- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784094083903
作品紹介・あらすじ
童謡「ぞうさん」「花の街」、オペラ「ひかりごけ」「夕鶴」など多くの名曲を世に出した大作曲家のもう1つの顔は森羅万象を鮮やかな切り口で料理する名随筆家。1964年、東京オリンピックの年に雑誌連載で始まった『パイプのけむり』シリーズは37年の長きに渡って書き続けられた。日本はもちろんアジア、欧州、中東まで、幅広いエリアを舞台にした作品はまさに珠玉。本書はその中から「食」に関するものだけを厳選。「河豚」「螺汁」「ステュード・ビーフ」「北京ダック」「海軍カレー」など。解説の壇ふみさんも絶賛する美味しいエッセイをぜひご賞味あれ!
感想・レビュー・書評
-
團さんの食べ物エッセイ、他のアンソロジーで度々見かけて好きだなぁ……と思っていたので、まとめられていたこちらを読みました。
文章にリズムがあって素敵です。そして、世界中の美味しいものがたくさんでした。面白かったです。
「何も努力しない人物に美味しいものは微笑み掛けない」「(中略)要するに食は文化を舌で知る事以外の何物でも無く、……」は至言。
「スパゲッティというものはマカロニの芯」や、「蕎麦はきちんと四角の断面をしているので嚥下するときに食道や胃を切るから殆ど食べない」と思っている(た)のかなりかわいいですし、朝目覚めた途端に「ステュード・ビーフが食べたい」と思ったのでその慾望が満足するまでステュード・ビーフを食べまくるのもかわいい。ステュー浸りを打ち止めた福岡のお店「やまもと」気になりますがまだあるんだろうか。。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
文学
-
図書館で。
色々とおいしそうだなぁとは思うものの。
東京でフレンチを食べない、と威張るのはいいけどじゃあ東京やら世界の果てのような場所で中国料理を食べるのはいいのか?(笑)なんかちょっと違う気がする。
團さんが中国料理を重く見るのは九州の出身だからかなぁ。九州と中国って近いものな。
個人的にはどこの料理も美味しいと思うしそりゃあ現地で現地の料理が食べられれば一番だろうけれども海外まで足を延ばすのが面倒な出不精にしてみれば日本に居ながら色々な国の料理が食べられることは単純に嬉しいなぁ。
それにしても全然古さを感じない文章には確かに驚かされます。そしてハイカラだなぁとも。私の子供の頃、アボカドなんて近所のスーパーで売ってなかったものなぁ…
そう言う意味では世界は狭くなった気がしますね。まだまだ遠い国も沢山あるとは思うけれども。 -
サウンド文学館・パルナス「パイプのけむり」 朗読:神山繁
『神々の朝』 -
『パイプのけむり』を読むのは30ウン年ぶりのことだ。
当時は、随筆・エッセイのコーナーにずらりと並んだ『パイプのけむり』のシリーズを立ち読みするのが一番の楽しみであった。何十冊続いたシリーズだっただろうか、『またパイプのけむり』の次が『またまたパイプのけむり』だったり、つぎは『まだまだ』だったり、タイトルからしてすでに団さんの機智が溢れていた。
田舎の中学生であった私は、ふむふむ都会のセンスとはこういうものなのか、なるほど大人のユーモアとはこうしたものなのであるのか、と乾いた畑に水がしみこむように吸収した。読み返してみて、長らく気づかずにいたその事を思い出した。私の文章の書き方、スピーチの仕方は間違いなく子供の頃読んだ団さんのエッセイに強く影響されている。ただ、「おやじギャグ」とか言われて下品なジョークと十把ひとからげに、若い部下たちにはスルーされてしまうこの頃ではあるけれど。(お前らにはユーモアの上品も下品も区別はつくまい・・・オヤジの呟き)
「薬研堀」と題された一文がある。
「薬研堀」と記して「やげんぼり」と読むのだが、30年前に団さんは一切注釈せずに「味噌汁が真っ赤になるくらい薬研堀を振り入れ」という具合に記している。子供だった私にそれが七味唐辛子の別称だということが解っていたはずはない。東日本橋駅のすぐ裏の、今は中央区東日本橋になってしまった辺りをうろうろ歩いていて、そこの旧町名が「薬研堀」であったということ、それが隣接する堀の名にちなんでいることなどを記した由来書きをたまたま読んだが、それはつい昨年のことだ。それからやはり大人になってからだが、何年か前には、かつて薬研堀にあった江戸期以来何百年という七味唐辛子の老舗が、ヤゲンボリといえば七味唐辛子のことというぐらい評判であったことを新聞の老舗特集で読んでいた。八丁堀と言えば八丁堀同心のことをさすのと同様に、そうなのかナルホドと感心したものだ。
文章の洒脱さ、読みやすさ、面白さは今読み返してもいささかも色あせて見えない。逆に読む側の自分が30有余年を経て、同じものを読んでも全く異なる感慨と味わいが沁み込んでくる実感が今はある。灌漑用水がでこぼこな荒地に沁み込むのと同様に、人生の年輪だなどとかっこいいものじゃなくて、紆余曲折の人生でできた無数の心のひだのひと筋ひとすじに、じんわりと沁み込んで来る感じである。
