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Amazon.co.jp ・本 (256ページ) / ISBN・EAN: 9784103353119
みんなの感想まとめ
物語は、日常の中で見逃されがちな微細な感覚や記憶に焦点を当て、淡々とした描写の中に深い感情を宿します。特に新年にふさわしいお正月のエピソードがあり、季節感を大切にしながらも、どこか不思議な展開が続いて...
感想・レビュー・書評
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新年一冊目は滝口悠生さんの小説を読むのがここ数年のお気に入り。お正月の話もあってタイムリーだった。話がどんどん展開していって不思議なところまで進んでいく感じ。淡々と書かれているけど、すごく感覚的。好き。また何年か後に読み返したい。
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「目的や意味のとっぱらわれた景色や音に体を預け、ふだんほとんど顧みられることのない、微細な自分の反応や記憶に目を向け目を凝らすことが、まともに生きていくうえでやはり本当に必要なのだと思います。」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
楽器:どこにもいかないけれどどこかへ続くこの道のように、この優しさや祈りもどこかへ続いていく。 寝相:かすかな触れ合いとその中に在る香り
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私の小春日和が特に面白かった。低空飛行で生きている人の話をこの人に書かせたらピカ1
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妻と別居生活を送ることになり実家へ身を寄せる「私」。
近所に住む同級生の今、その子供との関わりを書いた『わたしの小春日和』は、
「間」が感じられ、ゆっくり進む日常が心地よかった。
『楽器』は、頭で考えず何かを感じ取る物語なのかな。難しかった。
表題作『寝相』大病を患い、孫娘・なつめの家に身を寄せることになった竹春。
二人の何気ない日常が書かれている。
色々なことがわからなくなってきた祖父の背中を流すなつめは
〈竹春の忘れてしまった色や音は、すべて背中に残っているように思われた〉
気持ちがあたたかくなる優しい話だった。 -
『寝相』
随所にシュールが描写が出てきてもう少しで「あっち」の世界に行きそうになるがその手前でかろうじて踏みとどまっている感じ。
『楽器』
最後のほう、イメージがずいぶん壊れていてよい。言葉そのものの動力とロジックがバランスよく拮抗しながら語りが進んでいく。だんだんと「私」から遠ざかっていくところも面白い。
『わたしの小春日和』
作者の味は、叙情的なのに壊れているということ。 -
つかみどころがない中篇が3本.表題作は祖父・竹春と暮らし始めたなつめの話しで始まるが、竹春の若い時代の遍歴が語られる.最後の場面で全世代の皆が集い宴会が始まるが、よく意味がつかめない.題目は竹春となつめの寐る時の姿勢がよく似ていることから取ったようだ.「わたしの小春日和」は職を失った南行夫が実家に帰って、同級生らと付き合う話しだが、安西加代子が中心となっている.息子の洋平が奇妙な行動をする場面があり、元教師の坂口と加代子が劇団を立ち上げる所で話が終わるが、これもよく分からない内容だ.さらに「楽器」では私、谷島、塔子、きよ子が池探しをするが見つからず、山羊の公園や赤い東屋、廃車の森に出くわす.久米老人を中心にした宴会が始まる.
作者は何を書きたかったのだろう??? -
図書館にて借りる、第296弾。
(神戸市図書館にて借りる、第105弾。)
微妙かつ奇妙と言わざるを得ない。
文字が果てしなくつづくような文体。
主語はあるようでない。
それが狙いなのかも知れない。
人間のアイデンティティーを問うているのかも知れない。
兎に角、苦手。
寝て起きたら内容は忘れるだろう。
星は2.3。
「楽器」だけなら星は1つだ。 -
あんま好きじゃなかった
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「ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス」の時も思ったが滝口悠生の小説は時間の感覚が分からなくなる。
ここでいう時間というのは、ウヴォーギンがノストラードファミリーに拉致されて眠らされて目覚めた時に腹の減り具合からだいたいの経過時間を推したような、読書をする際の身体感覚として「この程度の頁数読んだということはこのくらいの時間が経っているだろう」とボンヤリ解るときのあの時間のことだ。
「ジミヘン」と異なるのは、「ジミヘン」が小説の中でフィードバックを起こされたことで過去と現在の反響によって時間の流れる速度が反復され、結果遅延されたということなんだろうが、「寝相」に収録される三編においては時間感覚の狂いとそれによる遅延という結果は同じでも、なんというか感じが違う。
「音楽」がもっとも内容と結びついているのだが、道に迷うという感覚なのだ。道に迷ってしまったがゆえに到着するまでに時間がかかってしまっている。もしくは、道に迷ってしまったことによる身体の動揺で時間感覚が狂っている。
どこかを目指している、それは読書であれば一応結末となるのだろうが、そのどこかを目指していた中で今いる此処が何処か分からなくなる。
ストーリー至上という考えの読者は、迷うことを嫌うだろう。しかし読書とは何かという問いにおいて「読書は読書をする時間そのもののことだ」と猫好きのおじさんが言ってたことに感銘を受けた私としては、それら心地良い不安に変容してくれた。ラッキーである。本を読む喜びが、いびつなれど、たしかにある。気持ち良い。 -
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道を歩いてたら、目的地から斜めに外れてしまって、とんちんかんな所に出てしまうような感覚。
地続きであっちこっちに行ける。
でも、置いていかれたりしない。きちんと前には進んでいる。
そんな不思議な文章が心地よい時もある。 -
感情の揺さぶられがない、不思議な世界。
好きな人は好きだろう。
たんたんと流れて行く時間、不思議な出来事。
背負うもの、過去、全部向き合う前に流れていく -
文学
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過去と今。
人と人。
滝口悠生さんの本は、それぞれの距離感が秀逸。 -
図書館で借りた。「寝相」と「楽器」が印象に残っている。「楽器」は登場人物が秋津の住宅街にあるとある庭を通じて共鳴しているような話で、前半部分で目的なく散歩する事を推奨しているように、この小説もどこにたどり着くか全くわからず、読了後すぐに読み直したが、目まいのするような気持ち悪さがある。クライマックスに向けて畳み掛けるように小さなエピソードが並ぶ事で妙な高揚感がでてくるが、読み終わってふと思うと「なんじゃ、こりゃ」と思ってしまう。総合すると面白かったといえるんだけど、どう処理してよいかわからない。
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三編とも好きなんだけど、「わたしの小春日和」のおもしろさ。まじめなのがおもしろくて、にこにこへらへら読んでたら急にすごく本当のこと言うから、ずっとそればかり考えるはめになった。「嘘のない答えなどないとあなたは思っている。そして、だから問うまい、考えまいとする」って小説の中だけじゃなくて、滝口さん本人がそう思ってるくせに。
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表題の寝相は、いろいろかみ合わない人間たちの、でも確実につながっているんだ、という部分(寝相が同じ)があって、ノスタルジック。
3話目の『楽器』は、混とんとし過ぎていて、全く解らなかった。 -
視点がくるくる変わる3編。
『寝相』のラストの混沌っぷりは嫌いじゃない。
著者プロフィール
滝口悠生の作品
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