ヴィヨンの妻 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101006031

感想・レビュー・書評

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  • 太宰作品の中で一,二を争う面白さ(私の中で).
    収録された作品全て素晴らしいです.
    これも初版が古いものを所持していたので少し内容が異なるかもしれませんが,こちらを登録しました.

  • 大人になってから太宰を読んで思うのは、実は思うほどネガティブではなく、むしろいたるところにユーモアのセンスが感じられるところ。本作は晩年の短編集ですが、どれもほぼ主人公は作者自身を投影したと思しき駄目な男。でもその描写は、自虐的諧謔とでも言いましょうか、むしろ開き直りのようなものが感じられて、いっそ笑ってしまいたくなるような駄目さ。一周まわって、いっそポジティブ。太宰は大人になってから読んだほうがいいですね。

  • 2012.06.23 読了。
    「親友交歓」「トカトントン」「父」「母」「ヴィヨンの妻」「おさん」「家庭の幸福」「桜桃」の8編を収録した短編集。
    今まで読んだ太宰作品の中で一番面白かったかも。他の作品よりかは軽めな印象。家族、家庭のお話が中心。「ヴィヨンの妻」「トカトントン」「桜桃」が好きかな。「親友交歓」には作者の狙い通り(?)イライラさせられた。

    太宰作品は暗く、そして一筋の希望すらない。
    自分にはしっくりきそうで来ないんだよなぁ。

  • 太宰治は陰鬱な作品ばかりなのかと思ったら、意外にひょうきんでおもしろいものもあるのだなぁと思った。これは短編集だが、どの作品にも彼の病的な精神状態が克明に記されているが、やはりおもしろいものはおもしろい。まさにギリギリの精神状態で机に向かっていたことが伝わってくる。

  • そんな妻(女)には私はなれない。
    ただ、生きてればいいのよと最後の言葉。
    強い人だ。

  • 映画化きっかけに、久しぶりに読みました。
    中学生のときに読んだのと、人妻になって読むのとでは、そりゃ印象はちがいます。
    男の人は不幸なんだね。

  • 書店で、遠藤周作の書籍を探していたが見つからず、ふと「太宰は人間失格だけじゃない」というキャッチコピーにわかってるよと思いながらも、あまり読んでいなかったことにふと気付き、手にとってみることに。3つの印象的な文章に出会った。

    この人たちが、一等をとったって二等をとったって、世間はそれにはほとんど興味を感じないのに、それでも生命懸けで、ラストヘビーなんかやっているのです。別に、この駅伝競走によって、所謂文化国家を建設しようという理想を持っているわけでもないでしょうし、また、理想も何もないのに、それでも、おていさいから、そんな理想を口にして走って、以て世間の人たちにほめられようなどとも思っていないでしょう。また、将来大マラソン家になろうという野心もなく、どうせ田舎の駆けっくらで、タイムも何も問題にならん事は、よく知っているでしょうし、家へ帰っても、その家族の者たちに手柄話などする気もなく、かえってお父さんに叱られはせぬかと心配して、けれども、それでも走りたいのです。いのちがけで、やってみたいのです。誰にほめられなくてもいいんです。ただ、走ってみたいのです。無報酬の行為です。幼時の危ない木登りには、まだ柿の実を取って食おうという欲がありましたが、このいのちがけのマラソンには、それさえありません。ほとんど虚無の情勢だと思いました。それが、その時の私の空虚な気分にぴったりあってしまったのです。(P.60 トカトントン)

    →“その時の空虚な気分”を表現するために、これほどまでに流暢な文章を一気に書いたんだろうか、それとも何度も推敲を重ねて書きあげたのあろうか。この一端を見るだけでも、繊細な作家ということが自分の中で改めて感じた。もちろん、この文章に表現されている彼なりの「空虚」への視点も何かと乾いて世間を見ているような、人間も観察しているような気がして、独特さを感じずにはいられなかった。どことなく、違和感を感じないでもないが・・・



    私は、あなたに、いっそ思われていないほうが、あなたに嫌われ、憎まれていたほうが、かえって気持ちがさっぱりして助かるのです。私の事をそれほど思ってくださりながら、他の人を抱きしめているあなたの姿が、私を地獄につき落としてしまうのです。
    (P.164 おさん)

