- Amazon.co.jp ・本 (277ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101430218
作品紹介・あらすじ
「一字に影があるように、一行にも影がある。」-言葉と発想の錬金術師・寺山修司ならでは、諧謔と毒との合金のような、文字どおり寸鉄の章句たち。愛と暴力、快楽と死、賭博と夢、もちろん男と女。つごう52のキィワードの下、広く著作群のなかから集められ、あの鬼才のエッセンスがそのまま凝縮された413言をこの一冊に。さあ、町へ出ようツ。"寺山修司"をポケットに入れて…。
感想・レビュー・書評
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寺山修司文学忌 1935.12.10-1983.5.4 修司忌
角川春樹氏は、寺山忌で俳句に入れている様なので、どちらでもいいのかな。
言葉の錬金術師と言われている寺山修司の著作らしい物を読むのは初めてです。中学で俳句を作り始め、47歳で亡くなるまでに、かなりの著作を残されています。その中から、愛で始まり夢で終わる52のキイワードごとに、厳選された言葉が集められています。だから、少しズルい一冊。
S57.12の亡くなる半年ほど前になるか、文庫のあとがきを「ことばはともだち」として書かれていて、旧友にでも出会う様な懐かしさで読み返し始めるとある。寺山さんでも書いた事は大抵忘れるとも。
多少は、寺山修司の言葉にふれたけれど、各作品のその言葉の前後にその言葉を際立たせる多くの言葉があるでしょうから、何か一作品として読んでみようと思いました。
言葉の後に作品名が書かれていて、以下三点は、家出のすすめから
“家”
親の愛情、とりわけ母親の愛情というものはいつもかなしい。いつもかなしいというのは、それがつねに「片恋」だからです。
“楽”
人は誰でも、「悪の愉しみ」への強い欲望を持っている。
“希望”
「期待する」ということに期待しすぎると幻滅するものです。
気になった言葉はたくさんあるのですが、その中でも、ふとメモしようかと気になるものは、「家出のすすめ」からの出典が多かった様な気がします。 -
陰を孕んだ言葉だらけだけど全部美しく感じる。
寺山修司独自のものの見方というか、少し斜めからものを見ている感じ、自分のやっていることの盲点を突かれてひやっとする文章もあった。
辞書みたいな感じでこれからも開いていくことになると思う。
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じっくり読む本じゃない。
パラパラ見ていて気になったところで手を止めて、微笑んだり腹立ったりする本。
トイレで読むのに最適。
バカにしているんじゃなくて、そういう風に生活に寄りそう本があることが、ステキだし大切にしたいと思う。 -
社内に寺山修司を好きという人がいて、
気になって手に取りました。
通勤中、昼食休憩のとき、
ちょこちょこと読書するんですが、
その合間にパラパラ読んでいました。
A~Yの言葉をテーマに、言葉が並んでいます。
ページをめくって見返すと、読んでいた当時付箋を付けていた箇所じゃない場所で、目が留まります。
その時々で、自分に合う言葉が変わります。
最後の「あとがきにかえて」の下記の言葉。
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気の利いた「言葉」は、それ自身で、友人になることもある。途方にくれているとき、いいアドバイスをくれるからである。
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最近、原田マハさんの本を読んでて、
マハさんは、
モネやルソーを友人、親友と呼んでいるけど、
なるほど、
「言葉」も友人になってくれるのか、と。
また忘れたころにページをめくりたいと思います。 -
好きな項目を時々見返します。寺山修司の作品は
この詩集しか知らないけれどおしゃれな大人の男性がかいてるんだろうなという印象。 -
心の琴線にグッと来る言葉が多い。
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2012/04/16
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・美というものは、本来、何かを欠いたものです。完全な合理主義からは、美はおろかドラマも生まれては来ません。
・可視の現実、日常的な現実としてわれわれがとらえているものが、実は見える闇に過ぎないのだということを忘れることはできない。
・写真は演出であり、人生は台本である。
・質問は必ず答えをかくまっているからね、その分だけ大きく見えるだけさ
・不自由を知るものでないと、自由は語れません。
・心なんて一種の排泄物みたいなもんで、夜になると溜まってくるが、朝になると出ていっちまうものだ。
セレクトのセンスは私と違ったけど、でもいくつか響くものが。
他の作品も読んでみたいが…。 -
#上質なブランデイごとき一行の光と影に酔いしれる夜
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寺山修司という男についてぼくらが知ってる2、3のこと。
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先日「ポケットに名言を」を読了し、寺山語録の収録数にがっかりしつつもその寺山本人が愛した言葉の群れにはそれなりに感慨をもって接したばかりであったが、今回幸運にもその求めていた「修司100%」に早々にめぐり逢うことができた。一件落着、一件落着。
今回の収穫はこの一節。
この世界のどこに片隅などという場所が存在するだろう。思想家たちが私たちを、片隅に追いやろうとしても、私たちは自分の作り出した世界状態の中で生きようとして、常に自己の主体の赴く場所を片隅から中央に変えてしまう。
ー さかさま世界史 ー
昨夏感銘を受けた「この世界の片隅に」(2016) のタイトルの裏…というよりも真の意味を、こうもうまく表現してくれている文章に会えた…、そんな気持ちがした次第。
活字の喜び。
二重丸級。
まだBLという言葉さえない時代だったねえ。
まだBLという言葉さえない時代だったねえ。