて考え始める。「私とは」という永遠に答えの出ない問い。

    油絵画家を父に持ち、そのモデルとして「神秘的な目を持つ」「特別な」私。その特別さが自分のアイデンティティ。
    もし自分が「神秘的な目」を持たなくなったら。「特別な存在」でなくなったら。
    その恐怖を自分の中で消化し昇華していく過程が痛々しくも鮮やかに描かれる。
    「普通の人」であること。クラスの友だちと同じであること。背伸びせずに生きていく術を手に入れた特別じゃない「私」の未来は、多分きっと当たり前に素晴らしい。

  • 私があやという名前なのでタイトルに惹かれ。11歳の主人公亜耶とイマジナリーフレンド?の彩がタイトルの由来か。

  • 桃山学院大学附属図書館蔵書検索OPACへ↓
    https://indus.andrew.ac.jp/opac/book/648034

  • 「神秘的な子供」「特別な少女」「無垢な女の子」「ただのわたし」
    4話収録の連作短編集。

    小学5年生の亜耶は画家の父、パート勤めの母、6歳の弟と家族四人で平穏に暮らしている。

    亜耶が常に話し掛ける実態を伴わない彩。
    少女期特有の妄想?それともホラー?イマジナリーフレンド?
    先行きが全く読めないまま、不穏なアイテム、ナイフの登場にビクつき、校舎の二階から飛び降りる亜耶に危うさを感じる。

    自分を、神秘的で特別な存在だと信じこむ亜耶。

    それこそが、幼さの象徴であると思うも、特別と凡人、大人と子供の狭間で揺れ動く心情がリアルだ。

  • 2022/11/20

  • 自分を特別だと思っている子の話。子どもは自分を特別と思いたがるような気がする。大人になると、周りと比較したがるし、周りも比較してくる。場合によっては特別は嫌と思うこともある。素晴らしい能力がなくても、人間誰しも誰かにとっての特別でいられると思うし、私はそれでいい。

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著者プロフィール

1981年静岡県生まれ。天理大学人間学部宗教学科講師。東京大学文学部卒業,東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了,博士(文学)。2011-2013年,フランス政府給費留学生としてパリ・イエズス会神学部(Centre Sèvres),社会科学高等研究院(EHESS)に留学。2014年4月より現職。専門は宗教学,とくに近世西欧神秘主義研究,現代神学・教学研究。訳書に,『キリスト教の歴史 ―― 現代をよりよく理解するために』(共訳,藤原書店,2010年),論文に「もうひとつのエクスタシー ―― 「神秘主義」再考のために」(『ロザリウム・ミュスティクム:女性神秘思想研究』第1号,2013年),「教祖の身体 ―― 中山みき考」(『共生学』第10号,2015年)など。

「2016年 『ジャン=ジョゼフ・スュラン』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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