天北原野(下) (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (448ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101162133

感想・レビュー・書評

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  • 1974(昭和49)年から1976(昭和51)年に雑誌連載として登場した作品だという。1976(昭和51)年に単行本となった。後に文庫本にもなっていて、幾つかの版が出たと見受けられるが、今般入手したモノの初版は1985(昭和60)年ということだ。
    上巻では1923(大正12)年頃から1938(昭和13)年頃という背景だ。下巻では上巻の最後の辺りに在った場面の数ヶ月後から物語が起こり、1945(昭和20)年の戦争の終結の頃迄、最終盤辺りは戦後に相当する昭和22年頃という時代が背景だ。上下巻を通じて、概ね四半世紀の期間、その時代を生きた作中人物達の人生が描かれる物語ということになる。
    下巻の物語は樺太での孝介とあき子の夫婦、須田原家の人達という物語が続く。
    孝介、貴乃、完治の「過去」と、それを知らずに居たあき子ということになる。孝介はあき子との関係に悩み、あき子も孝介との関係に悩むことになる。そしてあき子の不倫という問題が生じる。
    やがて時代は動く。完治が、そして孝介が各々召集されて兵役に就くという展開にもなる。各々が樺太に戻るが、戦争の時代が進んでいる。やがてソ連軍の侵入という事態へ向かって行く。
    揺れ動く時代の中で、作中の池上家や須田原家の人達は如何いうような経過を辿って行くのかというのが本作の物語ということになる。
    本作の物語は適宜視点人物が切り替わりながら、各作中人物の身の上に起こること、時代の動きが描かれるのだが、自然や街等の描写の丁寧さと精緻さということも手伝って、何か「美しい映像の作品」に触れているような気もする小説になっていると思う。具体的な誰かを思い浮かべるというのでもないのだが、作中人物達の風貌や体格の雰囲気が何となく浮かび、言葉を発した場面での話し口調やその声音が聞こえてくるかのようで、描かれている時代の自然や街の中で動き廻る様が凄く強く伝わる感だった。
    篤実な生き方を目指し、出逢った網元に見込まれて後継者となり、事業家として成功し、学校への寄贈というような篤志家という活動までする他方、胸に秘めた熱い想いが揺れている中で色々と悩みながら歩む孝介が在る。
    独特な価値観で正直に生きようとする腕の良い職人の父の薫陶を受けて育った貴乃は、孝介への想いが断ち切れないということも在るが、忍従というような中で子ども達の成長を見守りながら暮らすような感である。
    こういう二人に対し、完治や伊之助は「儲かれば勝ち」とか「自分が良ければ他は知らん」というようなことを地で行くような様子だ。完治は策謀を巡らせるようなことまでして、誰もが羨むような女性を妻に迎えていながら、妾も囲っている。
    そして「先生」こと孝介を愛したい、孝介に愛されたいという熱いモノを胸に、複雑な心境の孝介が見せる「距離感」に当惑し、やがて不倫に走ってしまう、そういう情況の中で揺れる想いを抱えるあき子が在る。或る意味で、本作は「このあき子を囲む人々の物語」というような色彩も帯びているかもしれない。
    作中人物達は、樺太で色々なモノを得て、それを時代の動きの中で喪う。そういう思うようにならない様々な事柄と向き合って生きて行く人生というのが、本作以前に読んだ『泥流地帯』、『続 泥流地帯』にも通じるかもしれない。
