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本 ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784103552314
作品紹介・あらすじ
「走る哲学者」が半生をかけて考え抜き辿り着いた、人生を「極める」バイブル。基礎の習得から無我の境地まで、人間の成長には5つの段階がある。では、壁を越え、先に進むために必要なものは何か。自分をどう扱えばいいのか。「走る哲学者」が半生をかけて考え抜き、様々なジャンルの達人たちとの対話を重ねて辿り着いた方法論が一冊に。経験と考察が融合した現代の「五輪書」誕生!
感想・レビュー・書評
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GLOBISのモデレーターとして司会を務める著者に対し、スポーツ選手ながら随分仕切りや纏め方の上手い方だなと思いながら、スポーツや身体を扱う世界独特の視点での解釈や表現の仕方が新鮮で、本著についても当にそうした学びを言語化した名著との前評判から、楽しみにしていた。身体化という言語化とは異なるプロセスの解剖から得るものが多い読書となった。
ー 私たちは大雑把に対象をつかんでいて、いわば強調すべき部分、ハイライトの部分だけを拾って、つなげたものを全体だと理解している。そこには身体部位の名称という言葉の限界もある。例えば、下半身を動かす場合、腰、膝、足首だけに着目しがちだが、各部位の間にも身体はある。しかし、ほとんど意識される事は無い。言葉によって身体を分けていくと、どうしても重要な部位以外が抜け落ちる。
私たち自身がデフォルメ化された世界を見ているのだ。言い表せない「部位」を型に慣らし、無意識のものにする。
ー 私たちは言語を扱うことができるが、その言語一つ一つを維持するようでは会話に集中できない。自由にその技能を使うと言う事は、無意識でもきちんと機能すると言うことを意味している。それができれば、その上に次の技能を重ねていくことができる。
ー 熟達していく過程で、私たちは夢中と言う状態に入る。熟達のプロセスで遭遇する夢中の瞬間こそが人間の生きる実感の中心だと私は考えている。
ー 上級者と初心者の違いは、雑念の滞在時間だ。ネガティブな思考でも、ポジティブな思考でも、集中を妨げる点ではどちらも雑念である。上級者は雑念が浮かび上がっても、長く滞在させず流していく。
まさに、これに囚われるのがイップスだろう。
ー オリンピックの決勝のような舞台ですが、トップスプリンター同士の足の改善のリズムがシンクロすることが知られている。リズムだけではなく、相手の動きや、話し方、考え方にも影響される。集団にいると、どんなに意識しても集団に自分が擦り寄っていくことになる。当然、常識とされるものも似通っていくのだ。孤独でいれば、集団に対しての同調から距離を取ることができる。集団の「当たり前」に影響されにくくなるのだ。
ー ずっと同じ文化の中に身を置いていると自己評価に偏りが出る。違うグループに入れば別の価値観を知ることで、徐々に自分自身の捉え方も変わっていく。複数の基準を持っているほど自分を捉えやすい。自分の個性を考えるときには、どの基準で比較をしているのかを理解しておく必要がある。
ー 行動し、試行錯誤の回数が増えれば、必ず成長していく。失敗すれば、学習の機会はいくらでも作れるが、失敗させることが最も難しいのだ。
失敗や異なる価値観、孤立により、自らをセンシングしながら相対化し、当て嵌める言語すら不要な絶対的な身体感覚を手に入れていく。
ー ロボット技術の世界にチャンク化という言葉がある。ある一連の動作が人まとまりとなって記憶されることだ。無意識で行える事はまさにこれで、実際に人間の運動もあれこれ考えながらやっていた動作が習得されると、一つのきっかけだけで一気に連動するようになる。
面白い。しかし、故に気になったのは、知的活動における熟達とは。つまり、言語化を要する熟達においても、やはり同じ論理が適用できるだろうか。話し始めてから、思考が纏まっていく、意図せず言葉が湧き出てくる、ということもある。なるほど、この点では論理や論説をチャンク化し、身体化していると言えるのかも知れない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
元400メートルハードルの選手である為末さんの本。
著者のことはもちろん知っていたのですが、
著者の本をちゃんと読むのはほぼ初めて。
(「Unlearn」は読んだことあったけど、共著だし。)
※Unlearn 人生100年時代の新しい「学び」
https://booklog.jp/users/noguri/archives/1/4296000535#comment
この本は、著者の陸上競技人生の集大成と
(自分が勝手に)名付けてもよいと思うくらいの
素晴らしい本だった。
主にはアスリートがある「運動」或いはある「競技」を
マスターしていく過程を(できるだけ)言語化した本。
"できるだけ"と書いたのは、そんなこと、
本来、言語化できるものでもないから。
ただ、そのプロセスを「遊・型・観・心・空」の五段階に分け、
自分や自分がインタビューした
様々なジャンルの人からの考えを元に、
本にまとめています。
まず最初の「遊」ってのがいい。
人は難しいことなんて考えずに、
遊んで知らぬ間に学んでいるよね、ってことと
自分なりに解釈しましたが、まさにその通り。
これはスポーツやっているからこそ出てくる感覚だな、、と。
お勉強だけやってても中々出てこないセンス。
(なんだけど、お勉強やってる人も
まさに最初は遊んでいるはず。)
そして、最後の「空」ってのは、
自分なりにゾーンの境地のことかと解釈しましたが、
やはり世界選手権でメダリストになるような人でも、
ゾーンの境地に至ることはコントロールできないのか。。
これが言語化出来たら、ノーベル賞モノだと思うのですが。。
さらに、このレベルになると、
「言葉にできない領域が出てくる」というのも興味深い。
言語化には限界があって、その隙間を言葉で埋めるには、
やはり限界があるってことでしょうか。
