- Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101139067
感想・レビュー・書評
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穏やかな、そして、心より優しい暮らしを送る、庄野のおそらく最晩年のエッセイ。※刊行は2005年、文庫化は2009年。
裏表紙によれば、庄野夫婦のおだやかライフエッセイの第10作だそう。
実は私は、庄野さんの本はエッセイの要素のあるものしか読んでいない。
庄野の友人である、小沼丹を長年愛好してきたわたしには、まるで自分の友人のような距離感で見る、庄野さんのエッセイの、飾らない世界が住み心地が良いのだろう。
三田文学ー!と叫び出したいような要素は薄いが、時折、ほのかにその匂いがして嬉しい。←実際、別に慶應とも関係ない…。
ガンビア滞在記、明夫と良二、に続いて、この本を読み、既に子供たちが50代に達し、長女には孫もいる(庄野夫妻の曾孫)という事実に驚かされた。
毎日、夫婦でのんびり暮らし、ハーモニカで楽しむ季節の歌、庭の鳥や花、優しい近所の人たち、時折様子がわかる子や孫たちの生活、年に二度の大阪行きなど。
豊かな心を持つ暮らしってこんなかんじかなあ。
私もよく手紙をやりとりする友人に、庭の鳥の餌やりやら庭木の花のことを書くと、庄野潤三じゃん、と言われていたけど、本当にそんな世界。
雑誌連載なためか、どうしても同じ説明を毎度読む羽目になるが、そこはそれ、まあ丁寧な暮らしってことで。
庄野氏の謙虚な人柄が印象深い。
この世に悪い人なんかいないんじゃないかと思ってしまう。
お礼状を孫や子からもらうとすぐ、いい手紙をくれたと喜ぶ。
近所の藤城さんは有名な巨人の投手→コーチらしいけど、飾らないお付き合い。
盟友・阪田寛夫(詩人、サッちゃんとかの童謡の作詞者でもある)や、故郷の人々との絆も強い。
庄野潤三の次兄が童謡作家であること、父が帝塚山の創始者であるのも初めて知った。
その流れからか、母校出身の宝塚、和央ようかを贔屓しているのも楽しい。
私も和央ようか&花總まり時代が好きですよ!!
第5章で、近所の山田さんから新潟の蟹をもらって食べ、妻にお礼の電話をするように言い、さらに
p89「庄野はカニをつまんでお酒を飲み、泣いております」といってくれと妻に頼む。
がなんかじわじわ来る。
巻末の長女による文によれば、2009年7月時点でそれなりの被介護ケア者になっているようだ。
wikiによればその2ヶ月後に庄野は亡くなっている。
(最後に。こういう世代の人だから仕方ないけど、台所仕事は全部、妻や長女がやるし、妻はいつも庄野に敬語なんだよなーー。そこだけ小さなストレスが残った。)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
金時のお夏によるあとがきに涙する。
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こんなふうに穏やかに豊かに過ごせたらもう本当にしあわせ。
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華々しくはなくても、まずは恙無く晩年を迎えた夫婦。子供たちの家族も近くに住み、さりげないが満ち足りた日々の行き来がある。何気ない会話、手紙、届け物、庭を訪れる鳥、夕食、恒例の墓参の一つ一つが愛おしく感じられる様子が、何の衒いもなくシンプルな感想で語られている。ただ淡々とした営みが、どことなく覚束なくなった筆致でつづられていくだけの日記のようだが・・これで原稿料を稼げるのが作家というものか、と納得。