幻影の書 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (429ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102451144

感想・レビュー・書評

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  • 初めてのポール・オースター作品。

    読後感がかなり複雑でなんともいいようかない。
    ただ読み終ってしばらく他の作品を読めなくなる位、
    後に残った。
    面白いという言葉では片付けられない、
    一旦読み始めると、読者を読み終わるまで
    「離さない、引っ張り続ける」、
    そしてとことん「迷わせる」、
    泥沼、もしくは樹海のような、
    厄介さと魅力のある物語。

    人生は死ぬまで続く夢物語、
    いや悪夢なのか。
    光と影、軽と重、罪と罰、喜劇と悲劇、
    自己否定と自己陶酔、救世主と悪魔、希望と絶望、
    誕生と破壊、そして再生・・・。
    様々なワードが、泡のように頭に浮かんでは消える。

    本のページをめくるごとに、
    そんなワードに結び付くような情景が
    重なり続けるように、次から次へと
    白紙に映し出される感覚を覚える。
    軽い目眩すら生み出す幻影達。

    「The book of illusions 」・・・
    「幻影の書」はまさしくこの作品の
    タイトルにふさわしい。

  • 飛行機事故で妻と子供を失った男が、ある喜劇映画に惹きつけられ、その映画作家についての著書を作成する。
    刊行された著書はやがてもう死んだとされていた映画作家の身内に届き、そこからこの作家の失踪にまつわる話が展開されてゆく。
    急な転変も幾度かあるけれど、緻密な文章がそれをリアリティに変えていく。ス
    トーリーテリングの巧さが本作でも見られる。男の魂が「本当に」救済されたのかどうかはわからない。
    読み終わった後、何が本当なのか分からなくなる。
    心地いい謎が残る本。

  • 「幻影の書」。この魅惑的なタイトルに引き寄せられ購入した。

    最愛の妻と子を不慮の事故で無くし、絶望の淵を彷徨う主人公の大学教授は、
    ひょんなことから目にした無声映画に引き込まれる。
    それは、1920年代のある一時期にだけ活躍し、その後一切の消息が不明となった
    「ヘクター・マン」という俳優兼監督の作品だった。
    これらの作品に没頭し、「ヘクター・マン」の研究書を書くことで絶望から抜け出そうとする。

    その書はその後、二人を予期せぬ出会いへと導くことになる。
    このようにして物語が展開していく。

    特に嘱目すべきは、主人公がヘクター・マンの作品を鑑賞するシーン。
    細部に渡るまで表現された文字、文章は、
    読む者の脳内のスクリーンに厳密に投射され、
    我々はヘクター・マンの映画(即ちオースターが架空で創った映画)を
    明瞭に鮮烈に目撃することになる。

    そして、その他全体のオースター(訳者の柴田 元幸氏)が紡ぐ美しい文章自体にも、
    映像を想起させる力が備わっており、
    まるで映画を題材にした映画を観ているような感覚に捉えられる。

    あくまでも私的な印象(内容では無い)だが、
    映画に例えるならば、ヴィム・ヴェンダースがニュー・シネマ・パラダイスを撮ったかのような質感を感じた。

    この作品は映画そのものだ。

    映画好きで、映画に関わってきた経験もあるオースターが、
    このような効果を狙って書いたものかは知る由も無いが、
    そんな彼の文章が結果的にこのような効果を生み出していることは偶然ではあるまい。

    そして巧妙且つ暗示的なストーリーは、
    さらにこの作品に霊妙さを纏わせている。

    もう個人的にどつぼな世界観。
    映画好きにも是非お薦めしたい。

  • 初期の「ニューヨーク三部作」がまだ二冊残っているが、これが図書館に来たので先に読むことにした。
    「孤独の発明」「鍵のかかった部屋」「偶然の音楽」は若者が辿った運命の陰が色濃くにじんだ、思索的な作品だった。と、一からげには出来ない。それぞれに印象的な部分が多いが。それは先に残したレビューに託すとして、その後何作かの後にこの「幻影の書」が書かれている。

