- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101123080
感想・レビュー・書評
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著者自身がモデルと思われる人物が登場する短編小説や、エッセイに近いスタイルで書かれた文章など、8編が収録されています。
本書のタイトルにもなっている「母なるもの」は、明治以降も正統なカトリックの教義にしたがうことなく、日本的に変質してしまった信仰を保ちつづけたかくれキリシタンの里を訪ねるという内容の文章です。「小さな町にて」もこれとかさなるテーマをあつかった内容で、「日本人はどの宗教にも母親の姿を求める」という著者自身の考えが提示されています。また「巡礼」は、やはり著者自身を思わせる小説家の矢代が、イェルサレムの地で合理的な立場からキリスト教について語る神学者の西尾の話に納得できずにいるすがたがえがかれています。
「学生」は、戦後まもなくフランスに留学することになった、著者自身がモデルと思われる主人公が登場します。天正遣欧使節としてヨーロッパに派遣された四人の少年たちと自分たちを引きくらべつつ、その体験が語られています。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
天正の少年使節 最後は哀しい末路だったんだな
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キルケゴールに惹かれる私がこの人の文章に惹かれるのはほぼ必然なのかもと思う。孤高のキリスト者。
中高大とミッションスクールでキリスト教を身近なものとして触れてきながらもキリスト者にはなれなかった私が、祈る人々を見て覚える憧れ、感傷を、作中の主人公が抱く母への憧憬に重ねながら読んでいる。
私の中にはイエスはいないし、罪を犯し続けて生きていて、いつしかそれを省みることすら億劫になりつつある。そのことを悲しいと思うことはまだできているけれど。 -
母なるもの
小さな町にて
学生
ガリラヤの春
巡礼
召使たち
犀鳥
指 -
作者の信仰感を垣間見るような短編集。多くの作品で過去と現在を対比させながら展開する構成を採っており好ましく感じた。自分の母親を想わずにはいられない「母なるもの」、執筆当時でまだキリスト教が侮蔑されていたという驚くべき事実の「小さな町にて」、4人の留学生の紀行に興味を覚える「学生」、キリストの最後の地を訪れるまさに聖地巡礼「ガリラヤの春」、矢代という主人公に作者のある意味歪んだ考えを語らせている「巡礼」、幕府に屈して転ぶ伝道師とその召使いの強い宗教意識と過酷な運命「召使いたち」、小鳥と宗教の不思議な因縁「犀鳥」、ローマ法王謁見の機会に考える、見ないでも信ずることを諭す「指」。
キリスト教のみならず宗教観について考えさせられる機会となった。
安っぽい、下手ななど乱暴な意見が気になったが、そこは本音で書かれている内容なのかと理解しておいた。 -
日本のカトリックをテーマにした短編集。いずれも作者自身がモデルとしか思えない人物が出てくるので、私小説風な話ばかりである。『沈黙』などに代表される切支丹時代を舞台にした長編とかぶるテーマが多く、とても興味深く読めた。しかし巻末の解説が、仏教の経典を引用しつつ遠まわしにカトリックを非難する場違いとしか思えない内容で、ちょっと残念な気分になった。
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自身と母との関係、自身とキリスト教との関係、そして隠れ切支丹について描かれている。
隠れ切支丹は、今まで過去の一定の時期にのみ存在していたものだと思っていた。隠れとして独自に信仰が進化し、その後宣教師からの改宗を拒み苦悩した人達がいたという歴史を知らなかったので、考えさせらえれるものがあった。
また宣教師達の苦悩も知らなかったので、これを機に色々読んでみたいと思う。 -
母の記憶。悲しい目。犀鳥。遠藤文学の要素多数。