- Amazon.co.jp ・本 (576ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101278117
作品紹介・あらすじ
15年不敗、13年連続日本一。「木村の前に木村なく、木村のあとに木村なし」と謳われた伝説の柔道家・木村政彦。「鬼の牛島」と呼ばれた、戦前のスーパースター牛島辰熊に才能を見出され、半死半生の猛練習の結果、師弟悲願の天覧試合を制する。しかし戦争を境に運命の歯車は軋み始めた。GHQは柔道を禁じ、牛島はプロ柔道を立ち上げるが……。最強の”鬼”が背負った悲劇の人生に迫る。
感想・レビュー・書評
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【感想】
本書は日本スポーツ界空前絶後の最強師弟、「不敗の牛島」と「鬼の木村」を書いたスポーツノンフィクションである。
上巻の内容は主に「木村政彦伝説」だ。
全日本選士権13連覇、15年間無敗を誇った史上最強の柔道家、木村政彦。彼を形作ったのは「異常なほどの練習量」だった。本書によると、
・乱取り100本(約10時間)
・ウェイトトレーニング
・巻き藁突きを左右1000回ずつ
・立木への1000本の打ち込み
・布団の中でのイメージトレーニング
を毎日繰り返していたという。
大木への打ち込みで腰や足の皮膚はカチカチになり、足払いを食らった相手は「鉄の棒で殴られているようだ」と評した。そのあまりの強さから、稽古では得意技の大外刈りを禁止される。立技も規格外なのに寝技でも強く、得意としていた腕緘(アームロック)は海外で「キムラ」と呼ばれるほどになったという。加えて体躯も岩のように重いため、そもそも崩すことすらできず、完全に攻略不可能であった。そんな有様だから当然稽古相手が木村を避けるようになり、十数人との乱取りや師匠の牛島との組手で力をつけていった。こんな怪物を相手にできる牛島も化物であり、まさにこの師匠にしてこの弟子ありだ。
戦前は「スポーツ=武道」の時代だった。柔道の競技人口は数百万人はいたという。そんな中で「15年間無敗」でありつづけた木村政彦のヒストリーが余すところなく詰まった一冊である。このまま下巻も読み、最後にまとまった書評を書きたいと思う。
下巻のレビュー
https://booklog.jp/users/suibyoalche/archives/1/4101278121
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【まとめ】
0 まえがき
現役時代に何度も木村と闘った松本安市は、こう断言する。
「講道館柔道の歴史で化物のように強い選手が四人いた。木村政彦、ヘーシンク、ルスカ、そして山下泰裕。このなかで最も強かったのは木村政彦だ。スピードと技がずば抜けている。誰がやっても相手にならない」
昭和29年12月22日、木村はこのとき37歳。力道山のプロレス選手権試合で、双葉山と並ぶ国民的大スターだった木村政彦の名は、表舞台から消えていく。
戦後プロレス史、いや戦後スポーツ史最大の謎とされるこの戦いはどんなものだったのか。引き分けにする約束になっていたこの試合は、力道山の騙し討ちによって、凄惨な流血試合となった。不敗の柔道王は、全国民の前で血を吐いてKOされた。マットに直径50センチの血溜まりができるほどの惨劇だった。
プロレスは、当然ながらショーである。ブックと呼ばれる台本に沿って試合は進められ、あらかじめ決められた勝者が勝つことになっている。プロレスに勝敗はなく、あるのはリングという舞台の上での演技だけだ。力道山は台本を投げ捨て、台本通りに演ずる木村を不意打ちで襲っただけである。
木村は、負けたわけではない。
力道山は39歳でヤクザに刺殺されたが、木村は晩年になろうとも、力道山を許すことはなかった。たった一度の敗北に苦しみながら生き続けていた。
力道山の謀略によって木村が失ったものは、あまりにも大きかった。柔道を命を賭けた武道としてとらえ、その世界でトップ中のトップを獲った木村にとって、全国民の前で恥をかかされたことは、力道山を殺すことによってしか償われないことだったのではないか。
木村政彦は、なぜ力道山を殺さなかったのか?
