球道恋々

著者 :
  • 新潮社
3.82
  • (12)
  • (24)
  • (18)
  • (2)
  • (0)
本棚登録 : 123
感想 : 28
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (541ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103509554

作品紹介・あらすじ

期待もない、波乱もない俺の人生に野球があって良かった――。明治39年春。昔は控え選手、今は小さな業界紙の編集長を務める銀平は突如、母校・一高野球部コーチにと請われた。中年にして野球熱が再燃し、周囲の嘲笑をよそに草野球ティームへ入団。そこへ降ってきた大新聞の野球害毒論運動に銀平は作家の押川らと共に憤然と立ち上がる。明治野球の熱狂と人生の喜びを軽やかに綴る痛快長篇。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 某公共放送の大河ドラマ『いだてん』に出てきた「天狗倶楽部」が登場。残念ながら三島弥彦は出てこないが、リーダーであり作家でもある押川春浪(ドラマでは武井壮さんが演じていた)が主要人物として登場する。

    時代は明治後期。
    かつて野球強豪校としてその名を全国に知らしめた第一高等学校(一高)は最近部員数も減り実力も低迷中。
    早稲田や慶応にも大敗を喫し、長年のライバル第三高等学校(三高)との対戦だけは何としても負けられないとOBの宮本銀平にコーチを頼んだのだが、その銀平は現役時代は万年控えの選手で地味な存在だった。銀平自身、何故自分がコーチに選ばれたのかよく分からないまま引き受けるのだが次第に野球への情熱が再燃していく。

    前半は銀平が一高の指導をする中で、指導の仕方と同時に自分の生き方を見つめ直していく。
    当時は精神論根性論が一般的で銀平をコーチにと勧めた守山や同じくOBの中野は選手たちに対し威圧的に発破をかける。しかし銀平はそれが逆に彼らを追い詰めると心配し落ち着かせたり慰めたりする言葉をかける。この時代には銀平のようなやり方は珍しい方だと思うが、銀平も中野も、個性に合った指導法や寄り添い方があるということに気づいていく。

    銀平の人生そのものの物語もある。
    職人だった父との確執…父は銀平が仕事ではない稼ぎにもならない野球に妻子そっちのけで没頭することが理解出来ない。幸い妻は理解してくれているが、当時は父や義弟の柿田のような考え方が一般的だったろう。
    そして銀平自身にも何故自分がこれほど野球にのめり込むのかが掴めていない。
    そんな時に押川春浪と出会い『天狗倶楽部』に入り野球選手として試合に出る快感も知る。

    後半は東京朝日新聞に突如掲載された『野球害毒論』との闘い。野球が健康や勉学や秩序だった生活の阻害しかしていないという様々な論客の話を掲載している。
    その中には何と、一高校長の新渡戸稲造の話もあった。

    新渡戸稲造は少し前の五千円札の人くらいしか知らなかったのでこの話は新鮮だった。そして今や夏の高校野球全国大会の主催をしている朝日新聞社の前身である東京朝日新聞が野球を攻撃していたという歴史も意外だった。
    当時のスポーツに対する否定的な考えが物語の背景にあって興味深い。つまり銀平のように野球やスポーツにのめり込む人間は少数派で、銀平は職場では自分が野球をやっていることすら言えない。

    終盤の山場はこの『野球害毒論』に対する、野球養護派たちの集会シーン。主催はもちろん押川春浪率いる『天狗倶楽部』。そこで何と銀平は最後に演説を行うことになってしまったのだ。
    野球に対しての思い、野球が自分の人生に与えた影響、なぜ自分が野球にこれほど情熱を持つのかをどう語るのかと期待しながら読んだのだが、なんとも銀平らしい演説だった。

    550ページ弱の大作で最後まで読めるか心配だったが、読み始めてみれば面白かった。選手たちの成長、銀平たちコーチ陣との関係、夫婦関係に父との関係など様々な要素があって飽きさせなかった。義弟の柿田は掴みどころのないキャラクターなのに時に真理のようなことを言うし、職場の山藤もイライラさせられるのに要所で転機となるきっかけになる。友人の良吉は名前通り良いことを言う。

