- Amazon.co.jp ・本 (121ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102045084
感想・レビュー・書評
-
先に『女の学校』『ロベール』を読んでおけばよかつた。
ひとつの家族のそれぞれから描いた一連の作品の中でも、娘からの書簡といふ形式である。
社会的には女性のどうこうといふもののやうであるが、それ以上にひとを愛するといふ彼が生涯通じて求め続けたひとつの形であつたに違ひない。
ひとが愛しあふと結婚して家庭をもつ。それが彼には不思議で仕方なかつたのだ。さうでなくてもひとを愛し生きてゆける。
誰かを愛することと、結婚して一緒に暮らすといふことは別のことなのだ。彼の描く文脈の中でボードレールを眺めると、『旅へのいざなひ』や『戀人の死』に描かれるたゆみない愛への渇望が呼び起される。
与へ続けることでしか満たされない愛を求めても、ひとりでは愛が完結しないことへの無力さ。
そんなことを考へていると、松村栄子の『セラヴィ』がふと頭を通り過ぎる。ほんとうに愛してゐれば死者とだつて生きてゆかれる。ひとりで生きられぬものにふたりでは生きてゆけぬ。
それがたまたま男性であつたとか女性であつたとかに過ぎない。彼にとっては先に性別があつてひとを愛してゐるのではないのだと思ふ
しかる行為をすれば子どもは生まれる。愛があるとかないとかとは別の次元の話だ。愛がなくても子どもは生まれてしまふ。それは人間が生き物だからだ。ジュヌヴィエーブはそのことを知つてしまつたのだ。
ならばこの自分の幸福とは一体なんであるといふのか。誰もが自ら望んで生まれてくるのではない。生は事実として与へられてしまふのだ。だから、生れたからにはどう生きるかゆくかよりも、どう死んでいくかがほんとうは重要なことではないのか。
この作品を書いてゐたころ彼に何があつたかわからぬ。先の二作品に対する位置づけは決まつてゐたからこそ、書いてゐるうちに、作品が閉じていくことに悩んでいたのではないか。サラとジゼールそれからジュヌヴィエーブと。肉と知とその間に引き裂かれたひとり。形ははつきりと見えてゐる。
ジッドは未完としてこの作品の筆を折つてしまつた。結末は誰にもわからぬ。彼女たちがどんな生き様を描き、死んでいくのか誰にもわからない。けれど、もしかしたら、先の二作品の中ですでにこの物語は決まつてゐたのかもしれない。書け無かつたのではなく、書く必要がなかつたのかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「立て、臥所につかまり、しかして歩め」
「全てはお前次第だ」
ジュヌヴィエーヴの若さが語らせる、女性の権利や存在意義。
青いけれど、彼女に代弁させるからこそ語れることもあるのかもしれない。
問いかけは、現代にも十分通用するものかもしれない。 -
「どこを通るかはほとんど問題ではない。ただどこへ向かって行くかが問題である。」
女性は男性の従属物なのか。女性は自分自身の持つ力を発揮するべきであり、男性に劣るということはない。女性にしかできないことはあるはずである。そして女性はまずそうでありたいと欲することをしなければならない。少女ジュヌヴィエーブは概念的世界より現実的世界に強く惹かれ、より具体的に女性の独立を考えた。因襲的なものに対する反抗。少女は理論的に考え、積極的に行動するが、なぜそう考えたのかの源が危うい。マルシャン先生への告白も、父や慣習への反抗であった。ラストでの母との対話で自分の利己的な決意の甘さに気づく。その後のジュヌヴィエーブがどういった方策で女性の存在証明を覆すのかが楽しみなだけに、未完がおしい。 -
タイトルがよいですねー。イメージふくらむじゃないですか。
フェミニズムの発露ってところですね。でも出てくる女の子がどうも少女っていうよりは少年ていうイメージなんですが。
ジュヌヴィエーヴとジゼールとがどう大人になっていくのか読みたかったなあ。 -
あ、、なんだっけこれ、、、ジッドってなんか神々しいなと思って見てました…なにそれ……ジッドって名前と雰囲気が好きだった…。
-
『ジュヌヴィエーヴ』。私の10代の集大成…。バイブルのように何度も読み自己投影していました。