1 木村政彦伝説
木村の強さの秘密は「強く柔らかい腰」である。強い腰があれば相手のパワーに崩されない。柔らかな腰があれば相手の思わぬ動きにバランスを崩されない。
この腰を作るために徹底したのが、二つの特殊な打ち込み稽古だ。ひとつはモミジの巨木への打ち込み。もうひとつは竹林の中での柔らかい若竹への打ち込み。
立ち木への打ち込みは、師牛島辰熊の現役時代の伝説的稽古法に倣ったものだ。牛島塾のモミジは高さ10メートル以上の巨木だ。その幹にロープを縛り付けて、腰の当たる部分には古い座布団を巻き付けて打ち込んだ。打ち込むたびに予想以上の痛みが脳天まで突き抜け、100回でその場にへたり込んだ。次の日は200回、さらに次の日は300回と増やしていき、最終的には一本背負いを1000回と釣り込み腰を1000回、合わせて2000回の打ち込みを毎日やるようになった。
腰から背中にかけて皮が剥け、その血が木の幹を赤黒く染めていた。かさぶたができても次の日には破れるので、また出血し、いつまで経っても治らない。しかし、半年もする頃には腰の皮膚は足の裏のように角質化して、どんなに打ち込みをしても怪我をしなくなり、逆に木の幹のほうが凹みだした。そして、ある日、ついにこの木は枯れてしまった。
他のライバルたちより三倍以上稽古をすれば、抜かれることはない。それが木村の考える「三倍努力」だ。
木村は乱取りだけで毎日100本をこなした。ゆうに9時間はかかる。まず警視庁へ朝10時から出稽古へ行き、昼食を食べて拓大で3時間、そして夕方6時から講道館、そのあと深川の牛島塾に戻ってくるのは夜11時である。
夕食をかき込むと、ウサギ跳びをしながら風呂に行き、またウサギ跳びで帰ってくる。すぐに腕立て伏せを1000回やって、そのあとバーベルを使ったウェイトトレーニング、巻き藁突きを左右1000回ずつ、さらに立木への数1000本の打ち込みである。布団に入るのは午前2時過ぎ。そしてそこからまた頭の中でイメージトレーニングが始まった。眠ってしまいそうになると自分で体をつねってその痛みで奮起しイメージトレーニングを続ける。眠るのは4時過ぎである。睡眠時間は3時間もなかった。
木村の頭の中にはオーバーワークという言葉はなかった。それは師の牛島辰熊も驚くほどの練習量だった。
異常な練習量によって、78キロだった木村の体は80キロを大きく超え、巨大な筋肉に包まれていった。完成された木村に敵はおらず、1939年には、全日本選士権で史上初の三連覇を果たした。
2 天覧試合制覇
全日本選士権後、木村は第三回天覧試合の指定選士に選ばれる。当時の天覧試合は、全国民が注目するとてつもない大試合であった。現在の五輪やサッカーW杯どころではない。昭和天皇をエンペラーとして戴く大日本帝国の、大東亜共栄圏最強の男を決める世紀の祭典であった。
木村と牛島の稽古は壮絶を極めた。
後に木村はこう述懐している。
「オレは本当に人間だろうか。もしそうなら、何か人間としての幸せがあるはずだ。たまには楽しさを味わってみたい、と何度も思った」
牛島も言う。
「彼には死の極限ともいうべき訓練をした。鍛えがいのある男と見たからこそ、他のやつ以上のことをさせたのだ」
そして木村は22歳で、第三回天覧試合を制した。第一回、第二回に優勝を逃している師匠、牛島辰熊の雪辱を果たす戴冠だった。
3 プロ柔道旗揚げ
木村は戦前から実に13年もの間、全日本王者として君臨した。そしてあの昭和11年5月31日の阿部謙四郎戦以後、15年間不敗のまま引退したことにされたのだ。
本当は引退したわけではないが、柔道の歴史が木村を引退させてしまったのである。もちろんそれは講道館柔道史における最大の汚点といわれるプロ柔道旗揚げがあったからだ。
戦後の柔道界は、GHQによって武徳会が解散させられ、またGHQによる学制改革に伴い旧制高校が無くなることによって高専大会も潰えた。この二大勢力の消滅によって、柔道界は講道館の一人勝ちになっていく。
