わが友マキアヴェッリ 3 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101181400

感想・レビュー・書評

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  • 全3巻の3冊目

    本書の対象時期はマキャヴェリが公職追放をされた1513年から亡くなる1527年まで。

    それまでが、フィレンツェ政府の官僚として政治の表舞台で活躍する姿が描かれていたのに対し、本巻でのマキャヴェリは、著述生活をしながら何とか政治の世界に復帰することを目指す。
    この時期にマキャヴェリの名を後世に残した『君主論』はじめとする著作が書かれ、その意味でマキャヴェリの思索の時代と言える。

    結局復職は叶わないのだが、その間フィレンツェだけでなくイタリアは大国の食い物にされてしまった。
    未だ統一ならないイタリアのある意味中心人物と言えるクレメンス7世は何も決められず、いくつもの好機を逃し、フランスやイタリアのなすがされるままなのがもどかしい。

    塩野さんが1527年のローマ略奪をもってルネッサンスの終焉であるとしたのは、何も文化財の破壊や芸術家の離散のゆえだけではなく、近代化しつつある大国を前に輝きを失ったイタリアを見たからなのかもしれない。というのは、ルネッサンスを産んだイタリアは都市国家や小国に分裂したままで、フランス、スペインのように中央集権化を成し遂げつつのようにはならず、政治の中心も芸術の中心も、こののち北へ移動してしまうからだ。

    その同じ年にマキャヴェリが亡くなったのは、偶然にしても何だか出来過ぎのようで面白かった。

  • マキアヴェッリ3巻目。マキアヴェッリが君主論・政策論を書くにあたり、何を考えたのか?その人生とフィレンツェの興亡を交え、その思考と境遇を深堀していく。
    政界から追放されてもなおそこに戻ろうとするも、最後までその努力は実らず、結果その情熱を物書きとして昇華していったのは皮肉でもある。
    ヴェネツィアの興亡をすでに読んでいたので、ルネサンス期の情勢がよくわかりました。

  • 求めても得られない活躍の場。
    純粋に政治の世界で実践の機会をうかがっていたマキャベリの最期に切ない気持にさせられる。

    いかに能力を持っていたとしても、風向きが悪く、立ち行かなくなってしまうことがある。そのときどうするかで真価が問われる。

    別の道を探すか、風向きが変わるのを待つのか。

    マキャベリ=君主論しか、頭になかったが、それ以外の人間らしい面が存分に楽しめた。本書に感謝。

    次は、イタリア史か趣向を変えて東方見聞録にチャレンジ。

  • 指導者に必要な条件
    ヴィルトゥ 才能、力量、能力
    フォルトゥーナ 幸運
    ネチシェタ 時代性、

    歴史家、喜劇作家、悲劇作家は形容詞でもある
    歴史的、喜劇的、悲劇的
    イストーリコ、コミコ、トラージコ

    理論家であって、実践の機会のない、あるいは実践家ではないマキアヴェリ。ルネサンスと共に生きた。
    ローマがバロック的なのは、イタリアのためなのとは。

  • いよいよフィレンツェが滅亡する。
    ルネサンスが終わる。
    マキアヴェッリが亡くなる。
    悲しい。

    あらゆる者の終焉は悲しい。
    すべてのものに終わりは来るものなのだけれど。
    マキアヴェッリの人生を辿る旅は
    そのまま都市国家フィレンツェの存亡に重なり
    ルネサンスの栄枯盛衰に連なり
    イタリアの没落を告げる。

    都市国家を中心に栄えたイタリア。
    そこではルネサンスが花開き
    人々は陽気に生き
    有能な政府事務官であったマキアヴェッリは
    フィレンツェの発展に尽力した。
    しかし、周辺で勃興する中央集権体制の国家
    フランス、スペイン、トルコ、イギリスが
    次第に都市国家の集合体であった
    イタリアを蹂躙しだす。
    難しい舵取りのこの時期に
    フィレンツェの命運を握る
    メディチ家から出た法王クレメンテ七世は
    悪い方へ悪い方へ決断をする。
    そして、最後にはフィレンツェのメディチ家は追放される。
    その直後、マキアヴェッリは亡くなる。
    五十八歳だった。
    すべてが呼応したようなこの終焉。
    ルネサンスの幕切れは新たな時代に席を譲るのだった。

    人間的な、あまりに人間的なマキアヴェッリ。
    それを描きだした冷静で緻密な塩野氏の筆に
    読む者は心を打たれずにはいられない。

  • 最終巻フィレンツェ書記官を罷免され、君主論、政略論の著述や喜劇作家としての期間。友人との往復書簡等を通じて、非常にマキャベリを魅力的に書いています。解説が佐藤優氏というのが、マキャベリと佐藤氏の境遇があまりに似ているため笑えます。

  • 読了

  • マキャヴェッリの名前すら知らなかったのに、祖父の書斎に並んであった「君主論」をなんとなしに手をとったのは中学か高校の頃だったと思う。

    そのとき読んだのは背表紙にあるあらすじだけだった。「権謀術数」、「目的達成のためには手段を選ばないマキャベリズム」、そういった言葉だけが残り、それがそのまま私のマキャヴェッリという歴史上の人物のイメージとなっていた。

    彼の思想を一言に要約すると確かに「権謀術数」という言葉が最も近いのだろう。けれども、「権謀術数」という言葉があまりにも冷酷な響きを持つ強烈な言葉であるために、浅薄な知識しか持たない私は、マキャヴェッリを誤解してきたのだと思う。マキャヴェッリの著作を一冊も読んだことのない私に彼の思想を論じる資格はない。けれども、彼の思想が「権謀術数」という言葉に要約される過程でそぎ落とされたもの、つまり彼の思想の理論的裏付け、彼の生きた時代背景や書記官としての政治的体験などを知ることなしにマキャベリズムという思想は理解できないのではないか、とこの本を読んで感じた。また、彼の政治思想は毒性が強く、わずかな調合ミスでも身を滅ぼしかねない種のものであり、高度な政治の技術(アルテ)なしには使いこなすことのできないものであるとも思う。現に、マキャヴェッリの若き弟子たちは、ジュリオ・デ・メディチ枢機卿暗殺を計画するも失敗、2人は斬首刑、命の助かった陰謀参加者もフランスに逃亡、財産没収刑に処せられている(3巻、p93~102)。

    彼の思想は宿命的に誤解されやすく、それゆえに人間としても後世の人々に誤解されやすい。「権謀術数」という言葉に引きずられ、「冷酷」というイメージの付きまとう、そんな歴史上の人物を、“学者とちがって自分の眼前に情景が浮かんでこないと承知しない” (3巻、p64)という塩野氏らしく、血の通った、生きているマキャヴェッリの描写に成功し、彼の人間的な魅力を余すところなく読者に伝えている。あとがきが政争に敗れた元外務官で作家の佐藤優氏であるのも面白い。あとがきを書く人を誰が決めるのか知らないが、マキャヴェッリを連想させるような経験を今の時代にした佐藤氏が書くことによって、時間軸を超えた親近感をマキャヴェッリに感じることができる。

    まったく、マキャヴェッリは21世紀に塩野七生氏という、大変良き「友」を得たものだと感心する。

  • なるほど。波瀾万丈な訳ですな。
    マキアヴェッエリ。。

  • 色々と祖国のために動いても、最終的にはマキャベリの思惑通りには進まない状況になっていく姿が悲しかった。
    「この墓の下に、彼の骨はない。」という一文がより深い感慨を抱いてしまいました。

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