    読了した「ムーン・パレス」は、詩を散ちばめような文章が、物語を語っている。
    そして「ムーン・パレス」は主人公のストーリーの中に、彼の運命に交わる新たな人生の物語りが入り込んでくる形になっている。
    その第二、第三の物語の感覚がいつか彼に反映して、より自分をくっきりと見ることができる。という方法を取り入れてくる。 その作中の第二・第三の物語が、主人公の人生と周辺の人々との時間だけでなく、入り込んだ別な時間(彼にとっては過去だった時間)に別な人生を生きてきた人物の時間が、ついに彼に追いつき、じわじわと入り込んで、彼の運命まで(良くも悪くも)狂わせてしまうことになる。
    そういった形式が、顕著になっている。

    この「幻影の書」では、彼のストーリーであったもの彼の運命であったものの中に、ここではヘクター・マンといういう喜劇俳優の話がジンマーの生活に否応なしに入り込んて、彼の運命に重なる様子が、実に重く苦しい。ジンマーの苦悩は消化できっずますます重みを増してくる、そしてヘクターとジンマーが生きていく(または生きてきた)悲しさが、ついには取り返しのつかない狂気にまでつながっていく。
    暗い世界だったが、オースターのストーリー性が見事に発揮され、読まなくてはいられなかった。


    主人公はデイヴィット・ジンマーという。「ムーンパレス」で瀕死のマーコを探し出す友人の名前と同じだ。
    彼とマーコは別れた後、時がたってウォールストリートですれ違い軽く挨拶をして、その後二度と会わなかった。

    暫くしてジンマーは教授になり愛する妻と息子か出来る。だが妻が両親に会いに行く飛行機が落ちて二人とも亡くなってしまった。どん底のジンマーは自殺を試みたが果たせず、光のない世界をさまよっていた。時が過ぎ、ふと夜につけたテレビで、サイレント映画の中でヘクター・マンという、喜劇俳優にはほど遠い、美青年が懸命に演技するのを見た、そのナンセンスな俳優とギャクの構成に思わず笑っていた。これが彼の苦悩の消滅の大きな前触れだった。
    へクター・マンが作った古いサイレント映画のフィルムはもう少ししか残っていなかったが、彼は寄贈されたと言う12巻を追って海を渡り「ヘクター・マンの音のない世界」という本を書いた。

    そこに美しい客が来る。死の床にあるあるヘクター・マンの招待だった。彼は何度も断り拳銃で脅され、ついに心の声に従ってヘクターに会いに行く。

    最後の作品を残して失踪したといわれるへクターは生きていて、まさにその生の灯火が消えようとしていた。
    ジンマーを迎えに来た女は、ヘクターの使用人兼当時のカメラマンの娘だった。
    彼女はヘクターの自伝を書こうとしていた。
    遠い道のりはヘクターの話を聞くのに十分だった。

    彼は、また映画を撮っていた。だが死後24時間以内に彼に関する全てを燃やしてしまうように遺言した。彼は今までの人生で償輪なければならない重いものを抱えていた。ジンマーはその映画が見たかった。しかしそれにまつわる話が様々に入り組み、ジンマーや周りの人々まで巻き込み。やがてそれは炎になる。





    随分前にDVDで「King of Kings」という、モノクロ、サイレント映画を見たことがあるのを思い出した。

  • ウイスキーを飲みながら見たい映画になる

  • 『映画ではあまりに多くが与えられてしまい、見る側が想像力を働かせる余地が少なすぎる気がした。映画が現実を模倣すればするほど、逆に世界を表現することから遠ざかってしまうように思えた。

    結局のところ世界とは、我々の周りにあるのと同程度に、我々のなかにもあるのだ。だから私はかねてから、カラーより白黒の映画、トーキーよりサイレントの方が好みだった。

    映画とは視覚の言語であり、二次元のスクリーンに画像を投影することによって物語を語るメディアである。

    音と色が加わったことで、三次元の幻想が生じはしたが、同時に画像から純粋性が失われた。もはや画像がすべての仕事をやる必要はなくなり、その結果完璧な混合メディア、最良の空想世界が生まれると思いきや、音と色によって高められるはずだった言語がむしろ弱められてしまったのだ。』