    →これはどうしようもない主人公の妻のセリフである。どこまで本当のことを書いているのかわからないが、こんな奥さんの気持ちをここまで考えることができるということが単純に驚きに感じる。この書籍の後半はほとんど家庭を顧みないしょうもない男が描写されているわけだが、果たして彼はこれを知りながらそんなことをしているのか。いっそ全く妻を考えずに、他の女を愛しているのか。どちらにしろ、恐ろしいことだと思うが、その中に一つ可能性を示す著者の幅が印象的。


    所謂「官僚の悪」の地軸は何か。所謂「官僚的」という気風の風洞は何か。私は、それをたどって行き、家庭のエゴイズム、とでもいうべき陰鬱な観念に突き当たり、そうして、とうとう、次のような、おそろしい結論を得たのである。曰く、家庭の幸福は諸悪の本。(P,188 家庭の幸福)

    →こう断言できる作家は世界にそうそう多くはいないのではないか。あまりに断言するあまり、その結論をうすうす感じながらもキョトンとしてしまった。たしかに、仕事やその他課外的な活動を優先するときには、家庭の一部と代替にしなければならない時や場面が来るであろう。自分だってそのように考える時はある。でも著者のように考えるのが怖いから、必死に仕事と家庭での両者における幸福を確立しようと考え、動き回る。多少、どちらかに「犠牲」(表現が過激だが・・・)が出たとしても、頭の中ではそれは起こっていないとなだめようとする気持ちが働いてしまう。でも著者は断言した。家庭の幸福が諸悪の本だと。彼の生涯が平凡だとは言いがたいのは確か。しかし、そう言えるのは一つの勇気であり、不思議な光を放つからこそ彼が今日まで読み継がれる所以なのかと思ってしまった。

    こう3つを断片的に取り上げただけだが、こう自身の所感を書けば書くほど太宰治という人間への魅力を勝手に高めてしまったのは自分だけではないであろう。もう一回、人間失格を読まずにはいられなくなった。

  • 私の中では読まず嫌いの太宰治。
    なぜってすぐ死にたがるんですもの。
    そして、しっかりクズなんですよね…。
    しかし、それでこそ太宰治!ですよね。

    彼の生き方とか人間性に魅力は感じないですが、
    面白い文章を書きますね。
    個人的には「おさん」が好き。

    どの作品も男の貧弱さと女のしなやかさの対比が素晴らしい。この時代にこの角度で性別を見れた人は少ないのではないでしょうか?

    さて、つぎはどの太宰作品を読もう。太宰を嫌いと言うにはまだまだ読まなければならないものがたくさんある。

  • 「人非人でいいじゃないの、私たちは生きていさえいればいいのよ」この言葉を残しておきながらも、太宰治は結局死んだところに面白さが詰まってると思う

  • 女のひたむきさを利用し、弱さを向け、甘えられる場所は私しかいないと錯覚させる夫の卑怯さ。
    それでも女というものは、尽くす喜びに負けてしまう。
    痛いほどわかる。
    愛してくれないあなたが私を愛するとき、卑屈な私を愛したわけがない。
    そう思ってひたむきに尽くす。そんな自分でいるときが1番女としての性を全うした気持ちになる。

  • 本来あるべき父像、夫像を知っておきながら、お金は無駄遣いし、妻がいつのにもかかわらず、外で遊んだりしてるのだろうか。芸術のためとは言うが、それはなぜだろうか。こういう夫のことを知りながら、彼に咎めるよりも、ただおおごと、もめることを避けることを優先する。
    最後のお話では、より夫婦の関係性の緊張感のようなものが良く描かれたいた。お互いの関係性の表面的な和を取り繕うと、お互いがお互いのことを察し合いような、思い込みような心情が描かれていた。これは、8つの短編でなっていくが、だんだんと後ろの話に向かうにつれて、悲壮感がだんだんと強くなっていくような感じがした。
    戦時中のひとびとの生活の苦労もこれらの話で垣間見ることができた。
    トカトントンに出てくる手紙のお送り主の心情は、なんだか理解できなくもない。一生懸命やっているところで、ふと気持ちが白けてしまう感じ。バカバカしくなってくる感じ。なんかわかるし、たまに自分にもやってくる。

