- Amazon.co.jp ・本 (339ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103314240
作品紹介・あらすじ
隠れキリシタンたちの魂の叫びが、甦る! 慟哭の歴史巨編! 戦国期の伝来から、弾圧を経て、江戸時代の終わりまで。九州のその村に、隠れつづけたキリシタンたち。殉教する者、転ぶ者、密告する者。史実をもとに、命を賭けて信じ続けた村人たちの姿を、過酷な状況を、残酷な処刑を、心の迷いを、温かい視線で描ききった落涙必至の歴史小説。あなたの知らなかった真実が、ここにはある!
感想・レビュー・書評
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江戸期を通して、延々と守り継がれたイエズス教への信仰と、弾圧に屈しなかった信徒たちの強い意志が、読む側に重くのしかかる。一方、自暴自棄に陥ることなく、反抗もせず、開教を迎えられたことにホッとした爽やかな気持ちもなくはない。2024.3.16
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力作で大作だけど、通読するのが苦痛。
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「カトリック今村教会」(福岡県三井郡)を見たいと思った。
転ばない信仰心というものは、
現代でもあるのだろうか。
今の日本人なら、簡単に転ぶのではないのか。
生きることと信仰することが一体だった人々が
禁教になった後も200年以上、
祈り続けてきた歴史に感動する。
昨年2019年、第266代教皇フランシスコが38年ぶりに来日した。
イエズス会の人だ。
日本二十六聖人像「昇天の祈り」の前に安置された聖遺物、
「聖パウロ三木、聖ディエゴ喜斎、聖ヨハネ五島の骨」に献花した。 -
後半は説明で進んだ印象。何百年か後の子孫がでてきて唐突過ぎ。ページ数が足りなくなったのかな。
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明治維新による開国まで受け継がれるというのが凄く、
信仰を守り通すこともどれだけ難儀なことなのか、
まったく想像が及ばない、そこまでして守り抜くことができるのか! -
今もその地域には事実がきちんと伝承されているのだろうか。
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3.5
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250年以上も潜伏していた今村のイエズス教徒たち。彼らの百姓としての姿、信徒としての姿が、淡々と描かれている。幕府に禁じられていても、隠れて信仰し続けられる強さ。不作の年には餓死者が出るような百姓の生活の中で、イエズス教の教えは支えになったのだろうな。信じるって、尊い。「義のために迫害される人は幸いである」迫害されたくてわざわざ日本にやってくる神父も多かったのだろう。そして彼らを匿った日本人に罪人が出る。庄屋の漏らした「はた迷惑」という言葉がすんなりきた。ペトロ岐部、中浦ジュリアン神父の本も読んでみたい。