いまも、君を想う

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (158ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103776048

感想・レビュー・書評

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  • 大人になったらまた読み返そう。ちゃんと自分も幸せな夫婦になれているか分かると思う。

  • 57歳でなくなった妻への思いを切々と綴ったエッセイ。
    一言で言うと女々しい内容なのだが
    これはこれでアリなんだろう。

    7歳年下で子供なし。
    料理が出来ず(必要に迫られてするようになった)
    やもめ暮らしは自らの人生、死、妻と過ごした日々を
    見つめなおす毎日。

    奥さん(当時は交際中)は「マイバックページ」に出てくる
    逮捕騒動→懲戒解雇のときも支えとなり
    「私は朝日新聞社と結婚するわけではありません」
    と言う。

    猫好き、台湾旅行、旭山動物園、料理好き

    静かな葬儀をする。酒なし。
    食道がんにしては珍しく痛みの少ない臨終だったとのこと。

    19 ウェストサイド物語、「ジーンズ」の秘密
    23 年をとると赤のワンポイントが似合う
    25 香水を貰って喜ばない女性はいない

    32 カピバラ
    50 Y、山利喜かな?
    82 大阪でカルチャーショック

    作家の猫2、にもでてきていた。

    冒頭に社会猫についてのエッセイ。
    カラスが懐く話も。
    シェーンの服装は女性的。
    「善き人のためのソナタ」いい映画

    城山三郎の「そうか、もう君はいないのか」もそのうち読もう。

    hefurere、へふれれ、ヘフレレ、ヘフレレ←自分識別用簡易タグ

  • これまで知っていたのは川本三郎のほんの一面。

  • 哀しみを噛み締めるかんじ。

  • 評論家・川本三郎さんの亡き妻への追想記。新潮社の「yom yom」に連載された5編のエッセイに新たな書き下ろし3編を加えたもの。ファッション評論家として活躍されていた奥様の川本恵子さんは、食道癌のため足かけ3年にわたる闘病生活の後、アジサイの咲く2008年6月に他界された。享年57歳であったという。35年間連れ添い、同じ時代を共に生き抜いてきた7歳年下の恵子さんはいつも明るかったと記している。先立たれたものは、溢れてくる思い出の前にいつも無力だ。そのことがひしひしと伝わってくる内容。 著者の人生を変えた事件を綴った「マイ・バック・ページ」(平凡社、2010年11月)を先に読んでいたおかげで、二人のなれ初めと結婚に至る過程がより強く印象付けられた。夫となる著者が逮捕され、新聞社を解雇されるという事件の渦中で、結婚を決意した21歳の恵子さんの愛情と決断力には恐れ入る。7歳年下とはいえ、おそらくそこに見捨てておけぬものを感じたのだろう。それは母性本能だったのかもしれない。この決断がなければ、こうした著者の追想記が生まれることもなかったのだと思えば感無量だ。

  •  『いまも、君を想う』と題された1冊は追想記である。
     追想されているのは、2年まえ57歳で逝った著者の妻。その行間から滲みでているのは、“哀しみを噛みしめるかのような優しさ”とでもいうべき著者の人柄であり生き様である。
     文芸・映画評論家として今では有名な著者だが、40年前にある殺人事件に連座して、まだ入社3年目だった朝日新聞社を懲戒解雇された過去を知る人は少ない(その事件のことは、来年映画化されるという。主演は妻夫木クンらしい)。私もつい最近までその事件のことを知らなかった。知らなかったからなのだが、
     「川本三郎って一体何なんですか」
     と、言い放ったことがある。相手は当時「朝ジャ」と呼ばれた『朝日ジャーナル』という週刊誌のスズキという編集記者。私の大学の先輩だった。まだ大学新聞の部員だった私は、スズキ先輩に頼まれて時々朝ジャに“キャンパスねた”を寄稿したりしていた。正直いって世間知らずの天狗だった。
     「文章はのらくらして下手糞だし、ねたはいつもつまんないのに、どうしてあんな人のコラムが毎週のように週刊朝日や朝ジャにのるんですか?」
     「馬鹿。お前は何んにも解っちゃいねえんだよ。黙ってろ。馬鹿」
     そう言ったきりスズキ先輩は黙りこんでしまった。2回も馬鹿呼ばわりされた私よりも、先輩の方がなんともいえぬ哀しい横顔で俯いていたのを忘れることができない。
     先輩の次に担当してくれた朝ジャの編集記者もなぜだか同じ名字のスズキさんだった。今思い出すだけでも悶えるほどだが、このスズキさんにも私は、懲りずに全く同じく「川本三郎って一体っ」と毒づいたことがあった。逮捕解雇された時川本さんは、2人のスズキさんと同じ朝ジャの記者で、彼らにとっては、取材対象に過剰にのめり込むタブーに嵌った反面教師であり、公安警察の取り調べに対しても取材源の秘密を守りぬいた尊敬すべき大先輩であったことなど、若かった私は知りもしなかった。
     2人目のスズキさんは、私の馬鹿な問いかけには全く答えもしないで、やはり黙って水割りのグラスを見入っていた。カウンターの隣にいる私じゃなくて、なにか遠くを想うような哀しい横顔で、「あ、前のスズキさんのときと同じだ」と思った。新宿ゴールデン街でのことだった。