    『いだてん』の永井先生や大森監督もチラッとだけ出てきて嬉しかった。
    それにしても東京朝日新聞の変わり身がすごい。だがそのお陰で今に至るまで野球人気は続いているのだから悪いことではない。

    お金や野心など絡まない、ただ好きというだけで熱中出来るものがあるのは人生を豊かにしてくれるものかも知れない。

  • 明治時代、日本野球の幕開け。不良のやることだと罵られながらも、野球に夢中に取り組む人々。不器用なようで地に足がついている銀平が好印象。

  • 1冊に様々な出来事が込められている重厚な作品でした。
    「本当は何者かになりたかった」平凡な男が突然母校の野球部コーチを依頼されるところから物語が始まります。明治後半のお話です。

    近代国家を目指した日本に政治、社会制度、文化、市井の人々の価値観や生活の在り方という末端まで変革の波が押し寄せました。
    国も社会も人々も試行錯誤しながら時を経た過程が野球を舞台に綴られます。

    学生時代熱血ソフトボール部長だった木内さん(エッセイ『みちくさ道中』)が野球の細部まで熱くなりながら筆を進めた様子がわかります。
    門外漢の私としてはこの部分が若干冗長だった印象です。

    本作は主人公こそフィクションですが、他はほぼ史実に基づくとのことで、時折検索しながらと知らなかった世界に触れる機会を得ることができました。

    それによると当時は身分制度廃止にも関わらず、旧制第一高校の学生は元士族の家系7割、貴族2割とありました。
    市井の「神童」たちはやっとのことで開かれた門戸に滑り込んだことがわかります。主人公は「神童」と幼い頃から近所でもてはやされたうちの1人の男宮本銀平。

    野球部に所属するものの万年補欠どまり。家庭の事情により、一高から常道である帝大(東大)に進学することもかなわず。学業を諦め、父親の家業を継ごうとするもこちらも適性なく断念。

    主人公銀平は挫折に次ぐ挫折。生きることは諦めに折り合いをつけることなのかもしれませんが、終始悲壮感も自虐も全く感じられません。
    自他の経験を都度自らの血肉に変えていく過程に心惹かれます。
    そこが木内さんの作品の魅力のような気がします。

    今の時代を生きる私たちの心に沁み込んでいる社会の価値観の源泉も当時の若者たちの心意気から読み取れます。
    苦難や自己抑制があってこそ成功の果実を手に入れることができる。それなしに快楽があってはならない。

    忍耐や気力精神力で多くの事柄を乗り越えていける。

    こうした思い込みや価値の偏重は今に始まったことではなく、日本人のDNAに入り込み、戦争や天災、貧困等々を乗り越える原動力でもあったのだなと思います。

    一方で物語で描かれるよう、人には努力のみでは乗り越えられない問題は多くあり、適性資質、運不運、タイミング等々が混じり込み、試行錯誤の中で答えを見つけていくことは不変なのではと感じました。

    努力しなくても器用に何でも乗り越えていける秀才川西の存在が心に残ります。

    今や情報が溢れ返り、物凄い速度で社会が変わりつつあります。自己啓発本やセミナー、SNS等々、成功の果実をいかに手にするか。どうすれば、人は幸せになりうるのか、そんな答えのない難題に右往左往している気がします。
    でもやはり人は経験しながら、そして試行錯誤することでしか身の丈を知り前に進めないのではと感じました。

    日本におけるスポーツとしての野球の黎明期に、人々がそもそもスポーツや娯楽をどのように社会に受け容れていったかも興味深いものがありました。

    野球害悪を掲げてキャンペーンを張ったあの新聞社はやっぱりなあと。
    でも登場する記者の名前は少しばかり存じ上げている方で関わりがあったので、驚き。
    どこでどう繋がっているかわからないものです。

    人物が多く登場しますが、それぞれの輪郭がとても自然で多様な個性が物語に厚みを与えていると感じました。人々が熱を持ち、動き、悩み、食べ、生きた様に何か光のようなものを見いだせた気がします。

