- Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101126104
感想・レビュー・書評
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初大江氏。なんというか”人権の人”ってイメージだったのでかなり身も蓋もない内容にびっくり。でも凄みを感じた。あとがきまで興味深い。
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自分にもし子供が産まれて、もし障害を抱えていたら…。男版のマタニティーブルーと言えるだろうか、女に逃げ酒に溺れ現実逃避…。けれど主人公が父として自覚を持ち子供に向き合おうとしていく過程が巧く書かれている。
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大江作品二作目。鳥(バード)を大江自身をモデルとして主人公に仕立てている私小説とは異なる小説。バードが父親として、しかも障害児の父親と宣告され、それを受け入れるまでの過程が自身の内面を克明に描写して書かれている。新しい人よめざめよ、の大江とは打って変わって若さが迸る文体。この作品から新しい〜までの大江と家族
変遷を思うと、深い感銘を覚える。内容は読むに耐えない程の激しさを内包するが、生への真剣な面持ちに感動する。自らも27歳4ヶ月をここからスタートし、新しい人よ~に至ることができるかもしれない、という励ましを得た。 -
「しかし、この現実生活を生きるということは、結局、正統的に生きるべく強制されることのようです。欺瞞の罠におちこむつもりでいても、いつのまにか、それを拒むほかなくなってしまう、そういう風ですね」
鳥のように欺瞞から欺瞞へと飛び続けた果てに辿り着いた答え。≪忍耐≫の二文字が重くのしかかる。 -
大江氏の傑作。バードと脳に障害を抱える子どものタッチは最高。
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いろいろと考えさせられる本・障がい児の親であることを自ら認める事ができるまでの体験・・障がい児にかかわらない作家では書けない内容・・・障がいに対する社会の目・・・・誰にでもある心の襞・・・・・結局は自分のありのままを認めなければ辛いだけだ!
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1964年発表、大江健三郎著。塾講師をしている27歳の青年バードに脳瘤のある子供が生まれた。彼は愛人火見子の元へ逃げ、秘密裏に子供を殺してほしいと病院側に頼み込む。葛藤した彼は最終的に子供を受け入れることを決意する。
どこか寓話的な小説だった(おそらく医者の露骨な態度と赤いスポーツカーがその雰囲気を醸し出しているのだろう)。個人的な体験を私小説ではなく物語として昇華したところがすばらしい。これこそまさに「小説」だと思う。
ラストのアスタリスク以降は不要だと感じた。なぜならこの話は「バードが障害児を受け入れる」ことがテーマだからだ。安直なメッセージを付け加えて分かりやすい美談として丸め込むのは若い小説家が陥りやすい失敗だろう(娯楽用の小説ならそれでいいのだろうが)。ただ後書きを読むと、著者本人としてはこうせざるを得なかったというのは理解できる。
しかし厳しいことを言えば、もし仮にラストシーンで親戚連中に「そんな障害児など一族の汚点だ。今後お前らとはかかわりたくない」というようなことを言われたらどうだろうか(現代の日本ではあり得ないとしても、世界を見渡せば現実にそのような境遇の人がいるかもしれないのだ)。それでもバードが父親として障害児を育てていくと宣言できたなら、ようやく真の意味で「受け入れた」と言えるのではないだろうか。 -
「恥と恐怖心を秤にかけている」というような表現が新鮮であった。そうやって動けなくなり自暴自棄になっていくところの心理をすごくよく描いているように思う。
「いったいどのようなおれ自身をまもりぬくべく試みたのか? と鳥は考え、そして不意に愕然としたのだった。ゼロだ」という転機。自分にも訪れないかしらと緩やかに待つ。 -
再読。久しぶりに読み返して印象が覆された。瑞々しく光に満ちた小説だと思う。大江はこれを書かねば乗り越えられなかったのだろう。苦しんで、落ちるところまで落としこまなければ這い上がれないことがある。だからこそアスタリスク以降は必然。個人的な体験に光を注いでなにが悪い。それぞれが個人的な体験を抱えて生きている。死んでしまいたくなる夜は時折襲ってくるけれど、けっして死を美化してはならない。どんなに息苦しくても息をして生きていかねばならない、自分自身の誇りを守るために。鳥(バード)はぎりぎり間に合った。
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読み終えて、やっぱり古臭く感じてしまったのは私だけではないはず。そこが一番面白かったりするのだが。