- Amazon.co.jp ・本 (541ページ)
- / ISBN・EAN: 9784094063295
作品紹介・あらすじ
小説界のカリスマ、不朽不滅のデビュー作!
どんな小説家にも、一つだけ、アマチュアとして書いた小説がある。
ないと始まらない。
その小説が人目に触れ、本になるとデビュー作と呼ばれ、書いた人は小説家と呼ばれるようになる。――「あとがき」より
現代作家の中でも群を抜く小説の名手――佐藤正午の不朽のデビュー作を、新たな装いで文庫化!
【物語】
失業したとたんにツキがまわってきた。
婚約相手との関係も年末のたった二時間で清算できたし、年が明けると競輪は負け知らず、失業保険も手つかずのままで、懐の心配はこれっぽっちもなかった。
おまけに、色白で脚の長い女をモノにしたのだから、ツイてるとしか言いようがない。いってみれば笑いが止まらぬというところだった。
「西海市」にすむ主人公・田村宏は、27歳の年の暮れに退職届を出して以降、ツキを頼りに何もかもうまく行くかに思われた。
ところがその頃から、たびたび街で別人と間違われ、厄介な相手にからまれ、ついには不可解な事件に巻き込まれてしまう。どうやら自分と瓜二つの男がこの街にはいるらしい‥‥。
【山田風太郎賞受賞の最近作『鳩の撃退法』への選評から】
●文句なしの最高得点を入れた。真似したくても真似できない。(夢枕獏さん)
●試みが図抜けていたことは、疑いようがない。(京極夏彦さん)
●自分もこの作品を一番に推した。(奥泉光さん)
●こんな優れた作家の存在を今まで知らなかった。受賞は当然であろう。(筒井康隆さん)
感想・レビュー・書評
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佐藤正午さんのデビュー作。
私にとって作家の名前は知らなくても題名は知ってる、部類の本。
BBSで「佐藤正午さんを知ってるか」と聞かれ、知らないから俄然興味が。
やっぱり、みずみずしい感覚あふれる本だった。
ミステリー仕立てで面白かった。
さらりとしているのに緻密。
主人公田村宏の年上の恋人小島良子の描き方も、うなずかせるものある。
同時代の作家の篠田節子さんとは女性の描き方が違うが、物足りなくは思わなかった。
私もこういうみずみずしい小説は好きだ。
例えば
曽野綾子さんの「太郎物語」
森田誠吾さんの「魚河岸ものがたり」
最近読んだ宮城谷昌光さんの「海辺の小さな町」
どれも清新な感覚が、読後にせまる。
私、恥ずかしながら村上春樹さんや北村薫さんの本も読んでない。
食わず嫌いというか、食指が動かなかった。
一冊は読まないといけないなと思ったのであった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ちょっとだらしない風の男が、自分によく似た男が引き起こす騒動に巻き込まれながら、競輪や女にうつつを抜かしていくような、やや文芸チックな作品。あんまり面白くはなかったが、500ページ超を読破した。
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まあまあ面白い小説
84年大学卒なのでその時代を思い出す
携帯のない時代、公衆電話
巨人の江川、長嶋監督
佐藤正午のデビュー作
瓜二つの彼の行動に迷惑かけられる
競輪で人生台無ししなくて安心 -
2.5
まぁまぁ古くに書かれた小説
言い回しがその年代らしくて少し読みにくいし言葉選びが独特
裏をあらすじを見て買いましたが想像してたのと全然違くて考え過ぎたというのもあるが自分の好みではなかった
ラストの方は文章が入ってきた
バックボーンがあるから伝わるものがあった -
ふたつの佐世保がある。
ひとつは、昭和一桁生まれの私の父が語る、戦前戦後の佐世保のイメージ。炭坑と軍港があり、朝鮮や中国へと頻繁に行き来する人々。戦争が終わり、闇市ができ、混乱の中、米軍基地で必死に働く少年(父)や重い荷物を背負い行商する明るい少女(叔母)の姿。
もうひとつは、昭和30年生まれの作家・佐藤正午が描くイメージ。競輪場、まっすぐなアーケード、その裏手のネオン街。平和な街で淡々と暮らす人々。
父の佐世保は、世界情勢に振り回された地方の街の中で、明日の食料さえ危うい人々の物語。暗く重いが、幼い僕に人生訓めいたことを与えた。
一方、佐藤正午が描く物語は、明るく、テンポよく軽くふわふわしている。鮮烈なデビュー作『永遠の1/2』の冒頭は、「失業したとたんにツキがまわってきた」。昭和58年の作品で、失業保険があり、食うには困らないという前提で物語が始まる。
