(関東の様子をみれば、わかるはずではないか)
と、勘兵衛はおもうのである。家康は自分の老いにあせっている。子孫のために太閤の子孫を根絶やしにしておくということを当然ながら考えている。その程度の家康の意中は、大坂城の楼上に住んでいても、すこし頭を冷やし、子への盲愛という囚われ心を去って考えてみればわかるはずのことではないか。
(それがわからない)
ということは、勘兵衛にとって、新鮮なおどろきであった。自分自身の運命について、この程度にごく明白な、理解しやすい、ごくあたりまえの思考の条件が、とても理解できないほどの愚人が世の中に存在しているということにおどろいたのである。それが、この城にいる。しかも権力の頂点にいる。
(淀殿は、お頭がたしかか)
とおもうのだが、べつにあほうであるというわさはきいたことがない。要するに愚かというのは智能の鋭鈍ではなく、囚われているかどうかだということを勘兵衛は思った。淀殿は一個の恐怖体質である。
彼女にあっては、あらゆる事象はすべて自分のなかに固定してしまっている恐怖を通してしか見ることができない。秀頼のためのみを考えすぎ、それにとらわれ、それを通してしか事象を見たり判断したり物事を決めたりすることができない。
「ここはおとなしく退去させておしまいになるのが上分別と申すものでしょう」
というと、修理はうなずき、
「わしもそうおもっていた」
と、勘兵衛の案の尻馬に乗った。修理のくせであった。勘兵衛がいくら妙案を出しても、
――ああ、そのことはわしも気づいていた。
と、いう。勘兵衛の案を採用してくれるのはありがたいが、返事にはかならずそのひとせりふがつく。すこし構えている。勘兵衛のみるところ、古往今来のよき大将とは、配下に意見を出させると、そのことを大将みずから考えてはいても、
「何兵衛、よう気づいた」
と大ほめにほめるのである。であればこそ配下の者どもは智恵を絞って策を考え、それを上申することをよろこぶ。修理のようでは、よき幕僚はできまいと勘兵衛はひそかにおもったが、しかし勘兵衛はみずから構想することに芸術的なまでの衝動とよろこびを感じているため、修理がどうであろうと、思いついたことは今後もすべて修理に話すつもりであった。