  • 歴史というともすれば全体主義的な視点に流されがちな物語を、丁寧に市井の人々を通して描くのが木内昇の良さだと常々思ってきた。しかし前作の「光炎の人」と何処かでつながる居心地の悪さを「球道恋々」にも感じ、単純には楽しめない。野球黎明期の物語にはもちろん個性的な人々が登場し、日清、日露と突き進む体制の中にありながら、義務ではなく酔狂なことに熱を上げる人々の様を描くのは、ある種の清々しさと高揚感を感じるものとして理解できる。その人々の野球に打ち込む姿を「道」と捉え「茗荷谷の猫」から続く名もなき主人公たちの拘りと重なるものだと素直に読めば読むことも出来る。だがしかし、そう考えてみても胸の奥底に残るもやもやとしたものが、逆流する胃酸のように何かを蝕む感触がある。それはやはり全体主義的な圧力なのだと思う。

    「光炎の人」を極端に要約すれば、強烈な個性の持ち主である主人公が多少露悪的に成り上がった挙げ句に何もかも失うという話になると思うが、その主人公を死に至らしめる幼馴染みは全体主義の象徴となり結末を締めくくる。本作は、むしろ個性を発揮しないことが個性であるような挫折の塊である主人公が、全体主義に加担しがちな団体競技の中で如何に個々の違いの大切さを見出すかという話なので、印象が逆になるべきであるのに何故かしら同じような胸やけに似た感覚に襲われる。それは幾ら「球道」と掲げてみたところで、はたまた主人公の父親が職人として見放した息子を最後に認めるという展開があったところで、何処かしら一つの目標に向かって全体が揃って努力することを肯定的に捉える価値観が見え隠れするからなのだと思う。

    明治の富国強兵から始まり、寺の梵鐘や家庭の鍋釜まで供出させ、それをお国の為と強要するに至る価値観と何処かで通じるもの。それと職人が弟子に強いる滅私奉公とは構図こそ似てはいても決定的に違うものがある。職人の善悪を決する高次の視点が「お天道さま」であるのに対し、全体主義のそれに対応するものは幾ら言い方を変えても「権力」である。そのことが一緒くたにされ、引きずられて行くような感覚。思わず身を硬くして抗いたくなるその違和を最後まで感じていた。木内昇が明治から戦前の物語を語る作品は少し苦手だ。

  • なんだか久々に爽やかな読後感を持ちました。実在する登場人物たちも生き生きと描かれているのに、いい感じがします。あの朝日新聞が野球に批判的だったこと、新渡戸稲造氏が野球嫌いだったこと意外でした。登場人物たちの野球への愛が痛いほど伝わります。個人的には主人公の奥さん明喜さんが好きでたまりません。

  • 「球道恋々」木内昇。2017年、新潮社。
    木内昇さんは何作か読んでいて、「櫛引道守」(2013)、「茗荷谷の猫」(2008)は文句なく傑作だと思っています。
    ほぼ同年代と言って良い人で、いつも新刊を楽しみにしています。
    その木内さんの新作長編、なんと541ページ。そしてネタは「明治~大正期の学生野球、アマチュア野球」というものでした。
    と、思って読んだらさすが、「野球モノ」という小説では、全くなくて。
    野球のルールすら分からなくても面白く読める意欲的な人間ドラマでした。
    そして、圧巻の出来。最高傑作?という気もしますし、まあ「最高傑作」という言葉も本質的に乱暴で粗雑極まるモノがあるのでさておいて。
    僕としては、「ああ、木内さんはまた一回り、小説家として大きくなったなあ、なんでも書けるようになってきたなあ」と思いました。
    なんというか構え方が無駄な力が抜けて、無駄なひねくれ方も無くなり、自然体で素直な装いの中に、相変わらない強靱な個性がちゃんとある、とでも言いますか。

    #

    宮本銀次、といオジサンが主人公。
    そして、第一高等学校、通称「一高」という旧制高校の野球部のお話です。
    この「一高」とか旧制高校というのは、僕も詳しくありませんが、どうやら17歳~20歳くらい?の学校で、今で言うと大学2年生くらいまでの感じ。
    第一高等学校というのは、読んで字のごとく、明治の初期に始めに作られた旧制高校で、つまり東京のエリート高校。
    卒業生の多くは東京帝大に進む、という感じです。