    ポール・オースターの作品を読むと普段は日常生活の倦怠の中で抑えられてしまっている感情がふつふつと沸き起こる。忘れたつもりになっている過去や乗り越えたと思い込んでいる悲しみや諦めてしまっている矛盾への憤りなんかが。

    ポール・オースターは『偶然』と『喪失』のストーリーテラーだ。いいことも、悪いことも偶然、何の前触れもなく唐突に起こり、大切なものは無くなり、悪いことに起因する感情は心の中に消えていく。悲しい感情が薄れていくときのあの独特の感傷を彼はいつも丁寧に描きすぎるので、読んでいると心苦しい。

    絶望と悲哀を描ききった悲しい作品だったけど、すごく好きな作品。

  • いくつもの登場人物と時代が交錯しながら、現実と映画と思索が交錯しながら、常に一定のトーンに覆われている物語。希望というものが目前に見えるからこそ、深い喪失というものが詳細に描かれている。それでも読んでいて先に進みたくて仕方がなくなるのは、微細な表現によって心がつかまれるから。読後ものすごく悲しい気持ちになったけれど、この本に出会えたことそのものはとても喜ばしい。そんな物語。

  • 柴田元幸訳ポール・オースター作品もこれで11冊目。本作のハイライトは、なんと言ってもその視覚的描写の素晴らしさに尽きる。
    飛行機事故で家族を亡くして失意のどん底にいた「私」は、映画界から突如失踪した監督・俳優のヘクター・マンが作った無声映画に救われた。そして、マンに関する著作を発表したところ、彼の妻から手紙が届く。
    マンの作った映画がこの小説の中で、まるでもうひとつの作品であるかの如く描かれているのだが、その描写があまりに美しい。映画を、まして無声映画を文字でここまで生き生きと描写できるものなのか、と感動すら覚える。もちろん、描写だけでなく、その映画のストーリーも秀逸。文字を目で追っているだけで、自分の頭の中でリアルにその光景が浮かび、登場人物に感情移入してしまう。
    これまでに読んだオースター作品は、結論を敢えて書き切らず、読者の想像に委ねるものが多かったが、それらと比較すると、本作は書き切っている感が強い。しかしながら、読者に委ねる部分が減ったこと以上に、視覚的描写とストーリーテリングが素晴らしい。ごく近しい人が亡くなるなど、本来悲しみを覚える場面が多くあるのだが、読後感として残るのは美しさだ。豊かで細やかな描写がこの読後感を創出している。

  • 「誰もが彼のことを死んだものと思っていた。」
     この時点で面白そうな雰囲気がぷんぷん漂う。予想に違わず、ぐんぐんと物語の世界に引き込まれ、体を持って行かれるような経験をした。絶望の淵に立たされた主人公が仕事に没頭することで立ち直っていく、というのはポール・オースターの作品によく見られるパターンだが、そこに古典的なミステリの要素が加えられ、主人公の行く先から目が離せなくなる。

     簡単なあらすじ。
     飛行機事故で妻と2人の子供を失い、絶望に直面していたデイヴィット・ジンマーは、ある一本の無声映画に出会う。映画の主演であり監督でもある人物、ヘクター・マンは過去に謎の失踪を遂げており、すでに死んだものとされていた。しかし、デイヴィッドがヘクターの映画について丹念に調査し、一冊の書を書き上げたあと、デイヴィッドの辿った軌跡の糸口が舞い込む。ヘクターの元へ案内したいと訪ねてきたアルマから、デイヴィットのその後の人生について聞かされた。なんと彼は誰にも見せない映画を撮り続けていたのだ。せっかくヘクターの元にたどり着いたデイヴィットだったが、さらなる絶望が待っていた…。

     著者の功なのか訳者の功なのか、とにかく文章表現がすばらしい。こういう表現もあるのか!と読んでるだけでワクワクする。こんな本に出会えて幸せ。

  • 物語としても文学としても高い水準の小説だと思う。いろんな想いがストックされるんじゃないかな。ゆっくり読むのが正解な作品。良い小説だと思います。

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