- Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101122038
作品紹介・あらすじ
昭和初期、ヒマラヤ征服の夢を秘め、限られた裕福な人々だけのものであった登山界に、社会人登山家としての道を開拓しながら日本アルプスの山々を、ひとり疾風のように踏破していった"単独行の加藤文太郎"。その強烈な意志と個性により、仕事においても独力で道を切り開き、高等小学校卒業の学歴で造船技師にまで昇格した加藤文太郎の、交錯する愛と孤独の青春を描く長編。
感想・レビュー・書評
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評伝なのか、ノンフィクションノベルなのか。
昭和初期に実在した登山家の一生を描いたもの。私には登山の趣味はないが、登山をモチーフにした本を読むのは大好き。その極限における自然との戦いがなんとも言えず心を打つものが多い。
主人公は誤解を受けることが多い人間性でかなり付き合いずらい感じもする。しかし登山に対するストイックな姿勢にはある意味感銘を受ける。
下巻ではどんな展開が待っているのか楽しみだ。 -
20代初め、未だ山に登っていない頃に憧れた単独行者の加藤文太郎さん。
『文ちゃん』と呼び、夫と先を争うように読んだ記憶がある。息子が読んだと聞いたので再読したのだが・・・。
読み始めてページを繰る手がいつか止まってしまった。
年齢を重ねると、自分が欲していたものが違ってきていた。文ちゃんがあまりに頑なな人に感じられたのだ。たぶん、若い頃は我が道を行けば良いと思えるような根拠のない自信があったのだろう。 -
不世出の登山家、単独行の加藤文太郎を主人公とした伝記的小説。
風評だけを聞くと、加藤文太郎はストイックな単独行の鬼のように思えるが、この小説で書かれている文太郎は、人並みに人肌を求め、しかして生来の不器用さから孤独を運命づけられていくように状況から単独行の代名詞へと祭り上げられ、文太郎自身も孤独に安らぎを持つようにすらなっていく。
ストイックな山男とは真逆の、繊細でいじましい健脚の男の物語が描かれているように思う。 -
パーティーを組んで登るのが常識とされていた山へ単独行で向かい、数々の山嶺を踏破した加藤文太郎のノンフィクション的小説。
なぜ山に登るのか、他の追随を許さない卓越した登山者である彼もまたその疑問を懐に抱えていた。答えは出ず、山に登り続けることでしか見付けられないのだと考える。
単独行を続けながらも人を恋しいと思い、けれどどうしても他者と打ち解けられない加藤の心の葛藤に人間味を感じる。
槍ヶ岳付近で星を見た時の叙述に、登山の魅力の一端が垣間見えた気がした。
「いま彼の見ている星は平面上の星ではなかった。星は彼を囲繞していた。星の中に彼はいた~~」 -
実在の人、加藤文太郎による前人未到の日本列島の縦断単独踏破までの上巻。
登山小説における、究極の状態における人間心理や素晴らしい景観、そして死と隣合わせの冒険という特有要素が満載で、大正、昭和における登山行の考え方や道具等細かに描かれており、興味深い。主人公、加藤文太郎の寡黙な人柄は、この小説によって山男の象徴的なものとして人々に記憶されたのではないかと思えるほどにインパクトがある。
プロローグで、加藤か遭難したことを語る人物が、単独で登山していれば間違いはないと述べたことがこの本の確実なラスト展開につながってしまうのを感じてストーリーにやや興味を失ってしまう。山行の合間に描かれる恋愛や会社でのエピソードは物語に起伏を持たせてくれるとともに加藤の人柄よく出ており、興味か深まります。 -
正直、前半の造船所研修時代の話しは私には退屈で最後まで読み切れないかもしれないと思いながら読み進めていた。でも、加藤が山に登り始めると俄然面白くなった。特に冬山に登る様子は、その寒さや孤独、厳しさがひしひしと伝わってくる。生きるもののいない真冬の山の奥で吹雪に耐えながら一人でビバークする加藤を想像すると、部屋の温度が下がったように背中が寒く感じられてくる。そこまで読むと加藤の登山スタイルや性格を伝えるには造船所研修時代の話が必要だったことがわかる。何者にも屈せず自分を信じて行動する加藤の人柄が当時の時代状況とともに語られている。
常に冷静で研究熱心で用意周到な加藤はなんだか昔読んだ大藪春彦のハードボイルドの主人公のように見えてきた。