ちょうどその頃、僕は医学部受験に失敗し、主人公と同様に宙ぶらりんの状況で、この本を手にした。物語の本筋ではない野球(長嶋や江川)や映画(スターウォーズ)や歌(吉田拓郎)の話が登場し、「知ってる、分かる」とニンマリした。作中に戦前戦後の佐世保の話もあり、それは僕の父の物語と重なった。この作品に人生訓や教唆を感じたわけではないが、それから彼の新刊が出ると、すぐに書店へ行くことになった。
平成になり、僕は佐世保の病院で働いた。佐藤正午の本を片手に、佐世保の夜の街に出たこともあった。偶然出会った時にサインをもらおうと本気で思っていたのだが、残念ながら、周りに彼を知る人は皆無だった。
さらに時が流れ、10年ほど前、ちょっとした事件が起こった。僕は佐世保での講演を終え、友人とふらりと飲みに行った。小さなスナックでカウンターに座ると、目の前の棚に『鳩の撃退法』が飾ってあった。
「おー!佐藤正午の新刊!」
僕は興奮し、指さした。
「佐藤正午の知り合い?」
ママはニコリと笑って、「ボトルキープ入れる?」
「もちろん!」
それから時々佐世保に仕事を作り、『鳩の~』の作中にも登場するママの店に寄った。そのつてで、サイン入りの『永遠の1/2』の単行本を頂いた。長年の夢が叶ったわけである(笑)。
しかし、コロナ禍。ママとは音信不通。行商をしていた叔母も亡くなり、僕の中のふたつの物語が薄れ、佐世保は遠い存在となった。
コロナ禍の続いた今年、医療応援で佐世保に行かせてもらう経験をした。帰りの車の中で、本書のページを再び開いた。車窓から見る佐世保の街と『永遠の1/2』が重なり、物語が再び動きだした。永遠に終わらない青春の物語がここにある。夕日を浴びる競輪場の脇を通り、車は高速道路に向かって走っていった。
(2022年11月27日 長崎新聞掲載)
【追伸】
「最も好きな小説家は?」と問われれば(問われたことはありませんが…)、間違いなく僕は「佐藤正午」と答えます。しかし、「どこがいいの?」と聞かれても、その答えは難しい。小説というのはあくまで個人的な体験だから、説明は難しいし、人に分かってもらおうとも思いません。だいたいの場合、「好き」には理由などないですからね。
この記事が新聞に掲載されると、佐世保の友人から、その店はどこだと問い合わせがあったので、教えました。ぜひ行って、今どうなっているのかを知らせて欲しいのですが…、まだ連絡はありません。
さて、この小説にも忘年会や新年会の話題がでてくるのですが、我々医療関係者はここ数年の年の暮れは、「今年は忘年会なかったけど、来年こそはフツーに飲みに行ける日がくればいいね…」という会話をしています。もう何回もそんな話をするので、永遠にそんな日は来ないのでないか…と不安にもなりますね。でも、『2023年、来年は絶対行ける』と断言して、今年の最後の言葉にしますね! -
長い530頁だった。半分くらいから、この後何か新たな展開があるかも、いやこのままかも、と思い乍ら、結局無いまま終わった感じ。
これは1983年のデビュー作で、文庫化が2016年。その文庫の後書で、本人が33年ぶりに読んで感じたのが、文章力がある、という事だと。その文章力とは、「うまいとか、こなれているとか、読ませるとか、粋だとか、そういう意味では全然な」く「粘りとか、根気とかの言葉に置き換えられるもの」だと。「真面目、地道、…そして凡庸」「といった要素が…この作者の文章には備わっている」と。
これには同感ですが、競輪好きの27歳の男の、自分と似た男をめぐる1年余りの日々起こる出来事、心に浮かぶ事を細々と綴っただけ、だった。 -
とりとめのない日常がダラダラと続くので、読み進めて行くのが辛かった。
時間がかかった一冊になりました。 -
『月の満ち欠け』が大変面白かった著者のデビュー作にあたるのだが、ここ1年くらいに読んだ小説の中で驚くくらい面白くないし、むしろ極めて不真面目な小説である、と断言しても良い。
不真面目、といったのは、作品を貫く「自分とうり二つの人間が同じ街に暮らしているという謎」を、数百ページの小説全体で引っ張っておきながら、たいした結論、オチを用意していないという1点にある。本作はれっきとしたエンターテイメント小説であり、クリアなオチを用意するのが作家の仕事だろう、と私は強く言いたい。出版社の側も「祝!直木賞受賞」などという帯など付けずに、本作がこれ以上広まらないように、静かに絶版に持ち込むのが良いのではないか。職業倫理を疑う、というのは言い過ぎかもしれないが、そのくらい私は怒り狂っている。 -
月の満ち欠けが面白かったので期待しすぎたようです。もともとギャンブルが嫌いなので、それに関する小説はスルーしたかったのですが・・・。
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他人の生活を覗き見