- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101154244
作品紹介・あらすじ
長崎・丸山遊里の芸者愛八が初めて本当の恋をしたのは、長崎学の確立を目指す研究者・古賀十二郎だった。「な、おいと一緒に、長崎の古か歌ば探して歩かんね」。古賀の破産を契機に長崎の古い歌を求めて苦難の道を歩み始める二人と、忘れられた名曲「長崎ぶらぶら節」との出会い。そして、父親のいない貧しい少女・お雪をはじめ人々に捧げた愛八の無償の愛を描いた、第122回直木賞受賞作。
感想・レビュー・書評
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122回の直木賞。東野さんの「白夜行」をかなり引き離しての受賞作だったようです。
なかにし礼さんといえば、ヒット作連発の作詞家。北酒場、時には娼婦のように、もろもろ。
TOKIOのJRの歌もそうだっかな。
民謡「長崎ぶらぶら節」を世の中に広めることになった女性の一代。昭和初期、レコード化され、長崎を代表する民謡となった。
この民謡が全国区となっていく様子に衝撃を受けたなかにしさんが、人気芸者と長崎の史学者の純愛に重ねながら、じっくりと書かれています。
芸者愛八は、10歳で長崎丸山に奉公をはじめた苦労人。見栄えが良くない自分は、芸を磨くと、三味線と歌ときっぷの良さで売れっ子であり続けた。
自分も貧しいが、人の為の苦労は買ってでる。
そんな彼女が、初めて好きになった史学者と共に、集めた長崎の歌の中、このぶらぶら節がビクターに請われてレコードとなる。
与え続けたような女性の生涯でした。
パライソから来たようなという表現だったと思うけど、パライソにきっと戻ったね。 -
愛八さんの生き様に感動して、読み終わったら泣けてきた。
古賀先生は本当は愛八さんのことをどう考えていたのだろう。女好きと言われていた古賀先生が愛八さんには手をつけなかったのは、大事に想っていたからだと思いたい。
後輩の芸妓さんやお雪チを大事に想い続ける優しさ、強さ。花月の富美江への義理堅さ。それがたまに仇となって自分自身を追い詰めてしまうのだけど、愛八さんの生き方はどっしりとして、憧れもする。
長崎は好きで何回も行ったけど、愛八さんの事は知らなかったから…改めて行きたくなった。
読んで良かった。 -
10年くらい前に読んで感動したのですが、あまり内容覚えていなかったので再び感動してしまいました。記憶力悪いと何回も楽しめてとってもラッキー。
実際に居た愛八(あげはち)という芸者が、実際に吹き込んだ「長崎ぶらぶら節」にイマジネーションを刺激されて書いた作品です。
この愛八さんが貧しい村から買われていく下りから始まるので、さぞ哀愁を帯びた悲しい物語なのだろうと警戒して読んでいましたが、生き生きと飛び跳ねるように生きている愛八さんの姿と、初めての切ない恋に身を焦がしながらも慎ましい姿が溶け合って、情深い女性像が立体的に浮かび上がります。
基本美人ではありませんが、歌と三味線の腕と、愛嬌と気風の良さで看板芸者にのし上がって、晩年まで人気が衰えないという伝説の芸者なので収入もそれなりに良いはず。ですが、子供が物を売っている所を見ると見境なく全部買い上げ、相撲の新弟子を見かけると腹いっぱい物を食べさせるので、いつでも財布は素寒貧。それでも心はいつも燃え上がっているような魅力あふれる女性ですが、恋だけはした事がありませんでした。
そんな時に降って湧いた憧れの男性からの「長崎の古い歌を探すのを手伝ってくれ」という言葉は愛の囁きのように聞こえた事でしょう。この男なんて罪深い。
彼らが取りつかれたように歌を探す姿は、まるで逢引のようでありながら中身はこれ以上無い位にストイックで、内に熱い愛を秘めた愛八の姿には胸が締め付けられます。もうちょっと思いをかなえてあげればと思うのですが、この男ときたら、女ったらしのはずなのに、長崎史の研究についてだけはマジ本気。このいけず。