    主人公の宮本銀次さんは、この一高の野球部に所属していました。
    なンだけど、下手でした。そしてずーっと、レギュラーになれない。
    運悪いことに、その頃の「一高野球部」は伝説的な強さを誇っていて、先輩も同輩も後輩も粒ぞろい。とうとう補欠のまま卒業しちゃいました。
    ひっくり返せば、補欠だったのに最後まで部活をやり通した訳で、それはそれで希有な存在だった、という。

    この銀次さんは、職人さんの息子。そんな裕福なおうちではなかったけれど、勉強が出来たから一高に進みました。
    おうちな長屋住まいで、そこでは「神童」と言われていました。そして、野球部に青春を燃やして。「まあ帝大に進んで役人になるかな」とぼんやり思っていましたが。が。
    職人の父が倒れて、仕事ができなくなってしまう。収入がなくなる。
    で、いろいろあって、全て断念。一高を卒業して、表具師の職人になる、という珍しい人生を歩みます。
    ところがこれが、ものにならず。手先が不器用で。親方(父親)に首になります。そして結局、三流業界新聞の編集業に落ち着いています。
    「一高野球部出身」と言えば、その多くが帝大に進み。公務員、企業家、軍人、文化人、ともあれひとかどの人物になっているヒトばかり。
    その中では銀次さんは、とてつもなくみじめなんです。
    「なんで俺は一高に行ったのに、こんなことをしているんだ?」
    「野球にあんなに打ち込んだ、努力したのに、何も報われやしない」
    「結局、一生懸命やったとか、努力した、夢をもった、なんてことは意味が無いのか?」
    という日々なんです。

    と、言うのが初期設定で。

    物語はこの30代の銀次さんがひょんなことから、「母校・一高野球部のコーチ」を引き受けてしまうところから始まります。
    そして表向きは、「弱小になってしまった母校野球部を立て直す」という「がんばれベアーズ王道物語」を歩みつつも。
    「色々あって、勝って目出度し」という皮相なレベルを軽々と飛び越え、
    「人生ってやっぱり結果だけなのか?過程には意味が無いのか?」
    という、ほとんどプラント、ソクラテスという次元のムツカシく深い人生の藪の中へと、神業のようにするすると突っ込んでいきます。
    それも、小説としては、実は人情喜劇。奇妙奇天烈、奇人変人な野球バカや江戸っ子職人に突っつかれながら、常識人で気の弱い主人公がオロオロ苦悩する有様に、
    くすりくすりと笑っていると、いつの間にやら読み手の胸をドキっとさせるような深みに、小説が手を伸ばしてきている...「ハっ」っと気づくともう遅い。面白くてやめられません。

    (そしてまた、ふっと思ったのは、「池井戸潤ワールドへのアンチテーゼ」とも受け取れるような小説世界...。
    読み比べると分かりますが、確かに比較すれば池井戸ワールドは、究極「水戸黄門レベル」のシンプルな構造そのものがリラックスして読める理由だったりする訳ですが、
    「球道恋々」は一見、「池井戸さんみたいに、あたしもやってみました」という顔をしながらも、結局は
    「エンタメ重視でも、このくらいは複雑でヒリヒリするところまで、歯ごたえのある小説を書けるんぢゃないの?」
    と、ちょこっと意地悪く池井戸ワールド(と、その愛読者)を脇腹にチクりと刺してきます)

    その上、読んでいてふと思ったんですが、これ、かなり史実に基づいています。つまり、「歴史小説」でもあるんですね。
    そこには、明治~大正にかけて、一部知識人たちから「野球」というのが、戦後の「ロック音楽」みたいにものすごく言われ無き批判を浴びていた、という意外な事実もあります。
    そういった偏見の中でも、「マイナースポーツとしての野球」に恋してしまった、「勝ち組の中の、負け組」に位置づけられる冴えないオジサンの、泣き笑いの奮闘記。と、いう書き方をすると、恐ろしくドベタな人情劇かと思われるでしょうが、そういう仮面をつけたまま、実に21世紀現代にも、幾重の壁もイッキにぶち抜いて貫いてくるような、「個人と社会」、「生きがい労働」についての熱く、深い物語。