檀ふみさんが解説を書いている。その中で草野心平が団さんに伝授した「草野粥」なる料理を紹介した一文をとりあげている。ふみさんの父檀一雄はやはり団さんとも草野心平とも親交があり、それゆえか檀家には「心平粥」なる粥が伝わっていると言う。いうまでもなく団家の草野粥と檀家の心平粥は同一のものだ。団だの檀だのとややこしい状況をふみさんは「ダン違い」だなどとオヤジギャグさながらの駄洒落で書いているが、これと全くおんなじ駄洒落、私も檀一雄の『暖流クッキング』のレビューを書くとき使っています、使ってますケドそれが何か。(若い子風に言って見ました)。
草野心平の何たるかを知ったのも、彼の出身地である福島に赴任していた時代にだった。
つい昨年の夏、檀一雄が晩年を過した能古島を訪れた。やはり無類の料理好きだったその男を偲んでプロパンガスボンベの取っ手に触れてみたりもした。そんな私には解説を読んでさえもじんわりときてしまうカンガイがやっぱりある。
ふみさんは、草野粥のエピソードや件の駄洒落以外には、2001年に亡くなられた団さんの死について、残念だとも何とも触れてはおられない。
そもそもこの文庫本の裏表紙にある著者略歴にも、「1924年生まれ」とは記されているが没年は書かれていない。物故作家の没後に発行された本として異例な書き方じゃないかと思う。
解説文も著者略歴も蘇州で客死したことはもちろん、亡くなれている事自体に一言も触れていない。なぜだろうか。だがそのことは不自然というよりも、私にはなんとなくだが解るような気がする。
『パイプのけむり』と団伊玖磨はまだまだ生き続けていると言いたいのではないだろうか。
この本の編集者にとって、解説者の団ふみさんにとって。
そして言うまでもないことだが、私というオヤジの中で、
『パイプのけむり』は「まだまだ」否、「まだまだまだ」生き続けている。 -
ふぐについての女との会話と、ステュードビーフを求めるくだりが特に面白く読めた。
ユーモアにあふれているからこそ、素敵な作品を作ってこられたのだろう。 -
2001年5月17日という日は、團伊玖磨が亡くなった日で、忘れようとしても忘れる事の出来ない日です。
しかも悔しいことに、親善中国旅行の途中に、蘇州で心不全のためといいますから、返す返すも残念でしかたありません。
私は、エッセイストとしてより作曲家としての彼を先に知り、好んでいました。オペラや交響曲や管弦楽の作品はそれほどではありませんが、室内楽曲の中で、フルート三重奏曲やピアノ組曲「3つのノヴェレッテ」とかフルートとピアノのためのソナタ、歌曲では「ジャン・コクトーに依る八つの詩(堀口大學訳)」などが特にお気に入りでした。
小さい頃に見た何かの雑誌のグラビアに、八丈島のお住まいでパイプを燻らしてニコニコ顔の彼が、自家栽培のバナナを背景に従えておられる姿にひどく感動して、バナナ好きの私は、将来きっとあの島に住むんだと決心したことを覚えています。
そののち何年もしてから、偶然に彼のエッセイを読むことになって、一遍に好きになってしまいました。
そういえば、私の好きな作曲家は、黛敏郎も林光も高橋悠治も武満徹も、皆すべて文章が達者なのは単に偶然でしょうか?
40歳から77歳まで37年間に及んで書き継がれて来た中から、この本は特に食に関するテーマで編集されていますが、その食いしん坊ぶり・健啖家風情が見事に鮮やかに映し出されていて、往年を忍ばせます。
この感想へのコメント
1.船橋胡同 (2009/07/05)
久しぶりに懐かしいお名前に出会えました。
しかも、薔薇★魑魅魍魎さんのノートで拝読すると、
あの頃が、より懐かしいです。あのエッセイを読んでると
明るい未来がありそうな気がしてました。今は昔です。
2.よおこ (2009/09/05)
薔薇★魑魅魍魎さん、こんにちは。
團氏の音楽を聴きたいとずっと思っているのですが、CDをネットで探してもどれを選んでよいかわからず困っています。薔薇★魑魅魍魎さんはたくさんの曲をお聴きのようでうらやましいです。
先日「12本のフルートのための夕鶴幻想曲」を聴く機会に恵まれ、日本的で美しい音楽にとても感激しました。
3.薔薇★魑魅魍魎 (2009/09/06)
よおこそ、よおこさん。ポップスは家に充満してますが、ジャズもロックもクラシックも私一人で追究してますが、音楽好きでも(本は別ですが)極力お金をかけずに、CDもほとんど買わず無料のネットか図書館か、近隣のレンタル店25店舗を探索という方法で徹底させてます。小学生から蒐集した膨大な音源は、たとえばカセットやMDはもう聞かないのに、なかなか捨てられません。「夕鶴」は確かにきれいな曲でしたね。 -
ダンディで軽妙洒脱な食紀行文…かと思いきや、食欲のダイナミズムに、読んでた電車内で吹き出す羽目に。実にチャーミングな本です。
-
ああ、うれしい。こうしてまた「パイプのけむり」が読めるなんて。小学館さま、ありがとう。そういえば!私に「パイプのけむり」を教えてくれたのは本の雑誌でしたよ。たしか、「パイプのけむり」の次のタイトルは何だ?!みたいな特集を読んで興味を覚えたのがはじまりだったのではなかったかな。単行本のタイトルは確かによくできていて、図書館の棚を見るのが楽しみだった。團伊玖磨は私の知らないことをたくさん知っていて、しかも自分で実際に経験して感じたことを自分自身の言葉で綴っていて、とてもとても好きでした。たとえば私におじいちゃんがいて、大好きなおじいちゃんのおしゃべりを聴いている感じ。