     沢木耕太郎の『檀』は檀一雄の生涯を描いた物語だが、その中にこんなくだりがある。
     太宰治の遺児である治子さんが石神井の檀家を訪ねてきたことがある。2時間ほど話して彼女は帰った。彼女が帰った後、どうして見送りに出なかったんだというようなささいなことで檀は家人にむかって怒った。「驚いたのはその後の檀だった。『あの人はね、とても悲しい人なんだ』そういうと、激してきた感情を抑えきれなくなったらしく、ハラハラと涙を流したのだ」
     他人からは身勝手にしか見えぬ太宰の内奥の苦悩や、その遺族の悲惨さを他人がわかってあげることは難しい。それを誰よりも深く知っていたのは、坂口安吾とともに無頼派の同胞であり、ある意味で“同類”の檀であったのかも知れない。
     このくだりを読みながら私が思い起こしたのは、二人のスズキさんを黙らせてしまった30年前のエピソードだ。私の不躾な言葉がスズキさん達にどんな思いを惹起したのかははっきりはわからない。けれど、元来は物ごとをわかり易く伝えるのが生業である彼らを、思わず黙らせてしまうほど、なにか甚だしくマズいところにまで踏み込みすぎたことだけは間違いない。私の場合、若さは馬鹿さと同義で、身の程知らずの傲慢さと同趣旨であった。今頃気づいてももちろん取り返しはきかない。

     川本さんの筆致は徹底して穏やかで、やっぱり“哀しみを噛みしめる”かのようだ。
     「家内は料理好きだった」から始まる一文がある。奥さんに先立たれた後、「おぼつかない手つき」でカボチャの煮物やオムレツを作る様子が語られる。納豆や豆腐が好きで、家から歩いて5分のところにある、「いい豆腐屋」で毎朝豆腐を買うのが日課になっている、という。そしてそれに続いてこう記されている。

     「家内が亡くなって2カ月ほど経った夏のある日、この店に行くと、おかみさんに『最近、奥さんを見ないけど』と聞かれた。『六月に亡くなりました』と言うと、おかみさんはびっくりした。家内はよくここで豆腐を買って親しく話をしていたという。
     おかみさんは、頭にかぶっていた手ぬぐいをとって深々と頭を下げてくれた。私の知らなかった家内がいる。近所の人に親しく記憶されている。そのことがうれしかった」

     もう何も言うことはない。
     30年前、このひとの文章を「のらくらして下手糞」と言い放って2人のスズキさんを黙らせてしまったことは、私の一生の不覚である。

  • 新聞か何かの紹介を見て、読んでみたいと思った一冊。
    図書館に予約していたのですが、待ち人数が多かったのでしょう、予約した事を忘れた頃に私の手元に届きました。

    どんな内容だったっけ?と読み出したこの本。
    もうこのタイトル以外は考えられない!
    ~いまも、君を想う~
    そう、亡き奥様を今でも想い続けている方の本でした。