  • トカトントン、家庭の幸福の上手さに驚いた

  •  青森旅行前の再読。新潮文庫の定番どころで、『人間失格』『斜陽』『津軽』に続く4冊目。最晩年の短篇集から感じたのは、深い絶望感というよりも、あるべき人生の枠を前にした焦燥感だった。

    <親友交歓>
     故郷のの自称旧友から酒をたかられる話。成功者や金持ちへのやっかみと、取るに足らない人間を心の中で見下す気持ちのせめぎ合い。ねちっこい話だけど、嫌いではない。

    <トカトントン>
     戦後、何かやる気を出そうとしたところで「トカトントン」とトンカチの音が聴こえてきて何もかも馬鹿馬鹿しくなってしまう男が作家に手紙を出して、作家から「気取った苦悩ですね」と返される話。
     手紙を出した男は、敗戦に伴う玉音放送とその時聞いた戦争熱に当てられた軍人の熱いトーク、そして近くから聞こえた「トカトントン」に、太平洋戦争というある種の熱狂の時代が終わった虚無感みたいなものに襲われる。こうしたパラダイムシフトは自分の今まで捧げてきた熱を否定されるような気もするのかもしれない。
     ただ、そこでまた新しいものを建ててゆくという行為が、虚無と映るか新たな希望に映るかは人による。
     作家の返信が虚無に陥った男への教訓めいた批判なのかなとは思うが、下手に考えてないでやることやったら?という突き放しなようにも思える。

    <ヴィヨンの妻>
     表題作。家庭のことは何もしない(できないという表現の方がしっくりくるかもしれない)夫と、その妻。妻は物語を通じて強くなってゆく。一方の夫は弱くなってゆく。
     「女には、幸福も不幸もない」「男には、不幸だけがある」今の時代に生きると男女の違いはどんどん見えにくくなっているけれど、家庭を守るという「行為」に生きる女と、仕事と家庭というものへの向き合い方に悩んだ男の違いのように見受けられた。
     家族を育むことに向いていないと思いながら家族を求めてしまうのは何故だろう。

    <おさん>
     『ヴィヨンの妻』以上に妻はからりとしている。そこには、夫との感情の隔たりが大きかったのだろう。よくまあ結婚したなという感じで、二人はしっかりと感情を交えることも無く終わる。

    <家庭の幸福>
     家庭の幸福は諸悪の本、と言いつつも、語り手の根底には家庭の幸福が全ての根源だという思いがあるような気もしてくる。
     家庭の幸福を批判する論拠として一人の市民を結果的に死に追いやった役人の例え話が使われているが、これは「役人で無くてもよさそうである。銀行員だって、医者だって」(p.188)と言っており、社会的な地位のある職種ばかり。プリンシプルとでも言おうか、公務員かくあるべしという特定の職種への職業倫理を引き合いに出して、ようやく批判される家庭の幸福というものは、否定のし難い倫理として語り手を束縛しているように思える。

    <桜桃>
     「子供より親が大事、と思いたい。子供のために、などと古風な道学者みたいな事を殊勝らしく考えてみても、何、子供よりも、その親のほうが弱いのだ。」(p.190)という、出だしから苦しい感情が向かってくる。
     前の短篇、「父」「母」「家庭の幸福」という言葉から、当時求められた家庭観のようなものが伝わってくる。

     今でこそ、「子はかすがい」「父性」「母性」といった言葉は力を徐々に失い、海外ではもはや夫婦という形でなくても子どもを授かることが当たり前になっている国すらある。それでも、日本においては生きるための重要な土台であることに変わりなないし、それだけに父になることや母になることは立派な人になることが求められる。もちろん、それが良いことだとか悪いことだとか論じたい訳ではない。古い家族の形が悪いことなら、それならどうすればいいのかなんてわからない。

     一度倫理感というものが自分に宿ったら、そこに殉じて生きようとも、これを破って生きようとも、心は休まることはないと思う。太宰を死に追いやったものはなんだろうと考えるときに、この短篇集は示唆的だし、この小説が持つ魔力は今なお衰えていないと思った。

  • 文豪と呼ばれる作家の書いた作品で初めて読んだものがこの太宰治のヴィヨンの妻だったと思う。最後に読んだのは数年前だけれど、凄く心に残っている、また読み返したいな。

