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Amazon.co.jp ・本 (144ページ) / ISBN・EAN: 9784103060734
感想・レビュー・書評
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あの日を境に、Fukushimaの持つ意味が変わってしまった。
住んでいる人にとっても、世界にとっても。そして、かつて住んでいてそこから出た人にとっても。
福島県は、浜通り、中通り、会津地方、と3つの地域に区分けされる。福島県民にとってはごく当たり前の、しかし他県の人はそうそう知らない、知る必要もなかったそんなことすら、今では全国的に知られる。
湖の中にぽつんと小さな島があって、そこにいつも風が吹いていたことから「吹く島」と呼ばれ、「吹く」に幸福の福を当てた…と子どもの頃に"郷土の歴史研究"で調べた福島は、今や世界中にとってFukushimaとなり、その字面はなんだか、住んでいる人住んでいた人たちの実感とは離れた、遠い知らないもののようにも見える。
「新潮」7月号に掲載されたものが、7月30日の奥付で出版されるという、おそらく異例のスピードの単行本化。
その時、その直後、それ以後、古川日出男が何を見、何を考え、何につき動かされて相馬へと向かったのか、それはこのスピードでこそ熱をもって伝えられる、という判断なのだろう。
熱と言っても熱血ではない。
Fukushimaを出た人が、かつて住んで暮らしていたFukushimaに感じる、小さなわだかまりというか懺悔のようなもの。喉にささった魚の小骨のようなもの。
それを努めて冷静に書き記そうとする。
そうなのだ、「311とまとめられることには抵抗がある」。
その抵抗を持ち続けるのが、作家の役割かもしれないよ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
311を越えて、フクシマの作家が物語るとは、こういうことなのだと。
陳腐な表現だけれど、言葉の力を感じずにはいられない。
何度も何度も、涙が出そうになった。
ラストがすこしこんがらがった糸のようになってしまっているのだけが惜しい。
彼の世界観が合う人にはぜひ、読んでもらいたい。 -
書いていいのか、書けるのか。
しかし小説家として、書くことで表現しなくてはならない。
その迷いと葛藤。
最後の数ページは、なんだか感動した。
光が未来を感じさせる。
☆をつけるタイプの本ではないと思ったので付けません。 -
難解だった
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福島出身の著者が、震災後の福島を目指す。
震災後、作家としてどうあるべきか。
どう生きるべきか。
時折作品の世界と融合しながら語られるため、何やら難解なものになりつつある印象は受けたが、それでも何か感じさせるだけの力はあるのではないか。 -
正直がんばらないと読めませんでした。
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文学
東日本大震災 -
「ベルカ、吠えないのか?」や「アラビアの夜の種族」など
で好きな作家の一人であった古川日出男氏の作品「馬たちよ、それでも光は無垢で」を読了。ついこのあいだに会った仙台空港にある飛行機整備系の会社の工場長であった高校の同級生の話を聞いたあと、あの3.11の惨事を少し忘れかけている自分に気付き、少し重いだろうと読まないで積んであったこの本をひっくり返し読んでみた。著者が相馬市なので震災後の原発禍のなか相馬市近辺を移動しながら感じたこに、移動の中で彼の著作で東北六県を舞台にした「聖家族」の主人公との無意識のうちの会話を織り交ぜ書き下ろした物で、福島出身社ならではのノンフィクションでありながらも不思議なフィクションが混ざる読み物だった。小説家として何も出来ない無力感と戦いながらも、いまその災禍の中で感じた事を書き残さではと言う強い意志で書き下ろした文章であり、ずんとくる重い物を受け取り、やはり原発は確実に排すべきと再度思った。小説家としての福島の災禍に際しての貴重なチャレンジである本作品を読むのに選んだのがArchie Sheppの"Black Ballads"。力ある音色に元気がもらえるなあ。 -
<閲覧スタッフより>
福島県出身の著者。かつて東北六県を舞台に書いた大作『聖家族』の主人公兄弟に思いを巡らせながら、相「馬」市を目指す。そこで見たもの、感じたものとは?言葉も時間の感覚も失った「神隠しの時間」を経て書かれた物語。
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所在記号:913.6||フル
資料番号:10225394
