- Amazon.co.jp ・本 (426ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102102022
感想・レビュー・書評
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新進気鋭が世に出る力と南部の破滅的なムードの融合
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誰の物語なのかと聞かれると、答えるのが難しい。群像劇のような感じ。ベンボウが「八月の光」のバイロン・バンチに見えて仕方なかった。けど、この人はルービーに惚れているわけではなさそうなのに、どうしてここまで親身になれたのだろう。ルービーがリーナ・グローヴ、ポパイがクリスマスにそれぞれ重なり、この二作品を比べながら読むのも興味深いかも。
街の人々がはみ出し者のグッドウィン一家をさらに追い詰める様は残酷だ。集団は怖い。酒の密造より私刑のほうがよっぽど怖い。作品を通じて「正義って何だ?」と問われているように感じた。 -
学生時代に一度読んだが、全く、噛みついただけで齧れなかった苦い記憶がある。
今回は、少し理解が進んだかと問われると、自信はない。
ポパイとテンプルを結ぶ線・・重大な場面なのに「黒い玉蜀黍の穂軸」はキーワードであるにもかかわらず、微妙にオブラートがかかり、具体的に把握できなかった.しかし、その煽情めくニュアンスがどろどろしていて逆に、形よりその場面が立ち上がってきた。
それとは対極的に、グッドウィン一家とベンポウを繋ぐ線は太くしっかと手触りを感じ取れる。
どちらの線も人生においての敗者が描かれ、惨めな絵巻なのだが。
やはり 生命=赤ん坊を守る母の姿であるルビーのエネルギーが迸っているからだろうか。
同じエネルギーでも負のエネルギー~私刑に燃え上がる負の姿と対比してしまった。
知的に問題のあるレベルで生まれつき、障害を持った側面が原因となったような今回の顛末のポパイ。
無論、内面を推し量ることは難しいのだが、やるせない程の残虐な流れを描いたフォークナーの呟きと合わせ、読み下したとはいえ、ぐったり、疲弊した読後となった。 -
掴みどころのない物語だが、断片的に強い印象を残す不思議な面白さがある。
全てがなぜそうなってしまうのかという方に動いていく。正義感や良識では到底解決できそうにない。
興味深いのは、冷酷で残忍なポパイが、梟にひどく怯えたり、犬に驚き殺してしまうことだ。彼の残虐性に隠れた臆病さを想像する。
ルービーという赤子を連れた女性は、壮絶な人生に流れ流されてきたが、その舵取りは自らしてきた。正しさの通用しないところでは何もかもが命がけだ。
誰もが憐れでならない。
今自分が生きる時代や社会は絶対そうではないと言い切れるだろうか。 -
本を持った男と銃を持った男の出会い。
世間知らずな若者が足を踏み入れたことにより、突如、崩壊する聖域。
このうえなく厄介な事件に立ち向かうことになったホレス弁護士。
真犯人を自らの口から告げることのできない不憫なグッドウィン夫妻。
ひょんなことから運命の歯車が狂ってしまったテンプル嬢。
そして、可哀相なやくざものポパイ。
主軸となる人物の誰もが救われないが、
圧倒的な描写で暴力的なストーリーを紡ぎだした見事な作品。 -
<一人の女子大生が迷い込んだ廃屋での事件。無実の罪で酒を密売していた男が逮捕される・・・>
著:ウィリアム・フォークナー
何か力強いものを読みたくなって頭の中に浮かんできた作家がフォークナーとスタインベック。
以前、「八月の光」を読んでパワーを感じたので今度はこちらを手にとって見ました。
ストーリーの主軸は女子大生テンプルとヤクザ者ポパイのパート、
そして弁護士のホレス・ベンボウと無実の罪を着せられた男の妻ルービーのパートの二つ。
前者のパートでは「玉蜀黍の穂軸」などの陰惨な場面が次々と描かれていく。
それが様々な比喩を用いて表現され、アメリカ南部の影を強烈なまでにアピールしている。
その醜悪さは「八月の光」よりさらに顕著。
そしてそれは人間そのものの闇の部分。
しかしフォークナーはノーベル賞の授賞式で「私は人間の終焉を信じない」と演説した人。
一方で人間というものの正しさを信じていると思う。
そしてその思いが後者のパートにこめられています。
正しき人であるホレス、赤子を守りながら夫リーの無罪を信じる妻ルービーのやり取り。
私達に人間の本当の力強さ、信念というものを教えてくれます。
最後にあとがきに触れられていた題名の意味、「サンクチュアリ」とは何をさすのか。
辞書を引くと「聖域」「逃げ込み場所」の意味があるとのこと。
テンプルが迷い込んだ廃屋、酒の密造をしていた隠れ家のこと?
それともミス・リーバの売春宿?
ホレスが直していた昔の家?
私はホレス、リー、ルービー、そして赤ちゃんがともにすごした監獄の一夜に「サンクチュアリ」を思いました。 -
光と暗闇に違いがなくて、その中で人の体臭と花の香りが漂っているような物語。
光が闇の部分なのかな。
前に読んだ『アブサロム、アブサロム!』では
本の中で砂の動きが見えてしまうような不思議な感覚が
読んでいる間ずっとあったけど
(1ページ目から埃の描写があったりするからだろうか)。
あれ? と違和感を覚えるような、場面のズレみたいのがあったり
(アントニオーニの『欲望』のカメラの動きで感じたのと似た違和感)
表現を楽しむことのできる小説だけど
解説を読むと、訳した人のフォークナー観に偏りがありすぎて・・・・・・不安をおぼえる。
少しカポーティーを思い出した。
変な名前の登場人物が多いのは、同じでした。
ていうかまぁ、親戚だ。
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こんなに読みにくいとは思わなかった。章が変わるごとに今どこにいるのか誰の話なのか迷子になり、どんどん詰まっていく。しかし読み進めるうちに薄らと見えてくるものもあって不思議。
これは私の浅はかな先入観だが、きっと物語の最後には正義は果たされるだろうと思っていた事がことごとく果たされずとても混乱した。これが当時のアメリカなのか。この理不尽さがリアリティなのか。
そこまで長い本では無いのに読み終えた時のぐったり感。疲れました。