まぁ自分はそんな境地には果てしなく遠く、
単に言語化するのが面倒なだけなんですが。。
ノウハウ・マニュアル本ではないので、
即効性を求めるアスリートには向かないかもしれませんが、
(大人は当然として)高校生くらいで
プロを目指すような人には
チャレンジする価値のある本ではないかと思います。 -
為末大さんの「熟達論」読了。
以前に読んだ今井むつみ先生との対談本「ことば、身体、学び」、「諦める力」に続いて3冊目の為末さん本。
何かに「熟達する」というのはどういうことか、どういう道筋を辿るのか、というのを、為末さんの経験と、さまざまな熟達者たちとの対話を参考にして言葉としてまとめた本。
ふむふむ、なるほど、と思いながら読んでいたけれど、何かに「熟達」したことがない私(そして、これから何かの熟練者になろうとあまり思っていない私)には、目が滑ってしまう部分も多かったかも…(苦笑)。
熟達の道筋を、5つの段階に分けて説明してくれている。
第1段階 遊 不規則さを身につける
第2段階 型 無意識にできるようになる
第3段階 観 部分、関係、構造がわかる
第4段階 心 中心をつかみ自在になる
第5段階 空 我を忘れる
(※第4段階の「心」は「こころ」ではなくて「中心」の「心(しん)」)
うん、これをメモしておけば、あとはなんとなく思い出せる、かな。
リアルな感覚としては、熟達経験のない私にはわからないのだけれど、それぞれの段階について、為末さんの経験談を交えてくれていて、それを読むと、なんとなくわかる気がしました。
何かを習得したい、熟達したい、と思っている人が読むと、響くのではなかろうか。是非とも、これから羽ばたきたい人たちに読んでもらいたい。 -
今井むつみさんとの対談書『ことば、身体、学び』に続けて読了。技能を習得、熟達させていくプロセスを「遊」「型」「観」「心」「空」に構造化して解説。アスリートということでスポーツを主とした身体技能の例えが多いがそれ以外の分野の技能であってもある程度応用がきくように感じたあとがきによると現代の『五輪書』を書きたかったとのことでなるほど、と思ったが、読みながら思い浮かべていたのは技能習得やその教育のプロセスの際によく引き合いに出される守破離との比較。守破離も良いのだけど、ざっくりしすぎてて熟達者同士の会話ならともかく初学者が自分に当てはめながら試行していくには雑すぎておすすめしにくいと感じていたところ、為末さんのフレームは守破離の解像度を上げてくれたような感覚があって良い。自分の関わるテーマにおいて遊から空までの5段階を考えてみたい。
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とことん自分と向き合って、競技と向き合ってきた方なんだろうなと尊敬する。
いくつになっても学べるし、成長できるという自分に対してのワクワク感が生まれた。
自分が今どの位置にいるのかも想像しながら読むことができた。
考え方が深くて素晴らしかったです。 -
歳とった時、若い時と同じように身体を使うのできなくなるが、頭を使うことはできる。為末さんが考える、学び続けることでの熟達とはなにかを知りたい
#熟達論
#人はいつまでも学び、成長できる
#為末大
23/7/13出版
#読書好きな人と繋がりたい
#読書
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#読みたい本
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目標に直線な生き方が、苦しい理由がわかった。
目標を捉えた気ままさ、遊ぶことが熟達の真髄。
なりたい理想から目をそらさずに、
でも同時に他の興味も止めない、
これが楽しく道を極めるコツだと思えました。
フラフラと人生、楽しみます。 -
世界陸上で2個のメダルを獲得した著者が、これまでの経験を体系化した現代の5輪の書とも言える内容。
第一段階:遊 不規則さを身に付ける
第二段階:型 無意識にできるようになる
第3段階:観 部分、関係、構造がわかる。
第4段階:心 中心を掴み自在になる
第5段階:空 我を忘れる
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学びと成長のプロセスと構造を、自身の体験と様々な対談で得た知見をもとに整理したもの。なかなか気づきも多く、読んでよかったと思うが、同じ著者なら、諦めということを記述した本のほうが、深い気づきに至ったと思う。それに比べると、これは手法論に近い。【2024年6月16日読了】
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為末氏が自らの陸上競技での経験を交えながら、学ぶこと、何かに熟達していくことのプロセスについて論じている本。
全体は、
「遊」 不規則さを身につける
「型」 無意識にできるようになる
「観」 部分、関係、構造がわかる
「心」 中心をつかみ自在になる
「空」 我を忘れる
という5つの段階に分けられている。
各段階が具体的に分かりやすく語られているという点も印象的だったが、この5つの段階の順序がとても印象的であった。
まず遊びから入り、その上で型を学び、さらにその要素や構造を知る。その後にそれらの本質になっているものを理解し、最後にはそこまでに得た知識・技術を意識から外すことで自分の能力の限界(と思われていたもの)を超える力を発揮する。
一般的な学習論では遊びの段階が取り上げられることは
少なく、また中心となる事柄や理論から学んだうえで各論に入るといった流れが多い。それらとは一味違ったステップでありながら、なぜこの順番なのかということを説得力を持って説明している。
また、学ぶということを常に身体や体験と並行させながら語っている点も、本書の大きな特徴ではないかと思う。筆者がアスリートであるからということだけではなく、身体的な知や体験を通じた学びは、スポーツ以外の分野にも通じる重要な要素であると改めて感じた。
学ぶということの奥深さや、そのプロセスの楽しさを知ることができる本だった。
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