- Amazon.co.jp ・本 (132ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103060734
作品紹介・あらすじ
震災からひと月、作家は福島浜通りをめざす。失語する景色、不可視の放射線、傷ついた馬たち。極限の現実の果て、ついに小説は導かれる。そして「彼」、被災地に現れた「彼」、『聖家族』の狗塚牛一郎は作家に語りはじめた-。祈る。想像する。光を求めて言葉を刻む文学の軌跡。
感想・レビュー・書評
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311を越えて、フクシマの作家が物語るとは、こういうことなのだと。
陳腐な表現だけれど、言葉の力を感じずにはいられない。
何度も何度も、涙が出そうになった。
ラストがすこしこんがらがった糸のようになってしまっているのだけが惜しい。
彼の世界観が合う人にはぜひ、読んでもらいたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
書いていいのか、書けるのか。
しかし小説家として、書くことで表現しなくてはならない。
その迷いと葛藤。
最後の数ページは、なんだか感動した。
光が未来を感じさせる。
☆をつけるタイプの本ではないと思ったので付けません。 -
あの日を境に、Fukushimaの持つ意味が変わってしまった。
住んでいる人にとっても、世界にとっても。そして、かつて住んでいてそこから出た人にとっても。
福島県は、浜通り、中通り、会津地方、と3つの地域に区分けされる。福島県民にとってはごく当たり前の、しかし他県の人はそうそう知らない、知る必要もなかったそんなことすら、今では全国的に知られる。
湖の中にぽつんと小さな島があって、そこにいつも風が吹いていたことから「吹く島」と呼ばれ、「吹く」に幸福の福を当てた…と子どもの頃に"郷土の歴史研究"で調べた福島は、今や世界中にとってFukushimaとなり、その字面はなんだか、住んでいる人住んでいた人たちの実感とは離れた、遠い知らないもののようにも見える。
「新潮」7月号に掲載されたものが、7月30日の奥付で出版されるという、おそらく異例のスピードの単行本化。
その時、その直後、それ以後、古川日出男が何を見、何を考え、何につき動かされて相馬へと向かったのか、それはこのスピードでこそ熱をもって伝えられる、という判断なのだろう。
熱と言っても熱血ではない。
Fukushimaを出た人が、かつて住んで暮らしていたFukushimaに感じる、小さなわだかまりというか懺悔のようなもの。喉にささった魚の小骨のようなもの。
それを努めて冷静に書き記そうとする。
そうなのだ、「311とまとめられることには抵抗がある」。
その抵抗を持ち続けるのが、作家の役割かもしれないよ。 -
難解だった
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福島出身の著者が、震災後の福島を目指す。
震災後、作家としてどうあるべきか。
どう生きるべきか。
時折作品の世界と融合しながら語られるため、何やら難解なものになりつつある印象は受けたが、それでも何か感じさせるだけの力はあるのではないか。 -
正直がんばらないと読めませんでした。
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文学
東日本大震災 -
「ベルカ、吠えないのか?」や「アラビアの夜の種族」など
で好きな作家の一人であった古川日出男氏の作品「馬たちよ、それでも光は無垢で」を読了。ついこのあいだに会った仙台空港にある飛行機整備系の会社の工場長であった高校の同級生の話を聞いたあと、あの3.11の惨事を少し忘れかけている自分に気付き、少し重いだろうと読まないで積んであったこの本をひっくり返し読んでみた。著者が相馬市なので震災後の原発禍のなか相馬市近辺を移動しながら感じたこに、移動の中で彼の著作で東北六県を舞台にした「聖家族」の主人公との無意識のうちの会話を織り交ぜ書き下ろした物で、福島出身社ならではのノンフィクションでありながらも不思議なフィクションが混ざる読み物だった。小説家として何も出来ない無力感と戦いながらも、いまその災禍の中で感じた事を書き残さではと言う強い意志で書き下ろした文章であり、ずんとくる重い物を受け取り、やはり原発は確実に排すべきと再度思った。小説家としての福島の災禍に際しての貴重なチャレンジである本作品を読むのに選んだのがArchie Sheppの"Black Ballads"。力ある音色に元気がもらえるなあ。 -
<閲覧スタッフより>
福島県出身の著者。かつて東北六県を舞台に書いた大作『聖家族』の主人公兄弟に思いを巡らせながら、相「馬」市を目指す。そこで見たもの、感じたものとは?言葉も時間の感覚も失った「神隠しの時間」を経て書かれた物語。
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所在記号:913.6||フル
資料番号:10225394
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