- Amazon.co.jp ・本 (177ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101392226
作品紹介・あらすじ
友人が贈ってくれた一冊の本に誘われて、私はヴェネツィアのゲットへ向かった。受難の歴史に思いを馳せ、運河に架けられた小さな橋を渡ると、大阪で過した幼年時代の記憶やミラノで共に生きた若い仲間たちの姿が甦る-。イタリアを愛し、書物を愛した著者が、水の都に深く刻まれた記憶の旅へと読者をいざなう表題作の他、ヴェネツィア娼婦の歴史をめぐる「ザッテレの河岸で」を併録。
感想・レビュー・書評
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美文というのはこういう文章をいうのだな、と思う。
ヴェネツィアの街の、きらびやかな中心には背を向けて、須賀さんの視線は市井のひとびと、世の中から目を向けられずにひそやかにそこに生きてきたひとびとに向かう。
ゲトーのユダヤの移民たち、16世紀の貴族の中に生きたコルティジャーネと呼ばれる高級娼婦たちの最期。
須賀さんのファンであれば誰でも思うであろうように、これだけ小説に近い随筆を多く書きながら小説をひとつも書かずに逝ってしまった彼女の書くフィクションをも読んでみたかったという思いが私にもあったのだけれど、矢島翠さんのあとがきを読むと、なるほど須賀さんは物語を作り上げてしまうことを自制していたのではないかということに考えがおよぶ。
想像力が豊かで空想が拡がる彼女だからこそ、それを自制して「真実」を追求しなければというなにか義務感のようなものにつき動かされるようにしてヴェネツィアを歩く須賀さんの行動と、彼女が小説というものを最後まで書かなかったことが、それで説明がつくような気がする。
須賀さんの作品のレビューで書くのもおかしいけれど、矢島翠さんの文章もすごい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
①文体★★★★★
②読後余韻★★★★★ -
「トリエステの坂」の文章力に魅せられ、続いて手に取った。歴史ある運河の都市ベネツィアに何度か立ち寄ってその風土、生活する人たち、刻まれた歴史の名残りを全身で感じるようだ。差別の暗い歴史も重々しく澱む街の空気を感じる。2021.5.20
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福岡伸一さんが推薦していたのがきっかけでしたか。本当に美しい描写、どこまでも清澄な日本語。イタリアに長く長く暮らし、生きた時間があっての作。想像させていただく作者の視点、思考空間は私が今までに見た、少しは感じた何かとは全く違う。作者のエゴ、欲が1mgもない紀行文。こんな所に到達できるように生きられたら、どんなに素晴らしいでしょう。遠い
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素朴な文章でイタリアを探訪する紀行文。
もう少し年齢を重ねたら面白くなるのかもしれない。 -
晩年、日本とヴェネツィアを行き来してなおイタリアへの思いいれ、情熱を静かに語る。亡くなったイタリア人の夫への哀切、一緒に働いたイタリア人の友たちのこと、ヴェネツィアの裏道をたどるように追憶し、あやなす。書物を愛する須賀敦子彷彿。
他「ザッテレの川岸で」 -
f
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1994年に雑誌掲載された原稿を亡くなって1年後の1999年に出版したもの。「著者が加筆・訂正中だった原稿を著作権継承者の了解を得て、編集部で整理したもの」とある。
須賀敦子のエッセイはいつも唐突に終わるのだが、「加筆・訂正中」だったせいなのか、未完の感は否めない。
たんなる旅行記ではなく、ヴェネチアへの旅を通して、急に夫を亡くし、イタリアからも日本からも宙ぶらりんだった著者自身の過去、祖母の思い出へと展開されていくあたりはあいかわらず見事。
河岸の表札と、時間に追われつつ見た展示会、人からもらった一冊の本がヴェネチアの娼婦をめぐる物語へとひとつにつながっていく『ザッテレの海岸で』はなかなかにスリリング。
いずれにせよ彼女の早すぎる死が残念。エッセイの唐突な終わりかたとともに物足りなさが残る。
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はじめての須賀敦子さんの作品。
はじめは硬めの文章で読みにくさを感じましたが、ヴェネチアの薄暗い歴史に思いを馳せる、しゃんとした姿勢が表れているからこその硬さなのだと納得しました。
ただの旅行記ではありません。
解説にあるように、外国体験について旅行者の気軽さや滞在者の苦悩といった「すべての段階を通過しながら」書かれています。日本との比較という視点でもなく、外国人という視点とも違った海外体験記だと思います。
表題作よりも高級娼婦についてのルポのような「ザッテレの河岸で」が好きでした。 -
ほれぼれする文章ですね!主にヴェネツィアに関する著者の思い出から話を展開し、ヴェネツィアやユダヤ人の問題、自己の祖母の記憶などなどに展開していく筆力は見事です。