東大の松原教授はこう語る。
「もともとひとつの町道場でしかなかった講道館が『自分たちは平和勢力である』とGHQを説得し、武道の中で一番先に解禁に近い形になった。そこで講道館の創ったある種の神話に、待ったをかける者がいなくなった。『講道館中心史観』がもたらした言葉の空間が、今の柔道界を支配しているんです」
講道館=全柔連がGHQにその場を取り繕うような形で「柔道は武道ではなくスポーツである」と断言してまで柔道を復活させた経緯を検証・総括できていないことが、実に60年たったいまでも柔道界を混乱させているのだ。
昭和24年に全柔連が制定したアマとプロに関する規定の中では、学校か企業で教える柔道教師以外は、柔道に関わって金銭を得ることはできないとされている。しかし、当時は指導教師を抱えるような余裕のある時代ではない。
このままでは柔道家が食えなくなる。牛島が木村を誘ってプロ柔道を旗揚げしようとしたのは、そうした経緯があってのことだった。
結成式は昭和25年3月2日。団体の正式名称は「国際柔道協会」と決まった。
旗揚げ戦は盛況のうちに終わり、講道館もこの時点ではプロ柔道に対し好意的な意見を寄せている。
では、なぜ牛島・木村師弟は死ぬまで柔道界で排斥され続けたのか。
理由は2つある。
ひとつめの理由はプロ柔道が失敗し、崩壊したからである。成功すればそれを戦後柔道復興のために利用しようとしていたのは嘉納履正館長の発言内容から明らかである。後の講道館=全柔連は「プロ柔道」に冷たくしたのではなく「失敗したプロ柔道」に冷たくしたのだ。
もうひとつの理由は、柔道界の大派閥を率いていた三船久蔵の存在がある。
この2つの理由が総括できていないので、現在も柔道界は意味もなくプロアレルギーを持っているのだ。
プロ柔道組織が崩壊したのは、プロ組織に興行専門家がおらず、運営が成り立っていなかったからだ。旗揚げ戦後、資金を貯めぬままいきなり地方巡業を始めてしまい、選手の遠征費を捻出できなくなった。
加えて、木村が国際柔道協会を放ってプロ柔道の新団体を旗揚げしてしまったのも崩壊の要因だ。自身も資金の捻出に苦労していたという側面はあるものの、結果的には、木村は師を裏切って海外に逃げたのである。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
登場人物のほとんどを知らなかったし柔道の歴史に興味を持ったことすらなかったが、それでもおもしろい。下巻に続く終わりの盛り上げかたもすぐに続きを読みたくなる。この時代の人たちが皆、ここに出てくる人物たちほどではないにしろ、いまよりは圧倒的に芯の太い人間は多かったことだろう。
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『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(上) 』読了。
増田俊也著。
まるで漫画のような、野球の大谷翔平さんの活躍。強すぎる柔道の大野翔平さん。それをさらに上をいく、信じられない日本人がいたこと、そしてそれを自分も含め知らない日本人が多いことに衝撃を受けた。
昔の映像でたまーに見る、力道山のプロレス。あの映像の、やられている方の話。気にしたことがなかったけど、読んでみたら衝撃の連続(上巻だけでも)。
トップ選手が「自分なんて赤子」「強いじゃなくて、痛い」「岩だから技のかけようがない」と語る、圧倒的な強さ。しかもそれが全盛期ではないという哀しさ。
木村の前に木村なし、木村の後に木村なし。その言葉の真実味が、読み進めるごとに迫ってくる。
分厚い上下巻。そんなに書くことあるのかなと思ったけれど、上巻を読み終えて、続きが気になって仕方ない。
いよいよグレイシーとの闘いへ。