この本は感動とは言いながらも悲しみや、同情で泣くのではなくて、その気高い生き方に涙が止まらなくなる本です。
是非是非「長崎ぶらぶら節」を聴きながら読んでください。臨場感バツグンです。 -
昔タイトルに惹かれて中古で買って、部屋に積んでた本。ふと目に留まったので読み始めた。
舞台は第一次大戦後の長崎。器量は良くないが芸の腕前と心意気が抜群の女主人公愛八を中心に物語が進む。
作品中の場面場面で、愛八が、古賀十二郎が、キリシタンの人々が、軍人が、自分の想いを歌に乗せて歌う。現代ではあまり見られなくなった文化だが、きっとただ言葉にするよりも何か神秘的なものがあるんじゃないかと思う。不勉強で恥ずかしいが、作者のなかにし礼氏が著名な作詞家であることをあとがきで知り、この素敵な言葉遣いもさもありなんと納得した。
自分の人生を自分のためにまっすぐに使っている愛八が素敵だった。また愛八の周りの人々とのウェットな関係になにか懐かしさというか憧れを感じた。愛八と古賀の関係、大人の恋愛って感じで沁みた・・・
なんどもホロリとくるいい小説でした。
作中のコテコテの長崎弁もあいまって、異世界へのトリップ感を非常に味わえます。異世界でホッとしたい方にお勧めです。
「おうちの歌は位が高かった。欲も得もスパッと捨てきったような潔さがあった。生きながらすでに死んでいるような軽やかさだ。それでいて投げやりでなく、冷たくなく、血の通った温かさと真面目さ。それに洒落っ気があった。品とはそういうもんたい。」 -
こういう小説の形もあるんだ。
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122回 1999年(平成11)下直木賞受賞作。明治の長崎を舞台とする芸者愛八の生涯を描いた時代小説。たくましく、素朴に、純愛を通す主人公の生き様に感動した。おすすめ。『時には娼婦のように』の作詞家が書いた小説なので、エロものかとくくって読んで見たがとんでもなかった。
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読後感が清清しく、ずっと余韻に浸っていたい。
大正から昭和初期の長崎を舞台に、一人の芸妓の生き様を描いた本作。
長崎学の研究者である古賀とともに、古い歌を集めて回る、年増の芸妓である愛八。彼女が3年間、古賀とともにどっぷりと古い歌の世界に浸っているとき、自分の生い立ちを知る。
哀しみの風に吹かれているときに、不意に降りてきた、自分だけの音の世界。そして儚くも美しい恋。自分と同じく天涯孤独の舞妓への無償の愛。
ドラマティックな展開はないけれど、大人の物語がここにある。
自分自身、覚悟を持って、選んだ世界にいるのだろうかと自問自答をしつつ、最後のページを閉じるのであった。 -
人と、人の営みの、生と死。その移り変わりを考えさせられる作品でした。
「この先会うことがあろうとなかろうと、もうなにも起きないしなにも始まらない。人生がいよいよ終わりに向かって走り出したような虚脱感に愛八はつつまれた。」
物語では、長崎ぶらぶら節を契機に、愛八の人生の最後の灯が燃えることになるのだが、この文章は自分の心に響いた。
「自分の人生、この先もう何も起きないし、何も始まらない」と悟ることの、絶望感を想像して恐ろしくなった。
そういう意味で、自分はまだ若く、先があり、希望に満ちている、そのことの有り難さを感じた。もちろん、いつ何時、未来がどうなるかは分からないけれども。 -
大好きな街・長崎を舞台にした小説で、
その街を歩き、会話する擬似体験を。
花街・円山の風情もよく、
実際youtubeで、「長崎ぶらぶら節」を聞いたりするとなお。
花月もでてきます。また長崎いきたーい!
なかにし礼さん、昨年、亡くなられましたね。。。
天国とか。
天国とか。