幽霊―或る幼年と青春の物語 (新潮文庫)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101131023

感想・レビュー・書評

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  • 私の青春時代という時に何度も読み返した作品。
    久しぶりに読みたくなったので購入して読んでみた。
    今読むとどう感じるのだろうかと少し危惧するような気持ちもあったが、とても面白く読むことができた。
    文章が美しく叙情性あふれていて、ストーリーのようなものはほとんど無いのだが文章を読むこと自体を楽しんで読んでいける。
    青春期の心の揺らぎや感性の鋭敏さが描かれていて、青春時代の私がこのあたりに共感して読んでいたことが思い出された。

  • 自伝的小説。幼少期をありのまま、皮膚感覚が蘇るくらいねっとり描く。姉、母、父、その喪失。忘却に沈んだ記憶をたぐる。ばあや、叔父、従兄。自分と境遇は違うけれど、なぜか懐かしさを感じる。その具体性が魅力。遊び、会話、植物、昆虫、心情の変化。おかゆに残る梅干しの赤。そこに読むものを引っ張っていく力がある。序盤が特に良い。家族を失い、病気を患い、ばあやとも死別。戦争。糸が切れた凧のように山を歩き、自然の中で自分と向き合う。心理学的に研究できそうな深みがある。後半は思春期に入り、少女への渇望と羞恥心の狭間で揺れる。

  • 物語後半、主人公は少年期の記憶を思い出す。そのとき、読者も自分自身の少年期の記憶を思い出す、そんな美しい体験をもたらす、美しい小説です。

  • 再読。人はなぜ追憶を語るのだろうか。冒頭の一文から心が奮える。忘れられた幼年期の記憶がアルプス連峰の自然のざわめきと荘厳な沈黙の元に、ふと耳にする牧神の午後の旋律のなかに幽かに静かに甦る。耳を澄まして、肌に感じて、とぎ澄まされた精神の源に神話となって還元される。名著。

  • “ぼく”というある人間の心の中にある神話を語る、追憶の物語。彼の語る言葉は彼自身のものであって、決して読み手のものにはならない。繰り広げられるイメージも漂う匂いも手触りも、彼がありったけの言葉を以て伝えようとしているもの全て、似通っている所はあるとしても決して読み手の中の神話とは重なり得ない。けれど人が自分の記憶の奥底に沈む“何か”を追い求めようとするその衝動自体は、きっと誰しもが見覚えのある感情であるはずだ。大抵の人はその衝動を形として認識することはないし、その”何か”にたどり着く前に忘れ去ってしまう。しかし”ぼく”は手を緩めることなくその何かを追い求めついには手にするに至る。その全過程が、ここには執拗なまでに詳細に言語化されて刻まれている。
    人の心を過去の記憶へと突き動かす感情の形を初めて知ったと思えた。この世のものは、名前を見つけて初めて人の眼前に立ち現れる。
    個人の心の中の神話、それは決して過ぎ去った幸福の絵図などではない。それはただなぜか、その陰影のひとつひとつ、手触り、温度のようなもの全てをそのままどこかに刻印しておかなければと苦しい程に思い詰めずにはいられない、そういう言いようもない“何か”だ。人がその姿を捉えようともがく時、名前を付けることは出来ずとも、せめてその輪郭を何かに焼き付けようとして生まれる物語がこの世には多くある。そういうものを書く人、求める人の無意識の意識の流れを、この物語を通して初めて知ることができたと思えた。

  • 以下引用。

     人はなぜ追憶を語るのだろうか。
     どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。その神話は次第にうすれ、やがて時間の深みのなかに姿を失うように見える。――だが、あのおぼろな昔に人の心にしのびこみ、そっと爪跡を残していった事柄を、人は知らず知らず、くる年もくる年も反芻しつづけているものらしい。おすした所作は死ぬまでいつまでも続いてゆくことだろう。それにしても、人はそんな反芻を無意識につづけながら、なぜかふっと目ざめるときがある。わけもなく桑の葉に穴をあけている蚕が、自分の咀嚼するかすかな音に気づいて、不安げに首をもたげてみるようなものだ。そんなとき、蚕はどんな気持がするのだろうか。(冒頭)

     人は幼年期を、ごく単純なあどけない世界と考えがちだが、それは我々が逃れられぬ忘却という作用のためにほかならない。しかし、忘れるということの意味を、人は本当に考えてみたことがあるだろうか。なにか意味があって、人はそれらの心情を忘れさるのではなかろうか。(p.16)

     人がはじめて突きぬけた孤独を覚え、自分自身に尋ねようとする時期にぼくは達していた。無限にひろがる〈自然〉にとりかこまれながら、陳腐な、だが永久にけっして尽きることのない問を自分に課した。このぼくは一体どこから生まれてきたのだろう?(p.48)

     そのうちに、すぐと姉が死んだ。姉が並はずれて可愛らしい子であったことを、ぼくはもう書いたであろうか。  たとえば、生きるために生まれてくるのではなく、むしろ死ぬためにのみ生まれてくる人もいるように思われる。しかもそういう〈死〉に選ばれた人にかぎって、ことさらやさしく、ことさら繊細に造られているもののようだ。さながら〈死〉が〈生〉に対して自らの優位を示そうとするかのように。(p.53)

  • 辻邦生が、その柔らかい瑞々しい文体、文章に嫉妬した様に、やはり静かなその世界は彼(北杜夫)の最高傑作かもしれない。

  • 9月、図書館。

    幻想としての死の美しさとか
    暗闇の中でそっと息をひそめる若い魂の揺らぎとか震えとか
    自然に対する息苦しいくらいの情熱と恍惚とか

    1ページ1ページの観念の波に溺れそうになる…

    没入して読んで、
    自分の輪郭さえ曖昧になった。融けてしまう。
    物語のほうから自分のほうに手が伸ばされて、
    頬を包まれたり首すじの血管をそっと押されたりするような感覚。

  • 無駄な文章が一つもない
    <br>こういうのが書けたら幸せだろうなと
    <br>とても面白いです

  • 著者の自伝的回想。

著者プロフィール

北杜夫
一九二七(昭和二)年、東京生まれ。父は歌人・斎藤茂吉。五二年、東北大学医学部卒業。神経科専攻。医学博士。六〇年、『どくとるマンボウ航海記』が大ベストセラーとなりシリーズ化。同年『夜と霧の隅で』で第四三回芥川賞受賞。その他の著書に『幽霊』『楡家の人びと』『輝ける碧き空の下で』『さびしい王様』『青年茂吉』など多数。『北杜夫全集』全一五巻がある。二〇一一(平成二三)年没。

「2023年 『どくとるマンボウ航海記 増補新版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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