  • 死の匂いが一層強く感じられます。
    今作を読んだ時の年齢によって
    感じ方は違うかもしれませんが、
    太宰治の描く比喩と仄暗い胸中の地獄が
    晒されるところが堪らなく好きです

  • 読みやすかったがwbcの後で大谷が翔平に変換されて変な感じがした。

  • 戦後発表の作品を収めた短編集。家庭に金を入れず飲んでまわる、いわゆる「太宰治」のイメージを設定にした作品が大半だが、ストーリーにはヴァラエティがある。


    印象的だったのは、

    小学校時代の親友だという農夫が押しかけてくる「親友交歓」

    終戦時に金づちの音を聞いて以来、金づちの音を聞くとなにごとに対してもやる気が失せてしまう「トカトントン」

    青森の旅館で見知った年増の女中を描いた「母」

    夫の借金を返すために居酒屋で働くうちに社会の実相を知ることになる「ヴィヨンの妻」

  • 大宰の女性独白体作品

  • 太宰もしくは本著を深く勉強しないと理解は厳しい?

    自由勝手な夫が最後は現実と向き合い今後の生き方を考慮したのは救い

  • トカトントンの世にも奇妙な感は忘れられなさそう。
    家庭を扱った作品のほとんどは物書きの旦那を持つ妻の視点で描かれていて、その旦那は太宰よろしく酒と女に溺れている。
    夫のいない家庭をここまで生々しい想像していながら入水自殺をしたのかと太宰への理解を改める一冊だと思う。
    太宰が戦後まで生きてたの知らなかった。

  • 改めて、読んだ。泣いた。

  • わたしには難しい感じ方ばかりだった
    もう一回読み直す

  • おもろかった

  • 久しぶりの太宰。「おさん」よかった。無残な夫に心底がっかりするおさんを描いた、その夫になぐさめられてしまっている。

  • 6/19が太宰治の桜桃忌だったので、桜桃を読んだ。

    子供より親が大事、と思いたい。
    桜桃では、親が子供より弱いと主張されている。
    確かに、色々と気苦労を背負い込み精神的な負担を持つため、親の方が弱ってしまうことはあると思った。
    私は子供を持ったことはないが、性格のために子供を持つと参ってしまうことが目に見える。

    この作品の登場人物の“父”は妻や子供を大切に思っているからこそ、彼女たちのことで気に病んでしまうのだろう。
    私が病むのも誰かを大切に思っているからなのだ。

  • 男は好き勝手生きている。しかし、彼からしたら生死は好き勝手選べずに、苦しんでいた。女も男は生きてさえいれば何しても受け入れるような忍耐強さに驚く。これも愛なのか、昔の風潮なのか、現代を生きる私には少しも理解できなかった。共感できるところは少なかったが、また一つの生き方としてみると面白かった。

  • ただ生きてさえいてくれればいい。全てを許す人。そんな人は私の周りにいるんだろうか。どうしようもない、という人たちがたくさん出てきて、それを読み進めるどうしようもない私。まだマシかもしれないというかまだマシやろうけどなんか、全て許し受け入れてくれる人がいる大谷より私の方が不幸な気がしてきた。あれなんか病んでんな。ははは。どうしようもなさを改善するとか救うって話じゃなくて嬉しいし悲しい話だった。

  • 面白い!!!!
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  • もしかしたら平凡なほど幸福かもしれない…
    何十年ぶりに読んだけど、子供には勧められないことを改めて確認できた。

  • 長編しか読んでなかったけど、短編も面白い。
    どの作品も本人の様で本人じゃないような、それぞれ似て非なる登場人物を描くのも面白い。

    女性が主人公の方が好みかな。
    心なしか罪悪感強めな印象。クズはクズを自覚した時にクズを超越したクズになる!!

    そして、女は強し。

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著者プロフィール

1909年〈明治42年〉6月19日-1948年〈昭和23年〉6月13日)は、日本の小説家。本名は津島 修治。1930年東京大学仏文科に入学、中退。
自殺未遂や薬物中毒を繰り返しながらも、戦前から戦後にかけて作品を次々に発表した。主な作品に「走れメロス」「お伽草子」「人間失格」がある。没落した華族の女性を主人公にした「斜陽」はベストセラーとなる。典型的な自己破滅型の私小説作家であった。1948年6月13日に愛人であった山崎富栄と玉川上水で入水自殺。

「2022年 『太宰治大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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