    一筋縄ではいかない、それでいて構えが王道にして懐が深い。
    木内昇さんは、地味に見えて着々と実力を深めてきている、すごい小説家です。
    歴史・時代小説というこれまでの活躍部門では、近いうちに堂々たる「ナンバーワン」の座に就くのか?
    それとも、そんな居場所なんぞにこだわらず、小説家そのものとしてもっと高い場所に飛躍してしまうのか?
    渋く、深く行くのか。ビッグバンを起こして広く、大きくなるのか。
    いずれにしても、新作をまた読ませ続けていただければ、大歓迎です。
    現在進行形で同時代の作家さんを追いかける醍醐味って言うのは、こういうことだなあ、と、思えるわくわく感。
    本を読む悦びっていうのは、そういうことでもありますね。

    ちなみに、小説中の主人公の親友、「葬儀屋の良吉」は、木内さんの作ったキャラでも屈指の魅力でした。
    スピンオフを書いて貰いたいくらい。

  • 近鉄バファローズの消滅とともに終わった私にとっての野球が数十年の時を経てこんな形で蘇って来ようとは…小説の持つ力、そして木内さんのペンの力は恐るべしであると実感する。

    何と言っても構成がいい。時は明治、ベースボールが野球として産声を上げた時代に情熱を掛けて今日の野球文化の礎を作り上げた男たちの実録だけでも充分な読み応えなのだがそこに木内さんお得意の"名もなき人物"をストーリーテラーとして書き加え人生を語らせて行く演出は珠玉。

    実利にならずとも下手の横好きであろうともそんなことはお構いなく夢中になれるものがあることで人生は輝く…

    野球好きな人もそうでない人も一読の価値あり

  • 木内昇「球道恋々」、2017.5発行。

  • 木内昇さんの作品には
    無条件に「良し」としてきました
    といっても
    そんなに熱狂的な読者ではなく
    時折り
    面白い小説が読みたいな
    と思った時に
    この人なら間違いないか
    と思う作家のお一人が
    木内昇さんです
    「笑い三年、泣き三月」に始まり
    「櫛引道守」
    「占」
    「よこまち余話」
    と とびとびに
    手にしてきて

    この度
    この「球道恋恋」ときたのですが
    ストーリーテラーとしての
    面白さは相変わらずですが
    あれっ という違和感が
    残ってしまう

    なんだろう、
    と自問自答してみる
    これまでの
    名もなき市井の庶民の哀しさ、愛おしさ
    が描かれたものとは
    また違う作品であること

    確かに 主人公の宮本銀平は
    当時の最高学府に連なる一高出身であり
    その野球創成期の野球部の一員であるものの
    レギュラー選手にはなれなかった
    今は一介の弱小雑出版社の編集者、
    まぁ いわば市井の人と言えなくもない
    けれども
    なんでしょうね
    いつもの ひっそりとした中にも
    強烈に伝わってくる哀歓が産まれないのは…

    たぶん
    物語としては 秀逸なものであることは
    間違いないのでしょうが…

    明治の時代が「維新」と称せられて
    無条件に「良し」とされてしまうことに
    それだけじゃないだろう
    と常日頃思ってしまう
    私の方に原因が
    あるのでしょう

  • 野球馬鹿バカの心沁みるお話。確かに球道恋々だー

全28件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1967年生まれ。出版社勤務を経て、2004年『新選組 幕末の青嵐』で小説家デビュー。08年『茗荷谷の猫』が話題となり、09年回早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞、11年『漂砂のうたう』で直木賞、14年『櫛挽道守』で中央公論文芸賞、柴田錬三郎賞、親鸞賞を受賞。他の小説作品に『浮世女房洒落日記』『笑い三年、泣き三月。』『ある男』『よこまち余話』、エッセイに『みちくさ道中』などがある。

「2019年 『光炎の人 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

木内昇の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×