ハレルヤ

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (173ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103982081

作品紹介・あらすじ

世界があれば、生きていた命は死んでも生きつづける――。キャウ! 一九九九年に作家夫婦の家にやってきた片目の猫、花ちゃんは、十八年八ケ月を生きて、旅立った。死は悲しみだけの出来事ではないと、花ちゃんは教えた(「ハレルヤ」)。死んだ友だちの葬儀で、彼と過ごした時間の歓びに満たされる川端賞受賞作「こことよそ」を併録。心が激しく動いたことが書かれた四つの短篇。

感想・レビュー・書評

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  •  こういう保坂をぼくは忘れる事が出来ない。たかが猫でも、やっぱりネコでも、ネコフェチの話でもない。これが、これこそが小説なんじゃないか、そういう作品だと思う。

  • この本は、あとがきにもあるように
    筆者が「感動したことを書く、あるいは心が激しく動いたことを書く」を主体に書いた4編の短編小説がまとめられています。

    この中で僕が一番好きな小説は『生きる喜び』です。
    表題作『ハレルヤ』では筆者が飼っていた花ちゃんとの別れについて書かれていますが、『生きる歓び』はそれと対をなす花ちゃんとの出会いが書かれています。
    作品自体はかなり前に書かれた小説だそうです。


    「生きている歓び」とか「生きている苦しみ」という言い方があるけれど、「生きることが歓び」なのだ。


    この一文に僕は心が激しく動きました(詳細は実際に読んでみてください!)
    読みやすいとはちょっと言えない文体ですが、筆者の意識や思考に時折触れるような一冊です。題名も表紙も素晴らしい!

  • 小説、のくくりになっていますがエッセイに近いかなと読後感から感じます。

    最初は読みにくくとっつきにくく「何故こんなにセンテンスセンテンス読点だらけなのか?」気になって仕方がありませんでした。
    でも短編の「こことよそ」までたどりついたら「そうか、感性のままに文章をしたためたらこうなるんだな」とようやくちょっとわかったような気になりました。確かに「思考するとき」ってまるで読点を打つように、それほど脈絡のないものもどんどん連ねて流れるように考え続けます。
    その感覚がつかめると文章が入ってくるようになりました。そしてこのような書き方は、きっと意図的にするのは実は大変難しいと思います。描写力がない人が真似すると多分とっちらかってしまいますから。
    そして「こことよそ」すごくいい文章、と思いました。

    個人的には、suchmos(バンド名。文中に出てきます)が大好きなのでもう、それが出てくるだけでも大満足なのですが文章も内容もじわじわと染み入るような何とも言えない静かな感慨を呼び起こしてくれます。
    この短編川端康成文学賞受賞されたのですね。
    成程なあと改めて感じました。今のでなく昔のコッチコチのするめのような文章(褒めてます)

    最後の「生きる歓び」もまたとてもいい。こちらは昔に書かれたものなのですね。自分はこれを頭に持って来てからの「ハレルヤ」という時系列の流れの方がいいんではと思いましが、あえて逆にしてあることに作者の意図があるのでしょう。

    でもこの本で一番良かったのはあとがきだな(笑)
    ここの文章が一番ぐっときた。

    猫好きがまず手に取ると思いますが、人間が猫にかける愛の深さ、猫の生きている姿が教えてくれることの深さをつくづくと感じさせられます。
    もう装丁も、この写真しかなかったのだな、ということが読後とても染みます。花ちゃんありがとうです。

    いい作家さんに出会ったなぁ。

  • 四編の小説からなる。作者があとがきで「感動したことを書く、あるいは心が激しく動いたことを書いた小説」と書いているが、短編小説集というよりは3つの作品は、猫好きが書いたエッセイとしてぼくは読んだ。

  • 愛猫との出会いから別れ。
    その時々、心が動いた瞬間を作品にしたという。
    まさに家族として、全力で愛し慈しみ、別れた猫たち。
    最初読みにくかった文章も、慣れれば心地いい。