殺し屋が赤子のように扱われる、漫画ファブルの佐藤みたいな感じかな。ワンパンマンのサイタマ、暗殺教室のころせんせー、そんな漫画みたいな、が本当にあったこと。読みながらドキドキする、そんな本に出会えたことが嬉しい。
著者の情熱にも胸を打たれる。書いてくださってありがとうございますと伝えたい。
下巻が楽しみ! -
木村政彦の本読んでるだけなのにどんどん戦前戦後の柔道界に詳しくなっていく。そんなことまで知りたかったわけじゃない。そんなに格闘技ファンではない。そして肝心の木村政彦に肉薄してるとは思えない。木村政彦の本だって言いながらこの作者は全柔道史を書きたいだけなんだ。木村政彦はダシにされただけだ。このタイトルつけて読ませようとした作者の姿勢が気に入らねえ。
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夕刊紙を思わす非常に煽情的かつ作為的なタイトルである。しかしこのタイトルがなければ上下巻1200頁弱の本書に手を伸ばそうとは思わなかっただろう。「木村の前に木村なく、木村のあとに木村なし」とう表現は知っていたが所詮、力道山の計略に嵌って敗れた漢という認識しかなかった。著者は忘れられた柔道の鬼の無念を晴らすかのように木村の柔道半生を克明に時には執拗に描き切る。展開の遅さに苛立ちもするが敗れた男という先入観を振り払う為には必要な作業だったと思う。上巻末にてついにグレイシー一族登場!物語は急転直下の様相を呈す。
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木村政彦はまさに大日本帝国が生んだ怪物だったといえる。精神論に基づいたハードなトレーニングによってまさに史上最強にふさわしい柔道家が木村である。
上巻では木村政彦が史上最強になるまでのエピソードを中心におっていく。 -
上下巻合わせて1200ページ位。専門的になりすぎる部分もあります。
講道館がスポーツとして柔道を確立する以前、柔道以外の凡ゆる者と戦う事を想定していた時代の柔道。
その柔道における史上最強の選手が木村政彦。
生活するためプロレスラーになるが、慢心、油断から力道山に負ける。プロレスの興行としての本質を暴きながら、グレイシー柔術の台頭により木村政彦が最強であったことが見直される。 -
原田久仁信先生の『KIMURA』を読んで、いてもたってもいられなくなり原作を読みました。
物心ついた頃からプロレスの興行やテレビ中継があり、格闘技やプロレスがイベントとして存在することが当然だと思っていました。
しかし、何事にもはじまりがあります。
どうして、日本にプロレス・格闘技興行が存在するのか?
そもそも日本の武道・格闘技の歴史とは、いったい何なのか?
それは本書で語られる木村政彦の半生を通して知ることができます。
タイトルこそ力道山と木村政彦ですが、本書は日本の武道・プロレス・格闘技の歴史をまとめたものです。
文庫版上巻は、あのキラー馬場のプロローグからはじまります。
このプロローグだけで読み応え十分です。
そして木村政彦の生い立ち、第二次世界大戦を経て、エリオ・グレイシー登場までです。
このエリオが、また憎らしいほどに強い!
戦前にプロレス興行はありませんでした。
武道家としての柔道家のステータスは、今の常識では考えられないほどのものであり、その頂点が木村政彦でした。
その価値観は太平洋戦争によって逆転してしまいます。
しかし、木村政彦の強さは揺るぎません。
こういう背景を踏まえて、下巻のエリオ戦や力道山戦へとつながっていきます。 -
まだまだ知らないことっていうのは色々あるなあ、と。
柔道やってたのに…。 -
上巻は木村政彦と力道山の戦いというより、木村政彦をはじめとした柔道の歴史ノンフィクションといった方が正しい。しかも、講道館が伝えてこなかった部分を明らかにするという強い意志を感じた。
作者の熱量が文章の端々から伝わってくる。実は柔道の正しい歴史なんて大して興味がなかった自分がどっぷりハマッてしまった。下巻も楽しみだ。