    作中人物達の様々な事柄が揺れ動く時代を背景にする物語が非常に好いのだが、頁を繰る手が停まらない、また「停められない」という様相を呈しながら読んだというにには、作中世界の「場所」という要素も在ることを挙げておかなければならない。「稚内」や「樺太」なのである。自身が住む街や、縁在って何度も訪ねた地域ということになる。勿論、作中の時代の何十年も後ではあるが。
    作中の稚内に関しては、「北浜通」、「山下通」というような住所、郵便局の場所、何となくモデルが判るような廉売と称する商店、寺、銭湯等と、やや遠い時代の街で動き廻る作中人物達の様が凄く生き生きして見える。
    作中の樺太の豊原に関しては、鉄道駅、郵便局と建物こそ作中の時代と変わっていても、最近になっても同じ用途の施設が在る様子、「神社通」というような場所、現在は公園になっている嘗ての大きな神社、街の少し北側の「ウラジミロフカ」というような、ディーテールが丁寧に描き込まれている。大泊に関しては、北海道と樺太とを結ぶ船が発着する港の様子や、繁華であったという「栄町」というような場所への言及が在る。
    作中の樺太に関しては、完治が手掛ける造材業、恐らく林業と言う方が判り易いのであろうが、そうした仕事や携わる人達の様子、孝介が関わった鰊漁やその周辺、または収益安定化を図って手掛けた他の漁業の情況、街の料亭というようなサービス関係と「当時の社会や経済」というようなことも伝わる。更に寒さや吹雪や、美しい自然というような事柄も織り込まれる。
    これらに加え、稚内や樺太と、兵役に就いた完治が目指し、一家の人達が面会に訪ねることになる旭川、貴乃の兄や老後の父が居る小樽、函館やら東京という「他地域とを結んでいた交通」に関する話題が、さり気なく詳しく、「作中世界の時代の空気感」というようなモノが溢れている。
    交通に関連する話題で感じた「作中世界の時代の空気感」について例示しておく。東京へ旅行する孝介が、好奇心旺盛な貴乃の娘に尋ねられ、子どもにモノを伝える経験を有する元代用教員として真面目に教える場面が在る。汽車で豊原から大泊へ出た後、船で稚内へ渡り、寝たままで旅が出来る寝台車という客車に乗って函館まで向かい、船で青森へ渡り、また寝台車に乗って東京の上野駅を目指す。「寝台車に2泊しながら、連絡船に2回乗る」というのが、昭和の初め頃の東京・樺太間の移動というモノだ。稚内は「乗換の場所」だった。更に「東京はどんな所?」という問に「大きな建物が沢山在る」と応じると、「豊原郵便局と同じ位?あれより大きい?」と問が重ねられる。「同じ位の建物も、それより大きい建物も在る」と応じる。昭和の初め頃には、3階建てや5階建てで、少し大きな通の交差点辺りのやや広い一画を占めるコンクリートや石の建物は、様々な街で見受けられたということになる。また「旭川以北」では樺太の豊原が「最大級の街」であった時期が終戦の頃まで続いていた。(或いは“現在”でも、サハリンのユジノサハリンスクが、旭川以北で最初に姿を現す大きな街という様子かもしれない。)
    ハッキリ言えば、本作は既に随分と以前―単行本が登場した時点で47年も前―の作品だが、小説のようなモノは「出遭って読んだ時に“最新作”」ということになるのだと思う。本作に出遭えて善かったと思う。
    本作が綴られた時代の前後は、作中の孝介や完治のように、樺太の主要産業で指導的な役割を担った人達、孝介や完治の世代や少し若い様々な仕事を経験している人達が未だ多数存命で、戦後に住んだ各地域に在って各々の分野で活躍中でもあった時代だと思われる。多分、色々な方の御話しも聴きながら、それを参考に綴られた部分も多く在る作品だとも思う。そういう意味では貴重かもしれない。
    広く御薦めしたい作品だ。