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あの日たまたまリアルタイムでみたテレビの映像と、そのとき感じた衝撃を思い出した。
そして、忘れてはいけないことを簡単に忘れている自分を思い知らされた。
福島の小説家としてこれを書きあげたことがすごいと思う。 -
とてもとても暑い作品だった。古川日出男のグルーヴィーな感じってのに対して、半ば飽きがきていたここ数年、ついに古川日出男は脱皮したかなぁ、と。熱があった。惰性がなかった。すばらしい小説だった。この次の作品が楽しみだわ、これは。(12/7/4)
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福島出身の著者が自己を回復するために書いた文章の数々。論ずる術を持ちません。
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東日本大震災を、福島出身である古川氏が語る。
語る、というのもなにか違う。
ノンフィクション、ルポルタージュ、でありながら、フィクション。
内包されるものが大きい。
静かに混乱の中で綴られたような物語。
震災、
それから、馬。
古川氏の小説は入り込むまで時間を要することが多々あるけれど、これはすっと入れた。
そして、すっと終わった。
不思議な感触が、残る。 -
震災関連の書籍を読む中で、いちばん響いたのは、この本だった。
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はじまりに。
P5 目は閉ざすことができるはずだった。それが視力の特性でもあるから。このことで聴力とは性質を異にするはずだった。鼓膜には、蓋がない。ところが網膜には目蓋という蓋そのものの器官がある。とすれば容易なはずだった。にもかかわらず、できない。テレビの報道を注視しつづけて眼球の表面が乾き切る。ただし堰を切るような潤いはある。涙が落ちるのだ。涙がぼろぼろ落ちるのだ。そんなことが一時間に何度起きるのか。頻度を確かめることができなかった。一時間、という単位が消えていた。一日が二十四時間ではないのだ。テレビからはCMが消えている。区切りが消えている。わずか一日の間に起こるはずのないことが起きていて、展開する——展開しつづけている。その体感をひと言にまとめるならば、時間の消滅だった。具体的には日付の意識の、そして曜日の感覚の喪失だった。この体感を、もしかしたら私は命名できる。〝神隠しの時間〟と。・・・
P9 どうして書きつづけたのか。
書きたい、と感じていたからだ。他に理由はない。私の内面の必然性だし、衝動だ。しかも途切れない衝迫だった。
だった、と記すしかない。二つの仕事をキャンセルしたのだから。構想を立てて執筆するような種類の小説は、もう書けない。そもそも書こうと思えないのだ。いや、何も書けないわけではなかった。短いものはしたためた。私は〝神隠しの時間〟の内部に囚われている間にも、求められる原稿があれば応じた。それが直接的に機能する言葉ならば、渾身の思いで吐き出した。文学が無効だとは思わなかった。一瞬も疑っていない。しかし種類が問われたのだ。散文ならばどんな散文か、どんな文体か。想定される読者は誰なのか。私はここ数年、小説を誰でもにむけて書いてきたように思う。すなわと、想定しなかった。それが通用しない。
P24 私に罪がないと言えるか。のうのうと生きている理由を述べろ。
声。
P26 その地に立たなければならない。この衝迫はいったい何なのか。私は解析しようとする。被爆を強いられるべきは自分だ、被爆しろと考えているのは、わかる。一種の自殺衝動だ。そんなものが自分の内側にまだ残存していたという事実に驚く。たしかに二十代にはあった。しかし二十七か八で終熄した。・・・自己憐憫は結局のところ他者と世界を憎むことだ。まずは憎しみを棄てよ。もう口にするな。
・・・私には「生まれてきてしまった」との想いがある。ある種の後ろめたさだし、自己憐憫をどこかで越えているのが確かに感取される罪の意識でもある。
声がする。行け。お前が被爆しろ。あるいはただ、見ろ。私は福島県の中通りに生まれた。私は浜通りに行かなければならない。
どうしたら苦をともにできるのか。 -
古川作品は、難解で感度をチューニングするのに時間がかかるのだが、これに関してはついにチューニングが終わらないまま最後まで来てしまった。
それだけあの日のことは作者を、そして我々を混乱させてしまったのだ。
まだ自身への問いかけをやめてないし、もちろん答えも見つかってない。 -
福島県出身の小説家「古川日出男」が震災から一月後、福島を訪れる。独特の文体の筆者。詩的で、
刺さるような言葉繰りと、自身が過去に書いた東北を舞台にした小説の主人公への回想もはさみ、ノンフィクションの枠を越えたものになっている。
著者プロフィール
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