    言葉の端々に、まだ癒えぬ悲しみ、後悔、孤独が溢れています。
    どんなに奥様が元気な頃の楽しかった思い出を語っても、行き着く先は今現在の悲しみ。

    男の人を独り遺しては逝けない…と思いました。

    ~悲しんでいる余裕がなかった。もしかしたら葬儀という形式は、悲しみを冷却するためにあるものなのかもしれない。生き残った者を、現実のほうへ、こちら側のほうへと引き戻す…~
    まだその立場に立った事の無い私ですが、慌ただしい葬儀の準備に対する考えが変わるかもしれない一文でした。

  • 生前の川本夫人 恵子さんは、ファッションジャーナリストとして活躍。蘊蓄に富んだキレのよい文章が思い出されます。
    恵子さんが食道がんで亡くなられたのは2008年6月。57歳の、あまりにも惜しまれる死でした。

    この本の前半は、生前の恵子さんの明るくおちゃめな性格を偲ばせる言葉や行動を描くエピソードで埋め尽くされています。

    衣食住への鋭い感性。ときに夫と対立する映画へのこだわり。夫婦二人で訪れた海外旅行のこと。夫の目を通して描かれる川本恵子像を読んでいると、彼女が近しい友人であったような錯覚に捕らわれます。そして、その人がいま、すでに不在であることを考えると、一人の日常を生きる夫の痛みが迫ってきます。

    前半の淡々とした筆致から、晩年の出来事はあえて書かないのかと思いました。しかし、後半は恵子さんの発病から闘病、そして死に至るさまざまなエピソードが語られます。
    最期は病院ではなく家で迎えたいと希望する恵子さんのために、夫は多くの仕事を犠牲にして、献身的な看病をします。

     その日、どうしても所用があって外出せざるを得なかった。ヘルパーさんに留守を頼んだ。用事が少しのびた。帰るのが予定より遅れる。
     渋谷駅で井の頭線に乗り込む寸前に、ヘルパーさんに携帯電話を入れ、その旨を告げた。席に座ると同時に切ったのだが、よほど声が大きかったのだろう。 
     隣の中年の女性に注意された。思わずかっとなって言った。「女房が生きるか死ぬかなんだ!」。反射的にそう言った。
     気がついたら怒鳴っていた。よほど神経が参っていたのだろう。
     私の見幕に驚いたのか、その女性は黙ってしまった。私もしばらく動悸がやまなかった。

    普段、人前で声を荒げることなど、まったくなかったであろう三郎さんの、そのときの気持ちが察せられます。
    最後は病院で息を引き取った恵子さんを家に連れ帰るときの心境を、三郎さんはこう表現します。

     家内を連れて家へ向かった。不思議と涙はでなかった。葬儀の準備という現実のほうにまず心をくだかなければならない。悲しんでいる余裕がなかった。 
     もしかしたら葬儀という形式は、悲しみを冷却するためにあるものなのかもしれない。生き残った者を、現実のほうへ、こちら側のほうへと引き戻す。

    いちばん悲しいはずの人が、泣いている暇もなく、いちばん忙しく実務をこなさなければならない「葬儀」という儀式。故人とともに、なにもかも捨ててしまいそうになる遺族の心を、しっかりこの世に繋ぎ止めるためにあるのかと、あらためて納得しました。

    恵子さんの末期を詠んだ三郎さんの歌の中に、最後まで毅然と美しい恵子さんの姿が遺されています。

     キャベツ刻む包丁床に落とし
     「もう料理は無理」と立ち尽くす妻

     ホスピスを紹介しますと言われし妻
     それでもなお歯医者に通う

  • 感情移入して読みました。自分がこうなったら・・・。よく川本さんはここまで自分と奥様を書かれました。

  • 服飾評論家の奥さんを癌で亡くされてから2年。「yom yom」に連載していた追想記が一冊にまとまりました。

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著者プロフィール

川本 三郎(かわもと・さぶろう):1944年東京生まれ。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」記者を経て、評論活動に入る。訳書にカポーティ『夜の樹』『叶えられた祈り』、著書に『映画の木漏れ日』『ひとり遊びぞ我はまされる』などがある。

「2024年 『ザ・ロード アメリカ放浪記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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