  • まず、戦争が影を落としていても、孝介と貴乃の愛は変わらないところに感動した。
    上下巻を読み通して、生きることについて考えさせられた。

  • 主人公の貴乃が求めたものは何だったのかっていうと、
    自分の愛する人と暮らすこと、
    家族の平和、子どもの幸せ・・・当たり前のことでした。

    人間の自己中心性、金銭欲や名誉心、そして戦争が、
    貴乃を苦しめます。

    自分の気持ちを全く考えてもらえない中にあって、
    色んなものを失っていく中で、
    それでも自分のそばにいる人たちのために
    生きていく貴乃が、痛ましいけどかっこいいです。

    また、第二次世界大戦終戦時、
    樺太に生きた人々の悲惨な運命を
    この本を読んで初めて知りました。

    貴乃が教えてくれたこと、
    大切にしていきたいと思います。

  • 悲しすぎ過酷すぎ。
    学生の頃読んでしばらく立ち直れなかった。

  • 出版社: 新潮社 (1985/05)
    発売日: 1985/05

  • 愛憎劇と社会や戦争がもたらす人生の不条理が
    人間の本質的な部分を浮き彫りにしていって
    生とは、死とは何かを考えさせられる内容でした。

    「氷点」に近いスキャンダラスな愛憎劇だけど、
    生も死も、善も悪も肯定するような
    壮大なスケールの精神性を感じました。

    全体を通して、展開もテンションも結末も
    常に程よい緊張感があり、個人的には今のところ三浦綾子最高傑作です。

  • 泥流地帯が良かったので、全くあらすじを知らないまま手に取った。舞台こそ戦前の樺太と北海道で三浦綾子の世界観だが、登場人物たちの複雑に絡み合った愛憎の人間関係は現代の昼ドラでもこうはいかないだろうというほど。
    神は登場人物全員に過酷すぎる運命を与えるのだが、主人公の貴乃は身を捩りながらただひたすら耐える。耐えて、耐えて、耐えた最後に戦争はさらに試練を与えていく。人間にとって耐えるということはーー。
    2023/03

  • 人間生まれてきた以上、幸せだけを受けるわけにはいかない。
    幸せを受ける以上、不幸せも受けるしか仕方がない。

    これがいちばん印象に残りました。

    幸せしかなかったら幸せじゃないもんな。

    ならば、25年間も耐え続けた貴乃と考介には最後には幸せになってもらいたかったとも思うけど。

    三浦綾子の小説には教えられることが多いと改めて思いました。

    ひさしぶりに手に取ってみてよかったです。

  • 数多くの三浦綾子作品を読んできたが、今回も罪なき人達に襲いかかる多くの試練とそれを耐え忍ぶことを通じて生きるとはなにか、人を愛するとはなにか、といった人生の根源的な部分を問うた作品であった。
    孝介と貴乃の純な恋愛が須田原家の完治により引き裂かれることから始まるこのストーリーであるが、想像を遥かに上回る混沌とした愛憎劇で、中盤読んでいるのが辛くなるほどであった。「人を一度も傷つけずに生きてる人間なんて、ありはしない」という孝介の言葉に重みを感じつつ、完治の働いた行為によりここまでも多くの人が悲しみ・苦しみに陥れられている状況、更に完治本人の心の中には何も変化がない、その状況に読んでいる私自身も絶えず憤りを感じた。終始孝介と貴乃が結ばれることを願いながら読み進め迎えた終盤の展開は、涙をこらえることが出来なかった。どうして罪なき人がここまで苦しい思いをしなくてはならないのか、現代の自分の生き方を考え直さざるを得ない。

  •  日露戦争の戦果として樺太の南半分を日本が取得したと歴史で習ったが、その樺太の南半分を舞台に繰り広げられる、昼ドラや韓流ドラマなみの愛憎劇。北海道と違って樺太は外国だからそうそう簡単に行けないんですよね
     主役のはずの綺麗な心持のご立派な貴乃と孝介よりも、その主役の敵となる完治とあき子の俗な物言いや行動の描写がはるかに嫌な面も含めて印象に残り、その部分もまさにドラマ向けといえる。
     昭和52年にドラマになったようで、ロケ製作費は大変だろうからリメイクとはいわないが、再放送の価値があるのでは、もろ昼間に。
     著者は虚弱だったので、取材は全て本で済ませたのはないかと推察するが、だとしても描写が素晴らしい

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著者プロフィール

1922年4月、北海道旭川市生まれ。1959年、三浦光世と結婚。1964年、朝日新聞の1000万円懸賞小説に『氷点』で入選し作家活動に入る。その後も『塩狩峠』『道ありき』『泥流地帯』『母』『銃口』など数多くの小説、エッセイ等を発表した。1998年、旭川市に三浦綾子記念文学館が開館。1999年10月、逝去。

「2023年 『横書き・総ルビ 氷点(下)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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