  • 最高傑作。
    時間は、過去→現在→未来という単線的なものではなく、渾然一体となっていることを証明してしまった。
    それは、19年前の小説「生きる歓び」を再掲することによっても現れている。
    すべてが響きあっている。
    ●時間のイメージが、流れないで、過去と現在が同時にあると考えている人たちがいるとしたら、その人たちは死を生の終わりであるとは考えないだろう、生には終わりはあるかもしれないがそれを死とは呼ばない、というような。
    ●世界があれば生きていた命は死んでも生きつづける。/世界があるからこそ命は無になることはない。

  • 「猫と小説と愛と自由」 保坂和志 × 寺越陽子 トークイベント | 青山ブックセンター
    http://www.aoyamabc.jp/event/hallelujah/

    新潮社
    十八年生きて旅立った、作家夫婦の最後の猫、花ちゃん。でも世界がある限り、生きていたものはそこに生き続ける(「ハレルヤ」)。友人と過ごした時間の歓びに溢れる川端賞受賞作「こことよそ」併録。感動したこと、心が激しく動いたことが書かれた四つの短篇。
    http://www.shinchosha.co.jp/book/398208/

  • NHKの理想的本箱で「初めてお葬式に行った時に読む本」として紹介されていたので、保坂さんの作品を久しぶりに読みたいと思った。1作目の「ハレルヤ」は4作目の「生きる歓び」に19年の歳月を経て呼応している。片目の花ちゃんとの18年8ヶ月。「生きる歓び」に登場した、保坂さんの中学高校同級生の息子である10歳の全盲の天才少年ピアニストは辻井伸行君のことだろう。現在も一線で活躍していることが嬉しい。「世界があれば生きていた命は死んでも生きつづける」「世界があるからこそ命は無になることはない」

  •  "ハレルヤ"ってそういえばどういう意味だろうと思って調べてみたところ歓喜・感謝を表す言葉とのこと。私はなるほど!と感動した。私が感動したのは、ひとつにこの本におさめられた四篇はいずれも歓喜と感謝をあらわしているからで、その代表たる表題作およびこの本自体にこれほど相応しいタイトルもないなと納得したというのがあるが、もっと深くに私の胸を打ったのは、ハレルヤという言葉がひとつの語句の中に歓喜と感謝という展開を内包していたことに因る。
    「歓喜する」というのは自動詞というか自分の意思とは関係なく反射的に起きる現象だが、「感謝する」というのは対して他動詞的であり、対象を要する。つまり、「何か自分にとって歓喜することがあり、それに対して感謝する」という、歓喜と感謝が起きる流れみたいなうつろいが"ハレルヤ"という言葉の中にはある。そしてその歓喜→感謝といううつろいこそが、小説(そして本の)「ハレルヤ」に描かれていることだと思った。歓喜だけ終わることでもなく、また何もないのに感謝するわけでもない。歓喜があって、感謝を行う。

  • 感動したこと、心が激しく動いたことについて書かれており、読み手はそれを読んで何かを思い出したり感じたり。そういうシンプルな関係性がわかりやすく実感できた。特に猫好き、生き物好きには身近に感じられる話。

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著者プロフィール

1956年、山梨県に生まれる。小説家。早稲田大学政経学部卒業。1990年『プレーンソング』でデビュー。1993年『草の上の朝食』で野間文芸新人賞、1995年『この人の閾(いき)』で芥川賞、1997年『季節の記憶』で平林たい子文学賞、谷崎潤一郎賞、2018年『ハレルヤ』所収の「こことよそ」で川端康成文学賞を受賞。主な著書に、『生きる歓び』『カンバセイション・ピース』『書きあぐねている人のための小説入門』『小説の自由』『小説の誕生』ほか。

「2022年 『DEATHか裸(ら)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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